ホームレス――精神疾患、知的障害
路上生活者(=ホームレス)ってどういう人?
失業、派遣切り、多重債務、親族からの縁切りといった様々な社会的負債を負って、住む家のない状態にある人、じゃないのかな。
その人たちと精神病・知的障害がどう関係しているの?とくにピンとこないけど。
アルコールに浸っているとか、独語(ひとりで何かに向かってしゃべっている)とかなら分かるけど。。。
精神科医から見たホームレス問題 〜精神・知的障害と路上生活化〜
と題して、ある精神科のお医者さんの講演がありました。
講演者:森川すいめい氏
プロフィール
精神科医。鍼灸師。独立行政法人国立病院機構・久里浜アルコール症センターに 勤務し、
依存症患者等と向き合いつつ、埼玉の病院で緩和医療を行う。
2003年にホームレスを支援するNGO 「TENOHASI(てのはし)」を立ち上げ、08年NPO法人化し
代表として東京 ・池袋で炊き出 しや医療相談などを行う。
09年世界の医療団東京プロジェクト代表就任。
他にアジアやアフリカを中心に約40カ国バックパッカーをしてまわる。
お名前からして、熟練年配の方?プロフィールから、「筋肉むきむきの色黒テカテカしたごっついおじさん」(すいません)をイメージしてました。
司会の紹介で壇上に上がった人を、マイク直しのスタッフさんか、森川氏の秘書のお兄さんかな、
と思ったその人がご当人でした。(すみません) m_ _m
若い!!! 36歳
またまたきゃしゃなほそっこい(というよりひょろ〜ウエストなんか40cmぐらい??))
じつにソフトな語り口調。
「ホームレス」のことを「ホームレスの方」と呼び、特定のホームレスの事例を挙げるときは、
その人のことを、必ず敬語で語る。
一方、ある高飛車、高圧な病院院長のことを批判して会場の笑いを誘ったりと、
とにかく一貫して弱者の味方。権限を振りかざす中身のない権力者を喝破する。
講演始まり、開口一番に
「まだ9年間の私の実績からお話しすることですから、私の言うことがすべてじゃありません。そのつもりで聞いてください。」
医学生の頃はインドを放浪して、野宿したり家庭に泊めてもらうことが好きだったこと、自宅にはテレビもないことなど。。ほのぼの・・・
話される口調、言葉と体から出てる、なんていうのかオーラか???
こんな方、初めてです。気負うところゼロ。
講演っていうと、どうしてもその講演者の気負いというか、その人自身+レベル or 社会認知度 といった意識を感じてしまうのがフツー。
でも森川さんはそれがゼロ。
森川さんの内面から、魂からわき起こることをそのまま言葉に、行動にされているような感じ。
そんなオーラを感じて、すごく不思議でした。 こんな生き方ってできるんだ・・・・。
マザーテレサを男にしたらもしかしたら、森川すいめいさんみたいな人では?とまで思ってしまいました。
講演の内容もすごく自然体で、実践されてることをどんどこしゃべっていく。
もりあがりとかもくろみもない。構成された造られた講演じゃない。
そのため、内容はちょっとうまくまとめられず、以下の記事を抜粋して、理解したいと思います。
ダイヤモンド社:ビジネス情報サイト ONLINEニュースより抜粋
ホームレスの約6割はうつ病 !?
