イスラエル民謡 平和の歌 Heiveinu Shalom Aleichem ヘィヴェィヌ・シャロム・アレィヘム
2010.10.23
秋のあしなが募金が始まりました。
時間に追われながら駅に向かって走る中、三越前を通りかかる時、何やら一生懸命訴えるような高らかな声!!
「あ、あしながさんだ」
急ぐ足にブレーキかけて、
「おさいふおさいふ。。。あ、今日はちゃんとある」(時に小銭ちゃらり、のこと多し ^^;。。。)
てけてけ、、と募金箱をもった男の学生さんのとこへ。おたがいちょっと恥ずかしげに、ぺこり。
訴えていた女の学生さんが、「あ、あ、ありがとうございます!たいせつに使わせていただきます!!!」
「えーそんなに言ってもらっていいのかな。 いいのに。。。」
見るとなんてきゃしゃな、ちっちゃな体で、申し訳ないが、ごはん食べとるん?と心配したくなるような細っこいおじょうさん。
力いっぱい訴えるその全身からは、若者のエネルギッシュさは感じられず、かすかすの中から労力超えたパワーを出してる感じ。
日々のカツカツの生活が見るからに彼女の背景に感じられて、悲壮とせつなさがこみあげてきました。
涙がじわ。。。。。と出ちゃいました。
「大変なんだな。。。」
10.24、30、31日にも街頭募金を行います。
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新聞・ニュースによると、
2010年4月から公立高校の授業料無償化(私立は一部助成)が実施されたことで、「授業料無償化で奨学金は不要になった」
といった考えが広がり、募金は全国で前年春より12%減の1億7600万円にとどまったそうです。
以下は中日新聞より――
母子家庭だった小学5年の時に、こんどは母親をがんで亡くした中京大1年の足立直生さん(20)=愛知県豊田市=は
「母が亡くなる前に『成長していく姿を見たかった』と言っていたことが忘れられない。
1人で苦しんでいる学生も多い。多くの人に育英会を知ってほしい」と涙ながらに通行人に訴えた。
1994年の中華航空機墜落事故で夫を亡くし、高校3年の長女(17)を持つ岡村美智子さん(54)=名古屋市南区=は
「これまで食べていくので精いっぱい。奨学金がなければ子どもを進学させることは非常に厳しい」と母子家庭の実態を話した。
育英会が母子家庭を対象に行ったアンケートによると、本年度から高校無償化が始まったが、約45%の家庭が
「教育費が不足している」と回答。高卒で就職を希望する学生の約半数は経済的理由から「進学を断念した」と答えている。
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生活するのが精いっぱいで教育費が払えない
↓
進学を断念
↓
社会で生きていくための知識・技術を学べず身につかない
↓
仕事がない、就職できない
↓
アルバイト、派遣などの不安定な仕事しか就けない
↓
福祉不十分
↓
貧困へ
この貧困に向かうスパイラルな道から抜け出すために、遺児たちには教育費が必要です。
12年連続3万人を超える自殺社会。お父さんを自殺などで亡くした遺児は、精神的にめちゃくちゃです。
フツーの子どもの何倍も何十倍もしんどい人生が、小学生、中学生から始まります。
支えあっていく、分かち合っていく、その思いを行動にしたいものです。。。
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
先人の名言は、現代においてなお活きています。意気揚揚の時、くじけたとき、凹んだとき、落ち込んだとき、いろんなときに
勇気や希望やなぐさめを与えてくれます。
でも、人がある特殊な状態にあるときは、はたしてこの名言も心を射抜かないことがあります。
そのひとつ
自殺するしかない――と追い込まれているとき。
自殺の原因・キーワード
多くを乗り越えていない自分が列挙するのは上から目線かもしれません、、、お許しください m__m
事業の失敗 倒産 借金 破産 連帯保証人 失業 就職難 リストラ 派遣切り 負け組 評価主義 貧困 格差社会 使い捨て 過労 ストレス 自己責任 物質至上 しがらみ 退職 不眠 過呼吸 はげ 失語症 ホームレス 仕事の失敗 ノルマ 上司との不和 不眠 濡れ衣 おれおれ詐欺被害 病気 がん 不治の病 不慮の事故 難病 介護 人間関係 いじめ パワハラ セクハラ 見栄 プライド 神経症 うつ病 育児ノイローゼ DV 家庭内暴力 親子断絶 嫁姑問題 相続問題 浮気 レイプ 性的虐待 マリッジブルー 妊娠 人工中絶 障害児 無関心 孤独 孤立 失恋 色情 アルコール依存 ドラッグ 顔・スタイルのコンプレックス えこひいき 近親者の自殺 殺人被害者遺族 冤罪 |
2・30年前、いや数年前、こんなことばあったかなあっていうのがかなり増えました。
「こんなことで何で死ぬんや」と思われるものもあるでしょうが、その人にとっては生死をもかけるほどの悩みだから、自殺まで考える。
悩みは相対的です。また、今は「勝ち組」の人も、周囲のリストラなどでこんどは自分の任務がどんどんタイトになり、過度のノルマ、過労へと。。。
悩み苦しみが一つから二つになり複数になり、、、
ex)倒産+借金→孤立→うつ病
「ま、いざとなったら、何もかも捨てればいい。消えてしまえばいいさ」 などと思ううちはまだ余裕がある。
「自殺するしかない」気持ちがいよいよ迫ってくると、もう自分であれこれ手段を見つけようというこころの内の作業はストップし、
視野が極端に狭くなる。いや狭くなるというより小さくなる。点になる。眼は開いているんだけど、見えない。景色が。周りが。
考える、思考する、という血のめぐりがなくなる。
そして、先人のように 「急ぐべからず」 とはいかない。
死に急ぐ
自殺による死を遂げた場合の死後の魂の状態はどんな宗教でも、いや宗教でなくても、明るくは描かれていません。
むしろその正反対の真っ暗闇の暗黒界の最下層に陥ります。参照→自死―シルバーバーチの霊訓 シルバーバーチの霊訓
魂が大変な大打撃をこうむります。これは艱難辛苦とか、魂の成長のために乗り越えるという意味での打撃ではないようです。
世の中に急速に浸透してきたスピリチュアル、因果律、カルマの法則で考えると、
人が、この世に生まれてくるときに、持ってくる課題や生きてく間に清算していく課題の中に 「自殺」などというような課題は決してないそうです。
自殺・・・霊長類であるヒトが死を自分で選択して実行するなどということは、因果の法則から外れたものなのだそうです。
因果の法則からすれば、自殺する自由意思なんてない。存在しない。
つまり、自殺、自死などという選択肢は、因果の法則にはない、と言ってもいいすぎではないと思います。
だから、自殺は絶対に、しちゃいけない、と私は思うんです。
生んでくれた親にすまないとか、家族にすまないとか、いろんな人に迷惑かけてすまないなんてものではすまないようです。
さらにさらに、魂のとらえ方として、類魂というのがあります。
以前、浅野和三郎氏の「永遠の大道」を拝読したとき、難しくってよく理解できませんでしたが、類魂というのがあって、
これは地上での家族、親族の集団ではない、いわば霊的集団というようなもので、
仏教でいう業(=カルマ)は、ほとんどは自分自身の前世の業ではなく、自分よりはずっと以前に地上生活を営み、そして自分の地上生活の模型を残してくれた類魂の一つがつくった業なのである。同じように、自分もまた自分の地上生活において、同系の他の魂に対しての模型を残すことになる。こうして、われわれはいずれも独立的存在であるが、同時にまた種々の界で連動的に働いているところの他の類魂の強烈な影響を免れないのである。 |
ヒトというのは、一人一人はばらばら、一人一人はみな違います。各々の霊格をそなえています。手で例えると、指(=ヒト)はばらばらです。
が、その深層では、指(=ヒト)は結局ひとつ(掌の部分)になっている、というスピリチュアルの考え方もあります。
ここまでくると、自分の人生を勝手に終わらせるということは、自分とかこの娑婆世界での人間関係に対する責任だけではすまない、
他の魂にも広く影響することになります。
つまり、生きるという行為そのものが、本来は「自分を大切に生きること」です。
自分=類魂=ヒト、となると
生きることはすなわち、その生きる行為がそのまま=「他者を大切にすること」 であるはずになります。
ところがその生を放棄して、自分の決断で自死してしまったらどうなるか?
