グアテマラ 悲劇の歴史
グアテマラの位置
1492年、コロンブスがアメリカ新大陸を発見するまで、グアテマラはマヤ文明が栄えていた。
現在も国民の過半数はマヤ系のインディオである。

1960年から1996年まで、36年間も続いたグアテマラ内戦により、治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。

先コロンブス期

        ティカルの神殿    
紀元前1800年頃に太平洋岸に土器文化が興り、紀元前900年頃に、パシオン川流域に集落が形成される。やがて、ナクベに高さ18mに達する大規模な建物が造られた。
南部の高地には精巧な土偶を伴う文化が興った。

紀元前500年以降には、ペテン低地にワシャクトゥンやエル=ミラドールなどのマヤの大規模な都市が出現。南部の高地には、イサパ文化の影響を受けた石碑を伴うアバフ=タカリク、エル=バウル、カミナルフューなどの祭祀センターがきずかれた。

378年にティカルにメキシコのテオティワカンゆかりの強力な王朝が建てられ、メキシコ、カンペチェ州のカラクムルと「優越王」として覇を争うようになる。
古典期になるとカミナルフューもテオティワカンに征服される。エル=バウルを含めた周辺区域にはナワ語系のピピル族によると言われるコツマルワパ様式の祭祀センターが築かれた。

後古典期にはいると、11世紀頃から北方のチチメカ人が侵入してきた。その影響を受けてキチェー王国やカクチケル王国にチチメカ様式の影響を受けた都市が築かれた。(Wikipediaを参照)

グアテマラ高地のマヤ系諸王国はスペイン人に征服されるまで存続した。


スペイン植民地時代

コロンブスによる新大陸発見後、欧米による植民地政策・搾取がここグアテマラでも始まる。

中南米大陸・アフリカ等での、欧米による植民地侵略の記述は、ちびちゃんホームページの「世界の500年」を見てください。
清水馨八郎氏の『侵略の世界史』を参照しています。

                                                        
1492年にクリストーバル・コロン(コロンブス)がアメリカ大陸を発見すると、現在のグアテマラにもヨーロッパ人の征服者が来た。
スペイン人の征服者、ペドロ・デ・アルバラードは、1524年にこの地域を征服する。

スペイン人の征服により、古代からのマヤ文化の古文書(Pre-Columbian Maya codex)はほとんどがこの植民地時代に焼却されてしまう。
辛うじてポポル・ヴフ(Popol Vuh)と呼ばれるキチェー族の創世神話が現在に伝わっている。

1717年に起きたマグニチュード7.4の地震はグアテマラに甚大な被害をもたらし、続く1773年の地震も大被害が出たため、1776年にスペイン国王の命により首都はグアテマラシティへと移る。
1786年にはスペインからイギリスにカリブ海側の領土が割譲。この地域は英領ホンジュラスとして統治される。

独立から20世紀半ばまで

グアテマラ建国以後は、特にアメリカ合衆国からのさまざまな内政干渉に彩られている。

1789年のフランス革命により、ヨーロッパでの政局は混乱。
1808年にはスペインがフランス皇帝ナポレオン1世に侵攻され、ナポレオンが兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否。
グアテマラ総監領は1821年にスペインから独立を宣言し、メキシコ帝国に併合されたが、1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州(Provincias Unidas del Centro de América)の一州となった。

中米連邦では、最初から内紛が絶えなかったが、1839年グアテマラは独立国となった。

1871年には自由党が内戦に勝利して政権に就き、1873年にはフスト・ルフィーノ・バリオスが大統領になった。
経済がコーヒーモノカルチャー化し、1880年代には輸出の9割近くをコーヒーが占める。こうしたコーヒー農園を目指して移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。

1898年にマヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任し、22年間の独裁政治を行うが1920年にカブレーラは失脚した。クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年にホルヘ・ウビコ将軍が権力を握る。
ウビコ以外は全て不自由であるといわれるほど苛烈な統治の下でグアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。
憂いた愛国者により、ウビコは1944年に追放され、民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。


グアテマラの春・・・ところが

1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、自由な空気の下に、各種の民主的な社会改革が進められた。

アルベンス大統領は貧困を無くすため政治改革を進めようとしていた。
労働組合を作り、思想や信条の自由も保障され、大土地所有者から土地を買い上げ、農村部の協同組合に低利子で払い下げられた。
さて、この時のグアテマラ最大の土地所有者は、アメリカの大企業ユナイテッド・フルーツ社
アルベンス大統領の改革に、アメリカ政府が黙っているはずがない。