“路上に引きこもる”人々が生活保護を嫌がる理由
不況で仕事が減って、社会に戻れなくなった人たちが引きこもり気味になる。やがて、住居を追われ、路上で生活せざるを得ない状況が長期化していることも、その背景にある。 大学を卒業したような「高学歴ホームレス」も、今では珍しくなくなった。社会を離脱してからも、引きこもりに似た身体メカニズムを抱え、国の就労支援に乗っかれない人たちが、路上に残されているようだ。 森川さんの補足:失業・就労できない等の理由のほか、もともと身体・知的障害があるために、家族から捨てられてホームレスになる場合もある。 ホームレスなんて、仕事しないぐうたら者なんていうとんでもない世間からの見方がありますが、その人の背景には、親からの虐待、 家庭の貧困、子どもの頃からのいじめ、障害などがあります。 事例〜20代女性 子どものころから虐待され、家出。仲間に出会って覚せい剤を知った。 少年院へ。 娑婆に出た後は野宿の人たちが面倒を見てくれた。酒を飲まないと虐待の記憶が蘇る。何度も自分を傷つける。 たくさんの虐待を受けてきて薬なしで生きていけなかった。 逮捕されてパトカーに乗せられた時、「下を向いていいですか」と両脇の警官に言うと、「くわえるなよ」(警官) パトカーを降りるとき、警官からお尻をくっつけられ、「おれとお前はお尻あいだ」 と言われたそうです。 支援団体であるNPO『てのはし』の精神科医、臨床心理士などの専門家チームが、池袋駅周辺の路上生活者を調べたところ、ホームレスのうち約6割は、うつ病などの精神疾患を抱えている疑いのあることがわかった。 世界の医療団は「社会の片隅に追いやられ、自分がどうしたらいいのかわからないまま、路上生活を続けている人たちが増えている」として、2010年4月から、医療や福祉の支援が必要な路上のホームレスを訪ね歩く、アウトリーチ(訪問活動)の国内プロジェクトに取り組み始めた。 『てのはし』の代表で『世界の医療団』の森川すいめい医師によると、彼らは一見、普通に見える。しかし、診療すると、うつ病をはじめ、発達障害や知的障害、社会不安障害、パニック障害、強迫神経症、統合失調症などの人たちもいるという。 「元々、路上生活に入って、這い出す力がなかったのか、2次的な障害の可能性もあります。失業して、ホームレスになったうつ病の人は、エネルギーが落ちているので、判断力がなくなる。どうしていいのかわからなくて、頭の中が混乱しているのです。出会ったときに、元気がありません。そういう人には、うつ病の症状について1つ1つ伝えていくことにしています」(森川医師) |
しかし、同居していた親から「家を出ろ!」と言われ、アパートで一人暮らしを始めた。シミズさんは、自立しようとして、一生懸命頑張ってみたものの、うまく生活できなくて、アパートも出ざるを得なかった。 アウトリーチで出会った森川医師は、「これまで頑張ってきたんだし、世の中がこういう状況なんだから、一旦、生活保護を取って、そこから働く基盤をつくってみたらいかがですか?」と勧めてみた。 しかし、シミズさんは、 「再び失敗したくない。路上まで落ちてしまうのは、相当つらいのだと思います」(森川医師) 先が見えない。だから、怖くて路上で引きこもっているような感覚が、そこにはある。 「もっと頑張って、自分を鍛えてからでないと、路上から出られない」 凍てつくような真冬の日になっても、シミズさんは、そう言った。 「頑張ってきたんですね。もう十分ですよ」 森川医師が何度勧めてみても、「まだダメなんです」と聞き入れなかった。 「彼は、話をしている限り、発達障害ではないかと診ています。しかし、家族はもちろん、本人も発達障害だとわかっていない。本人は頑張っているのに、どんなに頑張っても叶わない壁がある。そのうち、引きこもっている自分を責めてしまう。働きたい気持ちはあるのに、頑張り方がわからない。他人を頼る能力が弱く、対人関係をうまく結べないのです」(森川医師) 周囲にシミズさんの障害への理解があれば、路上に行かなくても済んだのかもしれない。しかし、それには、家族だけではなく、社会も企業も、それぞれの特性や苦手な所を理解してあげることが必要だ。 シミズさんは今もまだ「自分を鍛える」と言って、路上で引きこもっている。 |