死んでも依然としてある(感じる)自分という感覚、思念のもっていきどころ、行くべきところ(霊界)が分らないから、
しばらくすると、執着あるところなど(地上界、つまり娑婆)に戻ってくる。そして、同じような波動を感じる相手(生きてる人間)に飛び込む。
どうして?「肉体がほしいから」です。
近年の犯罪・わけのわからない凶悪犯罪に共通してみられる特徴・・・
「殺人の衝動にかられた」「殺せ!という声が聞こえた」「事件の時のこと、刺した時のことを覚えていない」
なども、凶悪犯罪で他界(死刑など)した魂が、行くべきところへ行けずに相変わらず怨念や執着をひっさげて、地上界を徘徊している。
生きている人間、その要素のある人間に飛び込む、命令する。
このような実例は、スピリチュアルでみられる霊界通信に限らず、精神科医による治療でも実際目の当たりにされています。
一例『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話―精神病を除霊で治した医師の30年 スピリチュアリズムによる人類への警告』
カール・A. ウィックランド原著 近藤 千雄訳
日本だけで1998年以降、12年連続、毎年3万人を超える人たちが自殺。
12年でおよそ40万人になりました。もちろんこの数値にはいっていないものも数多くあるでしょう。
400,000人です。これだけの人が集まっているのを想像してみてください。東京ドームの収容人数は45,208人ですからドームの9倍です。
たった10年そこらでそれだけの人たちが、自死している。
なぜ近年、毎年必ず3万人を超えているか?清水康之さんは、そこには歴然とした原因、つまり社会の構造に原因があると言っています。私は、社会の問題ともに、死んでから行くべきところに行けずに彷徨っている魂の存在も原因しているのではないか、
生きている人間に影響しているのではないかと思っています。
だから、どんな理由であれ、自殺はくいとめるべき、そうすることが絶対正しい、と。
(ただし、戦時下のような、自分が死ぬことによって誰か、何かを守るという動機のもとに自ら死を選ぶという意味での自死はまた異なってくると思いますが)
では、自殺をくいとめるためにどんな手だてがあるのでしょう。
こんな実例がありました。
『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ 』より 清水康之(NPO自殺対策支援センターライフリンク代表)&上田紀行(文化人類学者)
ある女性の話。彼女がまだ20歳くらいの頃、ものすごく人生に迷ってしまい、もうこれ以上どうやって生きていっていいのかわからなくなってしまった。ある夜、とうとう家を出た。家出をした。しばらく彷徨っていくと、お寺の前に出た。ふいに、「開いているだろうか」と、足を踏み入れようとしたが、夜中で、門は開いていなかった。インターホンを押そうかまで考えたが、「こんな夜中にインターホンを押すとは迷惑考えろ!」「お前はうちの檀家なのか?檀家でもないのに、寺のインターホン押すな」という声が脳裏に浮かんでしまい、躊躇したあげく、どうしても押せなかった。 再び歩いていたら十字架がライトで浮かび上がった教会の前に出た。ドアを押してみたら、今度は開いていた。しかも中に入ってみるとちゃんと明かりがついている。しばらく礼拝堂に坐って人生のことを考えていた。だんだん気持ちが落ち着いてきた。 というのは、こういうふうに扉が開いているということは、きっと自分がここで泣き叫んで、「誰か助けてください!」「話を聞いてください!」と言えば、きっと誰かが出てきて助けてくれるんだろう、と思った。そう思ったら、だんだん気持ちが楽になって、「ああ、今日は帰ろう。」と思えた。「今日はまだ大丈夫。もっとひどくなって、どうしようもなく落ちてしまったら、またここに来よう」 結果としては、もう二度とこの教会へ足を踏み入れることはなかった。 上田紀行さんのコメント・・・ これは何もキリスト教が人を救えて仏教はだめだと言っているのではありません。 この話の面白いところは、結局誰も彼女の話を聞いてない、というところなんです。教会に彼女は足を踏み入れたけれど、そこで実際に誰かが出てきて、彼女の悩みを受け止め、慰めたわけではないんです。だけど彼女は救われた。 つまり大切なのは、「いつかどつぼにはまっても、自分には助けてくれる場所があるんだ」と思えること。身をもって思えること。 |
◎佐藤初女さんの「森のイスキア」。
東北の雪深い青森――最後の望みを と 身も心も枯れ涸れになった人が初女さんの自宅のチャイムを鳴らす。
初女さんは、自分の思いや考えを「無」にして、またその人の過去とかを想像したりせず、今のその人だけを見て、真剣に耳を傾けるそうです。決して意見などせず、説得もしない。気づけば、その人は自分で重荷をおろして帰っていく。初女さんの愛のいっぱいつまったおにぎりを食べて。
◎東尋坊で見回りを続ける茂さん。
岩壁の水際に立っている人がいちばん欲していることは、「ともに行動をしてくれる人」なのです。
自分ひとりの考えや行動では、もうどうにもならなくなっているのです。だから、
一人でいいから聞いてくれる人がほしい
自分の問題を解決するためにともに歩いてくれる人、悩み事を共有してくれる人がほしい
自分をこのようにした相手を叱ってほしい
今の自分に起こっているいろいろの問題は、自分にとって「いのちがけである」ということを相手に伝えてほしい
安らぎがほしい
休憩所がほしい
自殺の名所に自殺しに来ていながら、茂さんに、誰かに声をかけてほしがっている。
◎自ら自死遺児としてNPO法人自死遺族支援ネットワークReを立ち上げた山口和浩さん
分かちあいの会を新規に作るときに、最初は遺族の方が来なくてもいい。なぜか。
その場所に来てもらうことが目的ではないですからね。
ただその場所があることの安心感が、きっと当事者にはあると思う。
だからこそ、参加者がいなくてもきちんとこの場所を確保していくことが求められている。
◎ライフリンクの「ライフリンクDB(データーベース)」生きる支援の総合検索サイト
一度やってみてください。http://lifelink-db.org/
よくこれだけのものを作成されたものと驚嘆。
相談窓口検索しているうちに、「あ、こういう受け皿があるんだ」「今の社会にこういうところができたんだ」「もうどうにもならなくなったら、
こことかここに連絡してみよう」
それだけでもすごい安心感になります。
魂のことは生きている間はたぶん何が真実かどうかのつかみはできないと思いますが、
ただ単に自殺というものが道徳的に道義的にいけない、許されない、と言うのではなく、
死後のこと、因果律、法則というものを 洗脳的じゃなくて、智慧をもって、霊的にとらえて、お伝えしていきたいです。
そして自身が生きることその行為が、人をおとしめるのではなく、できれば人様に息吹とやすらぎみたいなものを感じてもらえるような