1954年、アメリカのCIAがアルベンス政権を暴力的に転覆させために軍事クーデターを起こさせる。


アメリカ政府の雇用した反アルベンス派傭兵軍が侵攻。軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命。
グアテマラの春は終わりを告げた。

グアテマラ内戦へ

1960年―1996年  36年(本当はこれ以後も)も続いた
元はスペインが発端である。極度の貧富の格差に加えて圧政。。。
そこに金・経済欲望丸出しのえげつないアメリカが介入し、CIAの画策により、仕組まれたともいえる内戦。

マヤの先住民族は、自分の国なのに、いつまでたって土地は持てず、一生小作人のまま。
充分に食べることもできず、子どもたちは幼い頃から親と一緒に働かざるを得ない。
出稼ぎに行っても、寝泊りする場所で、稼いだお金は食べることでなくなるようにできていて、手元に残るお金は微々たるもの。
それでも働かなきゃ生きていけない。。。

そのため、就学することができない。勉強したくてもできない、読み書きできない先住民が多い所以である。

教育さえまともに受けることができない、一生この苦しみを背負っていかなければならない。
こういった疑問を持っていた人たちがどんどん増え、ゲリラが生まれる。
ゲリラのメンバーはほとんどが先住民族出身だった。

ゲリラとなるしか道が残されていなかった。

1982年、いくつかのゲリラ組織が統合され、URNG(グアテマラ民族革命連合)が結成される。


ゲリラに対し、グアテマラ政府軍による殺戮が繰り返され、地図上から消滅した村がいくつもある。
約20万人もの人々が拷問の後、殺された。

コロンブス以後スペイン人がこの地にやってきた時よりももっとひどい虐殺がこの内戦のときに行われた。
しかもつい最近の、10数年前の話である。


マヤ民族、マヤ文化の抹殺を企んでのことか。
マヤ民族はスペイン語がわからない。先住民族と支配層との間のコミュニケーションがとれない故に、
先住民たちのごく普通の日常的な生活行為、日常的な祈りの行為が、支配層から見ればある種の恐怖を抱かせたのか。

政府軍がまっ先に連行、殺したのは、先住民族の導き手となっていた偉人である。
つまり、民族の権利を守る心得のある人たちだった。

まさにマヤ文化の破壊をし、種から共同体の解体をもくろんだと思われる。


政府軍の代表的な機関は、

○国軍情報局(統合参謀本部)
○大統領参謀本部情報部(アルチーボ)
○大統領・国務大臣統合参謀本部長
○内務大臣・国家警察長官

これら政府軍機関の将校たち、いわゆるスペシャリストたちが、殺害・拉致・拷問のすべてに関与する。

盗聴・郵便物の開封はあたりまえ。
資金提供したのは富裕層である。
コンピュータ情報解析システムを駆使した個人ファイルの作成。この任務にあたったのは規律法違反で停職中の警官などで、偽名を使って通信機材を自由に利用していた。給料は秘密口座から支払われた。
他に、大学、B/K、企業からリクルートされた人物。工作員。密告者など。
ex物理数学者のエドゥアンドスペルコフィーニョ


アメリカCIAの支援によって行われた。
技術はすべて、アメリカが提供した技術援助・助言による。



内戦下、グアテマラ政府軍は先住民の人たちを強制連行する。
政府軍の統制下にはモデル村がある。人々はそこで生活をさせられる。


「極限状態の生活の継続」
恒常的に監視下におかれ、完全統制、伝統的生活様式の断絶。

ゲリラを殺さなければ、お前たちを殺すぞ、と言って脅し、同じ共同体の者、家族内で殺し合いを強制させた。子が親を殺し、親が子を殺す。
住民をどんどん戦争に巻き込んでいくという戦略である。

しかも軍を正当化し、この殺戮の責任は、犠牲者側にあるという自責の念を植え付けた。
さらには軍への感謝の念を植え付ける、軍への忠誠という心理作戦。

このような人間洗脳、人間操縦のノウハウを持ったブレイン集団=CIAが絡んでいることは素人目に見ても明白。

一日の流れ:
AM4:30 整列 政府軍スローガン、反ゲリラスローガンの復唱
違反すると、誤った考えが一掃されるまで罰が与えられる。
軍事的儀礼に疲れ果て、自分の価値が感じられなくなり、民族として保ってきたこれまでの規範に疑問を抱くようにしむける。