そう言うのは、やはり路上生活を続ける40代のヤマザキさん。大企業の工場に派遣され、部品を組み立てる作業の仕事をして、ずっと生きてきた。 しかし、昨年、派遣切りに遭い、仕事を失った。住居も追い出され、うまくコミュニケーションできないまま、路上生活からうまく這い上がれなくなっていた。 ヤマザキさんは、小さい頃からいじめられてきた。親にも暴力を受けてきた。 「生活保護は絶対に嫌だ」 「生活保護を受けたら、ヤクザに利用されて、お金を全部取られる」 生活保護は、ヤクザがベンツを乗り回すためにやるものだと、ヤマザキさんは本気で思っている。 「俺は、あいつらとは違う」 ヤマザキさんは、「仕事をして、路上から脱したい」との意欲はある。でも、社会に復帰できないまま、誰とも話そうとせず、引きこもりに似た生活を続ける。 路上にいれば、誰とも話さない限り、1人でずっと生きていける。炊き出しも無口で済む。生活保護を申請するには、まずワーカーと話をしなければならず、寮で集団生活を強いられる。そこで、生きていく自信のない人が少なくない。 集団生活の経験者は、寮でいじめられたり、孤独感や疎外感を体験したりしている。コミュニケーションのうまくとれない人が路上には多い。結局、人とうまく話せないから、生活保護は受けたくないという話に結びつく。 「引きこもりと同じ身体的メカニズムを持つ人が、ホームレスにもいます。結局、家があるかないかの違いだけなのかなと思います。路上生活者の半数は、普通の人たち。残りの半数の中に、こうした引きこもり傾向を持つ人たちが増えてきているのではないでしょうか」(森川医師) |
生活保護法とは
生活保護法第4条
【補足性の原則】
・あらゆるものを活用してもなお、最低生活の維持が不可能
・民法に定められた扶養義務者の扶養は生活保護に優先
「あらゆるもの」とは、これもあれもこんなことも、ぜーんぶやり尽くして、
全部の努力をしましたが、私は無能です、ということを証明すること、それが生活保護を申請すること
ある生活保護担当は、「あなたの親族、知り合いを全部書いて」 「今からこの人たち全員に手紙を書いて」....
親から虐待を受けていても親に電話する。
生活保護法第7条
【申請保護の原則】
・生活保護は原則として要保護者の申請、扶養義務者、急迫保護(職権保護)
保護を必要とする本人が申請せよ、と言っても、社会の端っこにいて、自分が社会においてどういう状態かも分からなくなっている人は
申請することすら知らない。手順も知らない。行動をおこすということもできない。
何とか情報を得ることがあって、保護申請までたどり着いた窓口。そこに待つ者は、
心理学知らない、福祉知らない、障害なんて分かるわけないフツーの職員、新人であることも少なくない。(彼らが悪いという意味ではなく)
「路上生活者に至った過程には、家庭での人間関係のトラブルを経験した人も多い。なぜ、不安からの脱出が難しいのか。自分自身にもわからないところが、最も問題なのです」(森川医師) 家族が孤立して、地域で守れなくなっているため、家族の負担が大きくなっている。しかも、雇用状況が悪いため、働かない大人が家にいることに対し、家族が悪いとは言えない。しかし、社会は「甘やかしだ」「家族が面倒を見るべきだ」などと、家族のせいにする。 家族は、自立させなければいけないと焦る。すると、言うことを聞かない本人のせいになって、「おまえなんか、出ていけ!」と、家を追い出されることもある。 森川医師の補足: 日本では、「自立」というと、まず就業すること、と考える。 「自立」ではなく、本来は「自律」である。「自律」とは身動きできない状態でも、自分で生きる方向を決めていくこと。 ある70代のホームレスは、生活保護を申請した。生活保護の認定には、別居する家族から「面倒を見ない」と言ってもらうことが条件になる。 役所は、電話や手紙で家族に問い合わせる。「あなたの父親が相談に見えていますけど、経済的な援助とかできませんか?」 ところが、会社社長の息子は、本人には「面倒を見ない」と言いながら、役所には「自分が援助します」と言ってしまう。結局、その人は経済的な援助を受けることができず、ずっと路上で生活せざるを得ない。 生活保護に対するイメージの悪さから、「税金の世話になりたくない」「税金で食べていると思われたくない」という考え方が、社会復帰のネックになっている。