そんな生き方ができるといいな。
ちびちゃんtopへ
2006年6月に自殺対策基本法が公布される1年前の5月30日、NPO法人ライフリンクは「自殺総合対策の実現に向けて」、自殺対策の現場から
「国へ5つの提言」をされました。
自殺対策に関する緊急課題として報告書をまとめても年々自殺者は増え続け、対策は何も行われていない状態。自治体も
「自殺対策?それ行政がやる仕事なんですか」――と。
そして、ライフリンクの代表:清水康之さんは、「もう必要なのは法律だ」、に至る。
これを行政の仕事にしなければ動かない、と考え、国会で関心を持つ方を探し、民主党で自殺問題のワーキングチームを立ち上げた
故 山本孝史さん※と意気投合。2006年4月に自殺対策の法制化を求める3万人署名を展開。結果的に10万1055人分集まる。
自殺対策基本法の火付けとなった「国への5つの提言」の前にその趣旨を述べておられます。
これまでのような民間主導の対策だけでは、深刻化する一途の自殺問題にはとても対応しきれません。なるほど国も、自殺対策の一部である うつ病対策や、自殺についての研究等は行ってきました。しかし、自殺を考えている人からの相談を受けたり、未遂者や自死遺族の心のケアにあたったり、社会全体で行う自殺対策の必要性を訴えてきたのは、実はほとんどがボランティアです。 「年間自殺者3万人」という異常事態に、手弁当の自殺対策だけで抗しきれるわけがないのです。 また、これまでのような「自殺する個人」だけを対象とした対策も、すでに限界となっています。 現代の自殺の多くは、過労やリストラ、社会的孤立やいじめなど、社会的な要因がその背景にあり、自由意思に基づく行為というよりも「追い込まれての死」であると言われています。自殺に追い込まれていく個人だけを対象とした対策では、つまり“対処療法”にしかならず、「人を自殺に追い込んでいる社会」をも対象とした総合的な自殺対策が、今必要とされているわけです。 WHO(世界保健機構)が明言するように、「自殺は、その大半が防ぐことのできる社会的な問題」です。国を挙げて自殺対策に取り組んだ結果、 30%以上も自殺率を下げることに成功したフィンランドの例からも、自殺総合対策の有効性はすでに実証されています。日本でも、そうした取り組みを社会全体で行えば、自殺を減らすことができる―――。 つまり、 「自殺対策についての考え方を変えれば、確実に自殺を減らすことができる」。 ――それもまた私たちの総意なのです。 なお、この『提言』は、あえて研究者や精神科医などの専門家の意見を基礎とせず、自殺対策の現場の実感を頼りに、私たち自身でまとめました。(名宛人は国となっていますが、決して自殺対策を国任せにしようということではありません。官民を超えて協力していこうという趣旨です。) 日本の自殺対策に今必要なのは、研究でも検討でも議論でもなく、すでに分かっている「やれること・やるべきこと」を一つでも多く実行していくことです。こうしている間にも、一日100人近くが自殺で亡くなり、その何倍もの人たちが心に深い傷を負っています。 この『提言』が、全国的な自殺総合対策を実現させていくための、確固たる足がかりになればと希望しています。 |
そして5つの提言のあとに、「自殺総合対策」の具体事例として、各省庁において、「今すぐにでもできる自殺対策」を列記しています。
(詳細は略)
内閣府:『自殺総合対策センター』の設置 総務省:「自殺報道のあり方」についての検討・・・自殺報道が社会に与える影響について検証する。 自殺に対する偏見をなくすため公共教育を行う。 ネット上での「自殺の呼びかけ」に対する介入・・・プロバイダから個人情報の提供を受けるために必要な法整備。 危機介入する上で必要な連携体制の確立。 「ネットを利用した自殺予防」の可能性 文科省:学校における自殺予防教育の実施 いじめ自殺への対策 自死遺族への支援 厚労省:自殺についての実態把握 うつ病対策 労働者のこころのケア 失業者へのこころのケア 自殺未遂者へのケア 自死遺族へのケア 自殺対策活動を担う人材の育成 自殺対策活動を担う民間団体などへの支援 警察庁:自殺についての実態調査 事情聴取時からの遺族ケア 経産省・法務省・金融庁 借金自殺対策 防衛庁:自衛官の自殺対策 国交省」電車への飛び込み自殺対策 |
※山本孝史さん
2006年5月22日参議院本会議で――
カツラをかぶって登壇し、自らの進行した胸腺がんを明らかにした。
がんの公表には勇気がいる。まわりにどう見られるか、不安になるからだ。
http://www.youtube.com/watch?v=skLUObSLNHA
私は大学在学中から交通遺児の就学支援救済と交通事故ゼロを目指してボランティア活動にかかわって以来 「いのちを守るのが政治家の仕事」だと思ってきました。 がんも、自殺も、ともに救える命がいっぱいあるのに、次々と失われているのは、政治や行政、社会の対応が遅れているからです。 年間30万人のがん死亡者、3万人を超える自殺者の命が、一人でも多くが救われるように がん対策基本法と 自殺対策基本法の今国会での成立に向けて何卒、皆様のご理解とご協力をお願いします。総理にも国会議員の一人として、この2つの法案の国会での成立にお力添えをいただけないか、なにとぞお願い致します。 |
2001年、あしなが育英会の自死遺児たちが親の自死を語った小冊子 「自殺っていえない」を手に、自殺は社会全体の問題であり、関係省庁が一丸となって対策に取り組むよう訴えて5年後の2006年6月に
――がん対策基本法 自殺対策基本法はこの国会での成立となります――
翌2007年7月の三軒茶屋駅前。
「私、山本孝史は、今度の選挙 “勇気をもって”がんとともに生きながらまだこんなに元気に仕事ができるよと、立候補しました」
「末期がんだから何もできないではなく、そこから新しいもう一つの仕事ができる」
迷ったすえの参院選出馬、当選。
本会議の初日、やせた山本さんは、酸素ボンベを引いて赤じゅうたんを堂々と歩く。
笑顔で「やるべき仕事がある」。
山本さんはその後も「いのちを大切にする政治」を訴えられ、2007年12月、逝去されました。享年58歳。
自殺対策基本法は成立します。
意気投合して以来、ともに奮闘してきたライフリンクの清水康之さんから故山本孝史氏に贈られたメッセージ
「霊的なものの存在に、私は基本的には懐疑的なのですが、自殺対策の推進においては、山本さんの存在を感じずにはいられない時が幾度となくあるのです。 議員宿舎に弔問にお伺いしたとき偶然、尾辻会長(山本氏とともに自殺対策を考える議員有志メンバー)と再開し、それがきっかけで「自殺対策を考える議員有志の会」の再結成ができたこと。 「自殺実態白書2008」を自殺対策担当大臣に提出したことを奥さまに報告したら、その日が山本さんの誕生日であったこと。 「山本孝史の記録」がライフリンクに届けられたその日に、急きょ自殺対策のことでメディアに生出演が決まったこと、など。 律儀な山本さんのことですから、きっとタイミングを見て、「天から見守っているよ」というサインを送って下さっているのでしょう。そのいきな計らいに感謝しつつ、・・・。 |