15~60歳までの先住民が政府軍に組み込まれた。


「暴力を教え込む」
ある日、犬3000匹を殺すよう軍から命令が出された。
この犬の血が本日の食事だ。
殺人の感覚をマヒさせるためだ。

すべてが洗脳である。従わないと拷問を受ける。部隊全員が。
口を割らないよう脅迫、脅しの心理作戦が施される。



創造神、先祖とともに生きてきたマヤの人たちは、先祖をほうり出さないといけない。
聖地から離れ、信仰の営みもできない。そのことを自ら責め、自責の念に陥る。

聖地での殺戮も行われた。

殺され方は残酷、異様という言葉を超えたもので、とても記述できるものではない。
(詳しくは『グアテマラ虐殺の記憶』(岩波書店)を読んでください。読むことに耐えられないと思いますが)
女性に対する強姦、殺害、子ども、胎児虐殺・・・

一方、共同体では、ゲリラに加わらないと、政府軍のスパイかと思われて殺される。
ゲリラへの非協力を理由にゲリラから殺される。
政府軍、ゲリラ、結局どっちかに入らないといけない。

政府側はゲリラと住民を接触させないために、住民を無差別に殺戮する。
投降させ、強制収容→拷問→告発→屈服テスト→人格改変→弾圧者になりきる。
つまり、ソフト面とハード面で洗脳していった。

数千年の昔からマヤ文明を築き、先祖とともに生き、創造主と母なる大地に向き合って生きてきた民族たちを
このような境涯におとしいれていったのである。


ここまでされておきながら、
マヤの民族の方々の純粋な心は、
「なぜ暴力が起こったのか、未だに分からない」 という。
「自分たちが悪いことをしなければ、このような罰を受けるはずがない」
という自責の思いに沈む。

内戦終了後、一般住民と元戦闘員(加害者)が社会内へ再統合される。
親族同士、加害者と被害者が混在する中で生きていかねばならないさだめ。
いったいどのような心情か――

グアテマラの現在の治安の悪さ・・・当然ではないか。


アメリカのCIAの干渉に、あの時世界が、日本が言葉を発することができていたら。
世界が気づいて手をうつことができていたら。


ほんの少しの白人階級がいまだにグアテマラの富のほとんどを握っている。

侵略の世界史は遠い過去のことではない。つい最近まであった。今も起こっている。



上記述は『グアテマラ虐殺の記憶』(岩波書店)から参照しました。
この書は、国連の援助を受けて、グアテマラ大司教区人権オフィス(ODHAG)が発行した
「歴史的記憶の回復プロジェクト」編、Guatemala:Nunca Mas、1998の抄訳です


他に以下の資料もあります。

「グアテマラと米国 1954年-99年」
20万人の犠牲者を生んだ40年間にわたるグアテマラの虐殺史

1954年、アメリカCIAの支援によるグアテマラ軍事独裁政権の樹立から、1996年の和平協定調印を経て
1999年、国連の歴史解明委員会がグアテマラ国家の虐殺を結論づけるに至るまで、およそ40年間にわたる生々しい暴力と
ジェノサイドの歴史が明らかにされる。
2,000点を超える初公開の一次資料の最大の目玉は、1999年にグアテマラ軍の文書ファイルから持ち出された、暗殺部隊の業務日誌です。
この他、上記委員会による1999年の報告書や、これまで未公開だった国務省、国防総省、CIA、ホワイトハウス等の資料も含まれる。


2004/06/24JANJANニュースでは下記のような記述がありました


後見人は米軍

グァテマラの陸軍は、一体どうやってこういう残酷な殺人集団になったのだろうか。実はその後見人は米国であり、
グァテマラ軍を冷酷な組織に鍛えあげたのは、米軍だった。

 「1960年代と70年代に、アメリカの軍事援助と訓練が、グァテマラの陸軍を中央アメリカでもっとも強力で狡猾な軍につくりあげた。
1966~68年のジョンソン大統領時代に、グリーン・ベレーがグァテマラに送りこまれ、陸軍をベトナム型の戦争を遂行できる
近代的な反乱鎮圧軍に変身させた。これが今日、グァテマラで作動している殺人機械の起源だ」
"A "killing field" in the Americas: US policy in Guatemala

(編集部)





アメリカCIAについて
アメリカという国は、世界いたるところにCIAを張り巡らせ、その国の独立だとかなんとかいいながら、結局アメリカの利権のために
その国の住民を利用、うまく洗脳操縦して、革命やクーデターを意図的に起こさせるということをいたる所でやっている 

その一例として、親友がルーマニア革命のことを教えてくれました。
不透明な部分を残したままの革命の真相と背景。(YouTubeより)
ルーマニア革命は仕組まれたのか1/5
ルーマニア革命は仕組まれたのか2/5
ルーマニア革命は仕組まれたのか3/5
ルーマニア革命は仕組まれたのか4/5
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