一方で「生活保護ではなくて、働きたい」という勤勉意識の強さも反映されている。 中でも、これまで一生懸命仕事してきた人ほど、自尊心があり、お上に「すみません」と下手に出て、頭を下げることへの抵抗感がある。頑張ってきて、やっとの思いで生活保護の申請に行った人たちも、「なんで頑張んなかったんだ」「まだ若いのに」と、一部のワーカーから言われてしまったりする。 「それまでは税金を払ってきたというプライドがある。さんざん頑張った末に困窮してしまい、国が助けてくれると思ったら、いきなり、頑張っていないと言われてしまう。税金で食べさせてやってるんだ、という上下関係が生まれるような2等市民扱いされることに、彼らは傷ついているんです」(森川医師) |
2等市民扱い
今回の講演外の内容です
↓
ホームレスに対して「甘えてる」発言をする石原都知事の偏見、先入観
東京都は1月8日、「公設派遣村」入所者554人中204人が、求職活動費として2万円支給された後に所在不明になっていることを発表。石原慎太郎都知事は同日、臨時宿泊施設の受け入れを18日で打ち切ることを表明した。
公設派遣村「無断外泊」は事実誤認。派遣村村長、湯浅誠さんは著書の中で述べています。
「ワンストップの会」(代表・宇都宮健児弁護士)は12日、東京都に対し、「公設派遣村」利用者の「外泊」などについて正確な事実を明らかにし、生活再建に努力している人たちへの支援継続や医療体制の強化を求める要望書を提出した。ワンストップの会の井上久さん、安部誠さん、丸山理絵さんは同日、都庁内で記者会見し、「公設派遣村」利用者を「無断外泊200人」「2万円持ち逃げ」などとするのは、事実誤認の中傷であると指摘。都の現場担当者に問い合わせたところ、200人という数字は都として公式発表したものではなく、実際の外泊者は毎日40数人程度だという。「無断」で門限の午後4時半に帰着できなかった人は、ほとんどは生活保護の手続きや住居探しで遅くなり、都が連絡先の電話番号を徹底しなかったため、連絡できなかっただけである。
心無い見た目の判断しかできない一般人と同じか。物事を分析してない。こんな見方しかできない石原知事。正直、がっかりです。
引きこもりの家族会が「年老いた年金生活の親が死んだら、彼らはホームレスになるしかない」と危機感を訴えるのも、そのためだ。 世界の医療団によるアウトリーチ活動によれば、最近、若いホームレスが増えているという。直近の調査によると、派遣切りの影響で、彼らの平均年齢は、10歳近く若返った。 若い世代の特徴として、日中は目立たないようにして、格安のハンバーガーショップなどで何とかつないだりしている。そして夜、誰もいなくなってから、段ボールを敷いて寝始めるそうだ。 石原慎太郎東京都知事が、最近の浄化作戦等で「ホームレスの数は減った」などと嘘ぶいているが、世界の医療団によれば、「行政は日中にカウントしているから、数が減るのではないか」と指摘する。 今も、障害という診断名には根拠のない悪いイメージが残るものの、障害は特性であり、誰でもなり得る症状でもある。こうした人たちが障害を気にせずに、安心して働けるような環境づくりを政策等で構築することが、ホームレスの数を減らしていくことにつながっていくのではないか。 |
「公設派遣村には行きたくない」!?
“もうひとつの派遣村”に留まった人々の複雑な事情
年末年始、テレビ画面には連日のように国立オリンピック青少年総合センターの映像が流れた。国と東京都が開設した宿泊施設「公設派遣村」だ。
だが、施設で年を越した人々がいた一方、報道されないもうひとつの“派遣村”では、行政の支援に背を向けた人々がひっそりと正月を迎えていた。場所は、東京都豊島区にある東池袋中央公園。「特定非営利活動法TENOHASHI(てのはし)による越年越冬活動である。
昨年の日比谷公園での「年越し派遣村」と同様、寒さに震えながら食事を手にしたホームレスたち。彼らはなぜ、池袋の路上から動こうとしなかったのか。
現場に聞いてみた。