娑婆世界で、生きている人間が、一人でも多くのいのちをまもろうと必死に行動している。
生前、人のいのちを守るために、死の間際まで奮闘した魂は、肉体を離れて魂になってもなお、さらに霊界からこの娑婆世界に共助しているのだと思います。
今までに地上界で人類のために心血をそそいてはたらき、行動された多くの先師先哲も、霊界神界から、この娑婆世界に、愛と共助をしてくださっているのではないかと。
2006年、自殺対策基本法は公布されるわけですが、
ではライフリンク自体はどういう理念でどういう方針でやっているのでしょうか。
・自殺が生ずる前に対策を講じて予防につなげる「自殺予防」、 ・今現に生じつつある自殺の危機に介入して防止する「危機介入」、 ・未遂者や遺族に対してケアや支援を行う「アフターケア」 団体としては、いずれかの段階に特化して活動するのが一般的ですが、ライフリンクはあえて、そうしない道を選びました。 代わりに、次の3つの方針を活動の軸に据えて、自殺対策に取り組んでいます。 |
◆「自殺対策の土壌」を耕します 1日に90人。毎年3万人を超える人たちが、この国のどこかで自殺で亡くなっているにもかかわらず、まるで何事もなかったかのように 日常が過ぎ去っていくのはなぜでしょうか。 自殺対策が社会に浸透しないのは、「自殺は身勝手な死(=個人の問題)なのだから、死にたい奴は勝手に死ねばいい」という考え方が 社会に根強くあるからです。 社会から居場所を奪われたり、組織から過度な負担を背負わされたりして、心身ともに追い詰められて自殺していく人が多いという現実が、 社会にはまだ知られていないということなのでしょうか。 ライフリンクは自殺が「社会の構造や価値観の問題」であることを様々な角度から実証することで、自殺対策の「土壌」を耕していきます。 ◆「つながり(リンク)」を作り出します 自殺はタブー視される傾向が強く、自殺対策も往々にして閉鎖的になりがちです。それぞれの組織や団体は、横のつながりを持つことなく、 単独で活動しているため、自殺対策に関する経験や知識が蓄積・共有されることもありません。 ライフリンクは自殺対策をより効果的なものにしていくために、関係者間の「つなぎ役」を果たしていきます。閉鎖的になりがちだった自殺対策を、よりオープンにして活性化させ、実りある活動に育てていきます。 ◆「いのちのあり方」を見つめ直します 社会の中で「いのち」について語ったり、「いのちのつながり」を実感したりする機会が減ってきています。 「人生」や「しあわせ」について語ろうとすると、「宗教がかっている」とか「熱い人だね」などと茶化されてしまう雰囲気が強くなっています。 ライフリンクは、「いのち」について自然に語り合える雰囲気を、様々な場を通して創出していきます。自分の、そして互いの「いのち」に関心を持てる社会にしていくことが、ひいては最大の自殺対策になるはずと考えているからです。 |
この理念が本物だとおもったのは、2009年のライフリンク清水康之さんの年頭あいさつを読んでです。
ライフリンクを立ち上げた時から清水さんが目標としてきたことは、
「一刻も早く会を解散(発展的解消という意味での)できるようになること」。
「ライフリンクの活動が続いているのは、つまり日本の自殺対策が未だ安定軌道に乗っていないことの裏返しでもある。
今年度もまた活動を続けることになった。何とも忸怩たる思いである。」
この清水さんの心情を読んで、脱帽しました。
「自分が、自殺しようとする人や自死遺族、社会に貢献して功績を残そう、賞賛されよう。私がやってあげよう」、なんていう、よくテレビなんかで見かける自画自賛の、さも善人ぶった仮面をひけらかすような人間の動機とは対照的であることがはっきりとわかります。
本当に、ほんとうに、いのちを大切にしたい、何とかしたい、生き心地のいい社会にしたい、という動機から発している、と思いました。
さらにこうもおっしゃっています。
「私の、社会に対する「読み」が甘かったと言わざるを得ない。・・・略・・・
先日もこんなことがあった。内閣府の自殺対策推進会議でのこと(清水さんは内閣府参与)。ある民間委員が、職域と地域の連携が課題ではないかと発言した。この発言に対して、私は、厚労省の担当者が、今年度からハローワークで「こころの悩みメール相談」を始めることを話すと思っていたが、何も発言がなかった。不思議に思い、会議後になぜかと尋ねると、
「質問されてないことを言う必要はないですから」との返事。
「政府一体」「官民連携」「総合対策」などの言葉は、今の自殺対策においては掛け声でしかない。重要な情報の共有すらままならず、「いのち」を支えるために最善を尽くすことよりも、省庁間の利害調整や見栄、己の研究成果などの方が優先されている。「自殺戦争」――敵は一体どこにあるのかと時々疑いたくなる。
社会の化けの皮が剥がれ落ち、問題の本質があらわになった時代。せめて今をそう捉え、抜本的な対策に切り込むチャンスとしよう。さまざまな分野で組織で、確実に増え続けている仲間たちと共に、ライフリンクは今年度も解散を目指して活動していきます。」
ライフリンクは、1000人を超える自死遺族をインタビューすることで、自死した人の「声なき声」を伺い、社会に問題提起しています。
ライフリンクと東京足立区が提携して「自殺対策都市型モデル」づくりを行ったのは昨年2009年5月。
自治体とNPOが連携して推進する全国初の取り組みです。
足立区でのシンポジウムの冒頭で近藤やよい区長が述べた言葉
「私自身長い間、自殺は自ら選択し他人がとやかく言えないもの、という無知による思いこみがあり、恥じ入るばかりです。様々なレクチャーを受ける中、亡くなる方は、決して死にたくて死ぬのではない、死の直前まで生きていく道はないかともがき、最後の望みを絶たれてやむなく自殺に追い込まれていく、という事実を知りました」
例:倒産・経済的理由による自殺
会社社長でもパパママストアの店主にしても、経営者の求める究極は、自己の夢の実現であり、心血を注いで築きあげてきたものが倒産で、崩壊し人生の夢を失う。同時に取引業者、金融機関、連帯保証人に迷惑をかける責任感に苛まれる。ギリギリまで頑張った責任の取り方の一つが自殺なのだ。
2008年ライフリンク主催の第4回「WHO世界自殺予防デー」シンポジウム、パネルディスカッションにて
「平成不況の深刻化がトリガーになっていることは間違いない。でも日本より貧しい国は山のようにある。「たかだか」経済的理由で困窮した程度で死なざるを得ない、そういう貧しい社会的リソースしか持っていないぼくたちの社会。それ自体恥ずべきことで、社会的包括性のなさが問題です。」
(ex今の日本の生命保険の構造・・「死ねば家族を守れる」生命保険制度の落とし穴)
(ex借財時に、会社が返済できなくなったら、経営者が代わりに返済するのが日本の契約。またその連帯保証人制度)
1998年以降、12年連続、毎年3万人を超える人たちが自殺しています。ということは、自殺が12年でおよそ40万人、遺族が約400万人。
遺族の苦しみ
・自殺から守ってあげられなかったことに対する自責→自殺未遂する人がものすごく多いそうです
・世間からの自殺に対する偏見、白い目 「あの家、自殺なんだってね」「自殺はだめだよね。弱いよね」「おくさん何やってたんだろうね」
・親族からの攻撃 「嫁がちゃんと見てやってたら死なずにすんだ」「何やっとったんだ」
・経済的困窮に陥る
・生きていく希望の喪失
・自死遺児の就学断念
法律はできたけど・・・・
「自殺対策基本法」っていう法律はできたけど、それで何が変わるん?
清水康之さんからの回答~
「問うべきは法律によって何が変わるかではない。私たちが何を変えていけるかだ」。
確かに基本法は、国や自治体に対して自殺対策に取り組む責務を定めている。
しかし、忘れてはならないのはこの法律は自殺対策の現場のニーズにこたえる形で、現場で活動する私たち自身が国会議員有志と連携して作り上げたものだということである。
「法律はできたけど何も変わらないのではないか」と、斜めに構えるのは簡単だ。でもそれは、「変えるために自ら行動しようとしない自分自身」を正当化することにはならない。その気になれば、この法律を使って行政やマスコミを動かし、社会的な対策を展開させることだってできるのだから、こんな使い勝手のいいツールを使わない手はないのである。
問うべきは、私たち自身がこの法律をどこまで使い倒していけるのか。
基本法の目的でもある自殺総合対策の推進とは、すなわち、「生き心地の良い社会づくり」でもある。だからこそ、国や自治体、全国の民間団体や自死遺族の集い、弁護士や医療関係者などの専門家たち、お坊さんなどの宗教関係者、それに企業や財産など、あらゆる立場の人たちがそれぞれの得意分野を活かしてほしい。
なるほど、
先にあげた各省庁の取り組み例しかり、
東京足立区をモデルとした自治体の取り組み、秋田県のこころみは、官・学・民の連携で先進的です。
民間では、
いのちの電話
多重債務による自死をなくす会
自死遺族の会
あしなが育英会
自殺防止センター
分ちあいの会
などは全国的に会が分布しており、全国レベルの展開をしています
また個人個人のつどいでも
東尋坊での茂さんの活動、蜘蛛の糸の会、佐藤初女さんの森のイスキア※http://www.youtube.com/watch?v=m68-sIwMAoQ&NR=1
など有名な知名度のあるものから
表には全く出ないでも、地道に活動しているものは、たぶん数えきれないぐらいあると思います。
そう、たったひとりで、今から始められる。できること、やれることはいっぱいある。
ちびちゃんtopへ
炊き出し
今日は初めて炊き出しに行ってきました。
名古屋の豊国神社に隣接する中村公園の一角です。
神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity,略称M.Cミッショナリーズ・オブ・チャリティー)が行っている炊き出しです。
海部郡七宝町にある神の愛の宣教者会で、炊き出し用のおにぎりを作るお手伝いはしても、炊き出しに出かけたのは今日が初めてです。
公園に行くと、すでにシスターはじめ、炊き出しボランティアの方々は来ていました。
ボランティアの人たちは初対面なのに、お互い見るなりにっこり、「お手伝いにきました」だけですぐ馴染める不思議は雰囲気。
特別なあらたまった挨拶も気遣いも必要ない。
炊き出しされるシスターはじめ、ボランティア、お食事する皆さんの心もちが反映されているような気がします。
メニューはおにぎりに、超具だくさんのお味噌汁。(これがまたおっきいおにぎりです。フツーサイズの2~3倍)
びっくりしたのは長蛇長蛇の列です。
もう何年も続いている炊き出しでしょうから、頂く方も慣れていて、きちーっと整列。何のトラブルもなく、順番に並んでおにぎり・お味噌汁を受け取っていかれます。「あ、どうも」「こんにちは」「ありがとう」と声を出す方もいます。
ボランティアさんで炊き出しをもらう方もいます。
人数が多いからか、おにぎりはまず1個ずつ配り、余ったので、2順目開始。皆さんはまたそのまま並びます。
手作りきびだんごも登場。最後の方はおそらくコンビニからの廃棄処分前のパンやら弁当やらを受け取る人も。
気づいたのは、大変失礼な言葉かもしれないですが、真夏の夕方4時半、
一日いや数日分の汗、排泄物、外のほこりをしっかりあびてるはずなのに、皆さん臭くない。こぎれいです。
中にはホームレス人生の年季の入った感じの老人(日焼けしておひげぼうぼう)もいましたが、
かなり多くの人は、見たからに、普通。道行くひととそう変わりないんです。
ふつうのおじさん、おばさん(3・4人いました)です。
そして、意外に若者が多い。別にうつうつした雰囲気もなく、さらりとおにぎりを受け取っていかれる。
これをどう受け止めたらいいのか。
「ホームレスっていうと、何か汚い、ふれたくないイメージだったけど、なんだふつーのおじちゃんじゃないか」などと感じると思います。
実際そういう感想の話は聞きます。
私はなんか怖くなりました。
つい先日まで普通に会社などで仕事をしていた、今も日雇いで働いている。アパート代が払えなくなってアパートを出て、今はホームレス。
つまり熟練型ホームレスと、普通の生活の中間層にいる感覚の人たちが非常に多い気がするんです。
みなさん髭もそってて、爪もそうのびてない。どこで洗ったか、髪もネバネバしてない。ラフだけどフツーの服装です。
でも屋根がない。屋根のある部屋で、布団の上で寝れない。暑くてもエアコン、扇風機がない。借金を抱えているかもしれない。
病気にかかって治せてないかもしれない。
ホームレスというのが、何かいとも簡単に、明日にでもなってしまいそうな、そんな危機感を感じます。
今の日本にいったいどんなに多くの人がいとも簡単に屋根のない、布団のない生活を余儀なくされているのでしょうか。
修道院:神の愛の宣教者会 〒497-0011 愛知県あま市七宝町安松1丁目15
052-441-5141 (日本には東京と あと別府にあるだけです)
田舎です。田圃のまん前にあります。
平屋の建物を目の前にしただけで、何とも言えない癒し、清浄、清らかなさわかやな愛を感じます。
入口はいつも開放、あけっぱなしだそうです。
月 水 金 午前中10時ぐらいからと午後から おにぎりなど作ります
16時ごろ修道院を出発 月 金は中村公園 水は名古屋駅近くの西柳公園です
だれでもフラッと来てボランティアできるようです。申し込み必要なし。
宗旨宗派も関係なし。
私は、クリスチャンではないです。マザーテレサの宗教的精神に心惹かれますが、信仰として入ろうというのではなく、