炊き出しの列に並んだ男性たちは首を振った。 池袋の路上には多くのホームレスたちが溢れていた。「てのはし」の炊き出しにも、昨年より減ってはいるとはいえ、1日あたりのべ300名近い人々が連日押し寄せた。彼らはなぜ渋谷に向かわなかったのだろう。 60代の男性をつかまえて聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。 「だって、施設が閉鎖されたら、暖かな部屋からまた寒空に出なきゃいけない。よけいつらいよ」 「でも、公設派遣村前では、弁護士による生活相談もやっているっていいますよ。雇用保険や生活保護申請の相談にも乗ってもらえるんじゃないですか」 「生活保護を申請するには住所がないと駄目なんだよ。ホームレスを収容する自立支援センターなんかも、そりゃあるけどな。でも、入るわけにはいかないんだよ。家族に住所が知れちまうから」 じつは生活保護を申請する際に、住所は不要だ。だが、自治体窓口では申請を阻む水際作戦として「住所がないと手続きが難しい」などと伝える担当者はいる。それを鵜呑みにしてしまう人も少なくない。 それにしても“家族に住所を知られたくない”とはどういうことなのだろう。返す言葉に詰まっていると、長年、ホームレスの支援活動を続けているという女性がこう説明してくれた。 「ここに来る人たちのほとんどはお父さんが社会の負け組に転落したなんてことを、家族にだけは隠しておきたいんだよ。男のプライドってやつだよね」 すると、年配の男性はぽつりぽつりと語り始めた。 「ホームレスの中でも年配組は、バブルのころに東京にやってきた奴がほとんどなんだ。田舎から出稼ぎに来て、都庁やら、新宿の高層ビル群やらを作ったのが俺たちさ。稼いだカネを母ちゃんや子どもらに仕送りしてよ。 だけど、不景気になって仕事が減った。年をとりゃ、体も思うように動かないから、仕事があっても若いもんに取られちまう。そうこうするうちにリーマンショックが起きたわけだ。おかげで20代、30代の日雇い労働者がどっと増えたよ。余計、俺たちは余りもんになっちまった。 だからといって、生活保護も受けられないわけだよ。申請すれば、自治体から家族に連絡が行くからな」 家族に連絡されることを恐れ、公的な支援を受けることに躊躇する男性は多いという。だが、住所不定で携帯電話もなければ、就職もできない。これではいつまでたっても路上から抜け出せない。 「なぜ、そこまでご家族を避けるんですか。長年妻子を支えてきたわけでしょう。今度はお子さんたちに甘えてもいいじゃないですか」 筆者が反論すると、男性は首を振った。 「いやあ、駄目だ。今さら家族に迷惑をかけるわけにはいかないよ」 家族との間にはほかの事情もいろいろあったのかもしれない。しかし、それ以上のことを男性は語ろうとしなかった。 茨城県出身の男性も家族と別れ別れのまま、ホームレスとなった。若いころは鳶職として全国を渡り歩き、仕送りしながら家族を養ったという。30代の息子は運送会社に就職。今や結婚し、父親となっている。 だが、男性はここ数年間、家族に連絡をしていない。「親父が転落した姿なんてみっともなくて見せられない」と言い張る。 10年近くホームレス生活をしているという男性のひたいにはしわが深く刻まれ、前歯もほとんど抜け落ちている。聞けば年齢は59歳。10歳以上は老けて見える。 「生き倒れて無縁仏になっちゃったら、俺恥ずかしいな。だって、ステテコのかわりに女物のレギンス履いてるんだもん。『特徴、黒っぽいジャンパー、紺ズボン、女物のレギンス』なんて記録されるんだろうな」 ほら、とズボンの裾をまくって見せてくれた脚は、少年のように痩せていた。一家の大黒柱だった頃は、さぞたくましく頑丈だったに違いない。 警視庁によれば、2008年の身元不明の死者は東京都だけでも130人。家族と生き別れになった父親たちが、ひっそりと路上に生きている。 |
そう語るのは、家族から縁を切られてしまったという40代男性。独身だ。大阪出身だが、今や両親がどこに住んでいるのかすら知らないという。 「知らない間に引っ越してたんですわ。親戚に電話して教えてくれ、と言ったら断られました。あれはちょっとショックでしたよ」 原因は親への借金。数年前に生活苦に陥り、やむなく借りた50万円がいまだに返せていない。 ただ、両親との不仲は今に始まったことではない、と男性は説明する。都内の国立大学に入学したものの、思ったような就職ができなかった。その頃から、実家はどうにも帰りづらい場所になってしまった。 リクルートのアルバイト求人情報誌「フロムエー」で、「フリーター」という造語が使われたのは1987年のこと。