マザーテレサの生き方、行動に対して、自分なりの共感をするからです。
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闇の中に光を見いだす
内閣府参与の対談
2008年12月暮れ、東京日比谷公園での年越し派遣村でマイク・メガホンを持って、派遣切り、貧困問題について熱く語る湯浅誠さんは、
1995年からホームレス支援、貧困問題に取り組んできた方。
2009年に全国のハローワークで、ワンストップサービスが実施されました。
貧困状態にある人は、ひとつの問題に限らず、いくつかの問題を複合的に抱えています。
ところが、失業手当の申請や仕事を探すのはハローワーク、住むとこさがしは不動産屋、
生活保護の申請は役場、うつの相談は病院、借金返済の相談は弁護士による相談窓口へ云々・・・
というように、相談窓口がばらばらのため、移動する交通費さえない人たちにしてみれば、
そこまでたどり着けない。仕事だけ見つかったとしても、住む家や生活資金のことが解決されないと
働きに出ることができないため、結局、仕事もおじゃんになるなど、困難をかかえていました。
「ワンストップ・サービス」とは、これらの相談・申請がひとつの場所でできる、職業相談・住居・生活支援の相談・手続が1か所でできるようにするものです。
11月30日に全国77カ所のハローワークにおいて試行実施し、12月も行われました。
2006年、自殺対策基本法が制定されました。
今まで、自殺の問題は、あくまで個人の問題であって、側から語ることは避けられてきた問題。
しかし、1998年より毎年3万人を超える方が自死を選択する中で、「もう取り組みではいけない。法律が必要だ!」と叫んだ方がいました。
元NHKディレクターの清水康之さんです。
清水さんは、親を自殺で亡くした遺児のことを「クローズアップ現代」の番組で作成してから、
自殺問題に取り組み始めます。
あしなが育英会のセミナーに子ども(遺児)と参加して共に生活し、自殺を取り上げた番組作成に
意欲を燃やしますが、なかなか取り上げられず。
以後、NHKの中にいたのでは思い切った取り組みができないと、NHKを辞め、
NPOライフリンクを立ち上げます。
今年、「自殺対策100日プラン」が実されました。
毎年自殺の多いのが3月・4月・5月。この100日の頭の3月を自殺対策強化月間として、とりくんだのが
睡眠キャンペーン。地下鉄や電車の張られた「眠れてますか?」のフレーズ広告。
自殺者層として多い中高年は、「大丈夫?」「疲れてない?」と言われてもなかなか弱音をはかない。がんばってしまう。
でも「最近眠れてる?」なら答えやすいのではないか、というので、うつの初期症状を発見する目的もあります。
さらに、自治体独自の取り組みとして、東京都荒川区・足立区では本格的に生きる支援のネットワーク構築が去年から始まっています。
ライフリンクの取り組みが「ライフリンク通信」で報告されています。
自殺の実態、社会的問題の分析、地域ごとの実態、全国でのとりくみ、行政・自治体での立ち上げなど、生きやすい社会にするために、
こんなことをやってくれているんだ、こんなことが実現できるんだ! が分かってきます。
ライフリンクに依頼すれば、最近の通信をまとめて送ってくれます。結構な量なのに、無料で。「みなさんに広めてほしいから」だそうです。
HPではものすごい分析と調査量が分かりやすく緻密に開示されています。しかも、困ったときのデータベースDBが細かくできていて、
駆け込み寺がすぐ見つかる、まさにすばらしいの一言。
ライフリンク通信申込→http://www.lifelink.or.jp/hp/newsletter.html
「貧困」も「自殺」も、何か忌み嫌われるような暗い話、自分とは関係ないから考えない、というような冷めた意識の中でしたが、
それはもう時代遅れの感覚です。自殺のことを真剣に取り組み始めた自治体もあります。
日本の風潮は、まずは横並び。みんなでつるんで連鎖して反対して、制度としてあげない。でもそのうちひとつ、突出したところが出てきて、
しかもいい調子で成果をあげれば、「じゃあうちも」というところが少しずつ出てきて、だんだん増えていって広がっていく。そんな社会。
全国いろんなところで多くの方々がそれぞれの活動をしてきたから、今それが社会に反映されてきつつあるのだと、思います。
そして、実際の取り組み、法律化に至るまでに大きな関わりをされた若きお二人の存在があります。
現在内閣府参与である 湯浅誠さんと清水康之さんです。
私から見れば豊かで安定した家庭に生まれ育ったお二人が、経験されたことのない貧困・自殺という社会のいわば暗闇に焦点をあてて
取り組まれている様は、どうして、そこまでできるのか、不思議でしようがありません。
お二人の対談の様子が本になりました。
「闇の中に光を見いだす」
市民活動の現場にいたお二人が、いきなり政府の中に入って、もがかれる様が対談の中で語られています。
内閣府参与という役職は、いわばアドバイザー的存在で、意見はできるが、権限がない。給料は高くないわけです。
湯浅さんは、
「いわば「一本釣り」されて内閣府参与となったのは、とりあえず現場の意見を汲み上げるための方策という点で過渡的・実験的な性格を
持っていると思っています(一人だけポチャンと官僚の中に投げ込まれて、さあやってみろ、というのは矛盾の凝縮体でもと思いますが)」と
おっしゃっています。
以下、本より抜粋~~~
<行政の壁にぶつかって>
湯浅さん:
ワンストップ・サービス・デイの施行実施をどこの自治体も「うちだけではやりたくない」と、相すくみ状態になる。・・・・・中略・・・・・・
国がこんなに力がないとは思いませんでした。私としてはかなり苦しかった時期でした。・・・・中略・・・・・・・・・・・・
清水さん:
誰かが意図的に悪循環に陥らせようとしているとは思いたくないし、思わないようにしているのだけれど、見えざる手が働いていたというか・・・。
その悪循環は、自治体との交渉の前の、厚労省の会議の段階から、ひしひしと感じていました。・・・・・中略・・・・・・・・
厚労省の会議では「そんなことでは自治体を説得できない」「それは時間的に間に合わない」など、とにかく無理だ、難しいという。・・・・・
湯浅さんは現場から全体のことを考えているから、そこで、踏みとどまる。その攻防たるや。
「またの機会にしましょう」となりかねない局面が何度もありながら、湯浅さんが立ちはだかって、当事者(貧困者)の代弁をしてきた。・・・
会議の中で空気がはりつめてきたときに、湯浅さんが押し切ろうとしているのを見ると、
「ああ、この人は何がモチベーションでここまで立ちはだかれるのかな。でも、こうやって立ちはだかるやつがいないと、支援策のはざまに
落ちてしまう人(貧困)が増え続けてしまうわけで、きっと湯浅さんもいろんなところで、いろんなものを背負ってきたからなんだろうな」
と思ったりしていました。それで別に高い給料をもらえるわけでもないし、得することは何一つないのに。
湯浅さん:ははは(笑)。
清水さん:
一つの判断で支援の幅や内容が変わり、どれだけの命が救われるか、どれだけの人が解放されるかの選択が
迫られる会議で、(官僚からの)できない、できないという雰囲気が広がってきたときに、
「これはこうしますから、こうしてください」と湯浅さんが言って押し切ったあとの、厚労省の人たちの愕然とした表情とか、
湯浅さんが次の話にクロスさせて進めていこうとしたときの、まわりの「ちょっと待って、どうなっているの!?」
といった(うろたえた)感じとか。
これが映像として撮れれば、対策の意思決定上の構造的問題を明らかにすることができると感じたから。
取材陣は会議のところはいわゆる「頭撮り」で、最初しか撮影が許可されない。
閉ざされた空間の議論で、壁を前にして心が折れ、いつ妥協してもしかたがないような状況の中でも、湯浅さんは妥協しなかった。・・・
自分は自殺対策の分野で、それなりに妥協せずにやってきたつもりだけれど、こういうふうに湯浅さんが他の分野で闘っている、一念、岩をも通すという姿勢には、心揺さぶられるほど感動的なものがありました。
湯浅さんが神経をすり減らしながら、立ちはだかっている。これは自分も・・・・・中略・・・・・・・・
湯浅さんに会って感じたのは、まだ日本社会も捨てたものじゃないと。湯浅さんがいなかったら、
年末のワンストップ開催など、ありえなかったし。
自殺対策の観点からも、どん詰まりに追いつめられて、死ぬしかないと思っていた人たちが、あのワンストップを通じて、
やっぱり生きていこうという思いに変わったのは、単なる数字には表れてこない重みがあります。
内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後
2010.3.6 いったん内閣府参与を辞職したときの湯浅さんのメッセージ
抜粋
全文は→http://www.labornetjp.org/news/2010/1267807607040staff01
今回就任するまで、私にとって「霞ヶ関」との関係は、会議室で向き合って交渉するか、正門前でハンドマイクを持ってアピールするか、 しかありませんでした。中で具体的にどういう人たちが、どういう議論をして、どうやって政策決定をしているのか、さっぱり知らなかったし、 見えませんでした。・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (内閣府参与としてやるようになって)逆に私は、活動の仲間から「見えない」と言われるようになりました。 (会議の)中ではバタバタグチャグチャやっているのに、外からはその様子が一切見えない。ブラックボックスのようだと感じました。 そして、外に見えるのは、どこまで本気で言っているのかよくわからない「官僚答弁」ばかり。 これでは官・民の心理的距離は広がるばかりで、見えないことによるフラストレーションが不信感を惹き起こします。 私が見聞きする官僚批判の中には、もっともだ思うものもあれば根拠のないバッシングと感じるものもありますが、その背景には 「見えない」ことによる疑心暗鬼があるのではないかと思います。・・・・中略・・・・・・・・・・・ しかし、こうした官民の相互不信は、結局誰も幸せにしないのではないかと思います。・・・・・ そして私は、そうした両者の溝を少しでも埋めるために、官民の間をもっと頻繁に行き来する人たちが増えるべきではないかと感じています。 いわゆる「新しい公共」という概念では、公共を担うのは官だけではない、とされています。しかし現実問題として、民からは官がどう政策決定をしているのかさっぱり見えない、官は民を政策決定プロセスから排除するという中で、「ともに担う」ことなどできない。もっと、政策決定プロセスを知っている民間人、現場を知っている官僚が増えるべきではないでしょうか。 |
また、清水さんのことを語った、文化人類学者:上田紀行さんのことば。
※上田紀行さん――学者であって、ご本人も自殺と切っても切れない重みをかかえて生きている方。
「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ より抜粋
そして彼(清水さん)は泣く。講演でも、自死遺族の青年たちのことを思い出して、絶句して泣く。日本の自殺を止めるためにとNHKを辞めたものの、活動はまだ成果を生み出さず、生活(自身の)も困窮し、孤立無援観に苛まれていたときに、元の上司が頑張れよ!と支援してくれたありがたさを思い出しながら、対談の間にも絶句して涙ぐむ。一見クールなイケメン青年に見えながら、実に熱く、浪花節な奴なのだ。 |
こんなにも人のために智慧を働かせ、行動する人がいる。今、日本の大きな問題、「自殺」と「貧困」。
「べつに貧困にも自殺にも自分は縁がないと思うし、ぴんとこないし」、であっても、この湯浅さんと清水さんのような生き方は、とてもいい。
社会に対して、「生きにくい!」と警鐘を鳴らす。活動の中で相手にされないばかりが、非難ごうごうの続く中、岩をも通す念と行動。
湯浅さん41歳。清水さん38歳。この若さで参与として奮闘している。信じられない人たちです。
自分も、周囲から「生き心地の良い社会」にするにはどうしたらいいかな、を工夫して考え、行っていくつもりです。
自立生活サポート・もやい http://www.moyai.net/
自殺対策支援センターライフリンク http://www.lifelink.or.jp/
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アフガン戦争と沖縄米軍基地 上映会(in伏見ライフプラザ)
に行ってきました。
フリージャーナリスト:西谷文和さんがアフガニスタンに飛んで、過ごした、取材した映像をドキュメンタリーにして、2010年7月完成したばかりのDVD。
これから、音声をお伝えします。
2009年1月20日、アメリカに新しい大統領が誕生した。アメリカ初の黒人大統領。
イラク戦争にずっと反対してきたオバマ大統領
何しろ今までの大統領(ブッシュ元大統領のこと)がひどすぎた。
「イラクは大量の破壊兵器を持っている」とか「アルカイダとフセインはつながっている」とか
様々な嘘をついては戦争をしかけた。
この戦争を全面的に支援したのがイギリスのこの人。
世界中からブッシュのプードルと非難された。プー
日本のこの人は、ブッシュのポチと言われた。ワン。
その結果、アフガニスタンとイラクで多くの人が殺されてしまった。
アメリカは、劣化ウランを使い、クライスラー爆弾を落とした。
もしかしたら特殊な神経をマヒさせる毒ガスを使ったかもしれない。
だから戦争をおこしたこの男(ブッシュ元大統領)、この人(ブレア元首相)この人物(小泉元首相)は責任を取るべきだ。GUILTY!