以来、形式にとらわれない自由な働き方が一気に広まっていった。 男性が社会に出たのもちょうどその時期だ。「男はいい学校を卒業して、いい企業に勤め、結婚して妻子を養うべき」と考えていた親世代には、理解しづらい時代だったことだろう。 だが、男性はけっして気ままなフリーター生活をしていたわけではなかった。 「大学を中退したあとはいろいろあって。30歳頃から原子力発電所の保守点検員を始めたんです。いわゆる“原発ジプシー”ですわ。臨時雇用され、あちこちの原発を渡り歩くんです。 業界は典型的な重層下請構造で、自分が雇われていたのは曾孫請けくらいのポジションでした。だもんで、日当は安かったですよ。おもに福井県内を転々としていました。高浜、敦賀、大飯――。なんだかんだでそこに4年半はいました。 そのあとは製造業派遣です。派遣大手のA社で働きました。といっても、実態はいわゆる偽装派遣です。勤務先は岩手県内の工場。そこに5年近くいました。 寮に入るんですが、2人部屋で家賃がひとり6万円ですから、ろくに生活費は残らないですよ。寮としちゃずいぶん高いよね。都内のマンション並みですよ。 だけど、仕事はかなり頑張ったんですよ。あとちょっとで、正社員になれるってとこまでいったんですけどね。結局、年齢でひっかかっちゃいました。 職場自体は良心的なところでしたよ。飲み会なんかあると、社員も非正規社員も関係なく呼んでくれたっけね。でもね、結局、中国のほうに主力工場を移転するので、社員も派遣も全員クビになったんです。 それ以降は、なかなか仕事がみつからなくて。50万円ほどの貯金もすぐ尽きてしまいました」 |
専門学校ではコンピュータ系の勉強をしたのだが、就職氷河期でうまく就職できず、卒業後は実家で暮らしながらアルバイトを続けていた。両親、とくに父親はそんな彼が歯がゆくてならなかったのだろう。次第に親子の仲は険悪になり、ついにいたたまれなくなった。 「このまま一緒に暮らしていたら、どっちかが包丁を持ち出すかもしれない、と思っちゃったんです」 そう話す彼の表情は誠実そうで、とても人を傷つける人間には見えなかった。 「男は一家の大黒柱として生きるもの」と信じ続ける親と、親の期待に添うことができなかった息子。 だが、いったんレールを踏み外した息子を待ち受けていた現実はあまりに過酷だった。路上生活は寒さや危険に満ちている。「不安と絶望感からうつを患う人も多い」と、てのはしの代表、精神科医の森川すいめいさんは言う。 公設派遣村行きのバスに乗れなかった人々の挫折感、孤独感はそうとう深いのかもしれない。 |
炊き出しの列に並ぶ、知的障害を抱えていると思われる人々の姿だ。といっても、それはほんの氷山の一角で、新宿駅や東京駅、池袋駅などの近辺には、炊き出しに並ぶことすらできない障害者がまだまだ大勢いる。 森川さんは、「家族では抱えきれなくなった知的障害や身体障害を持つ方々が、路上に溢れ始めている」と指摘する。 「昔は家族が障害を持つ子の面倒を見ていた。ところが今は両親の高齢化や貧困化などで、それができなくなってきているのです」 「電車賃がなくて帰れない」という知的障害者の男性におカネを渡したところ、家族に「戻ってこないで」と言われ公園に逆戻りしてしまった例もあった。 家族といえど、自分のことで手いっぱい。親や子を支えられなくなっている人が増えている。 ホームレスとは、単に住居のない人々ではない。“ホーム”、つまり、家族の絆を失ってしまった「ファミリープア」でもあるのだ。 |
阪神淡路大震災以来、ボランティア人口は増加傾向にあり、2006年の社会生活基本調査によれば、過去1年間に何らかのボランティア活動を行った人はおよそ2972万人となっている。 たとえば自分が家族もなく、寒空の下に放りだされることになったとしても、誰かの笑顔と温かな言葉があればすこしは心強い。確かな絆がない時代だからこそ、血縁や職縁を越えたつながりが、今求められているのだ。 家族にかわる“ホーム”を作ろうと、動き始めた人々。ちなみに、てのはしでは年末年始に限らず、毎月第2・4土曜日に炊き出しを行っている。地道な活動を続ける、あちこちの“派遣村”を通して、新しい絆が広がろうとしている。 ←てのはしの代表・森川すいめいさん。鍼灸師を経て医師に。 |