「CHANGE」を掲げるオバマ大統領の姿勢に私たちは大いに期待した。ところが、、、
「テロとの戦いは正義って言ったって、結局人殺しじゃないか。」
「そもそもテロリストって誰?」
「アメリカはなんで戦争ばかりしてるの?」
場所はアフガニスタンの街へ
アフガニスタンは、冬は氷点下まで下がる。
町は表面的にはショッピングセンターなど綺麗な建物が増えたが、一歩町の裏側に入ると、人々の暮らしは極めて貧しい。
窓もない、電気もガスもないキャンプでの生活。凍てつく大地に裸足の子どもたち。
アフガニスタンでの戦争の始まりは、1979年、旧ソ連(またここか・・・)がアフガニスタンに侵攻してきたこと。
これに対しアフガニスタンではアフガンゲリラが応戦した。
アフガニスタンに住んでいた人々は、戦火を逃れるために故郷を捨て、パキスタンに避難する。
パキスタンでの難民生活20年以上。しかしパキスタンは彼らに永住権を与えず、パキスタンから追い出した。
あまりに大量の難民がアフガニスタンに戻ったため、土地や家活は保障されなかった。
そして故郷ではまだ戦争が続いていた。
「カブールに行けば仕事がある」、とやってきたが仕事も家もない。みんな難民キャンプぐらし。
2007年ごろから、アメリカはアフガニスタンとパキスタンの国境で集中的に空爆を始める。
タリバン掃討作戦である。
そして、オバマ大統領になってからは、特に無人空爆という戦法が多くなった。
無人空爆 プレデターという無人機に赤外線カメラを積んでアフガニスタンの人々の生活を監視する。 この無人機を操っているのが地球の裏側、ラスベガスの郊外にあるクリーチ空軍基地。 パイロット室では、一人の兵士がモニターで監視しており、もう一人がミサイルを撃つ。 モニターにテロリストと見られる怪しいものが映ると、ここからボタン一つでミサイルを発射するというもの。 テレビゲームのような戦争である。 しかし、これによって、今、多くの誤爆が起きている。 (DVDのタイトル『GOBAKU』のゆえんです) |
兵士はミサイル発射を終えると、華やかなラスベガスの街を横目に車で走らせ、家路に着く。
ついさっきミサイルを発射した兵士が、やさしい父親に変身し、日常生活に戻る。
今やこれが戦争の最先端の姿なのだ。
2009年10月6日、アッサン・ビビちゃん(遊牧民の9歳の少女)がこのミサイルによる誤爆で全身を焼かれた。小屋で寝ていたのだ。
この誤爆のあった日の3日後、2009年10月9日、オバマ大統領はノーベル平和賞を受賞した。
通訳はこれを「ノーベル戦争賞」の間違いではないか、と云った。
別映像:
ニュース GOBAKUの一端が見れます。
http://www.youtube.com/watch?v=cxUK4WMOd3A&feature=related
GOBAKU音声続き
2009年10月8日、アフガニスタンの首都カブールで、自爆テロが起き、一瞬にして商店街数十件が吹き飛んだ。
13人死亡、80人がけがをした。
壁の向こうにはインド大使館。ビザがおりないことの腹立ちからか、インド大使館に集まる外国人を狙ってのもの。
パキスタンタリバンによる仕業か、と言われた。
アメリカが空爆すればするほどアメリカへの非難が高まり、住民がタリバン化する。
戦争被害者は取材に友好的だが、カメラを向けると顔をそむける青年がいる。
ニュータリバン(避難民キャンプから生まれてしまうタリバン)なのか?
タリバンの正体 |
西谷文和さん タリバンの拠点カンダハールへ。
空港から仕掛け爆弾通りを経て、ミルワイズ病院へ。
病院の中は、悲惨だった。
テロリストと間違って撃たれた子どもたちが溢れている。
病院の中は比較的安全なので、群がっている住民たちにインタビューする。
「5日前、スイカを運んでいたら、タリバンが来て銃撃を始めた。そこに米軍が来て全員を空爆した。」 住人
「米軍はこの子をテロリストと間違えて撃った」 住民
「被害者たちは、アメリカ軍とタリバンの両方から殺されるのか―。」 西谷さん
「その質問はしない方がいい。この中に(タリバンが)いるから。」 住人
「あの男?あの子どもの後ろの黒いターバンの(小声で)。」 西谷さん
「そうだ」 住人
そもそもタリバンはいつどこで生まれたのか。何をしているのか。 1979年、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻した。 旧ソ連と戦うために、各地でアフガンゲリラが現れた。 世界は米ソ冷戦の真っ最中、ソ連の侵略と戦うために、タリバンは組織された。 アメリカは、当然、旧ソ連と戦うアフガンゲリラを支援した。 サウジアラビアのオサマ・ビン・ラディンはこのときアメリカによって送り込まれたアフガンゲリラだった。 旧ソ連とアフガンゲリラとの戦いは10年も続いた。 アフガンはアメリカの最新兵器を使って、ついにソ連を撤退させた。 アメリカからの兵器はパキスタンを経由した。 パキスタンはこのとき大量の兵器を中抜きした。サウジアラビアからの援助もパキスタンは中抜きした。 これが10年も続いたことで、パキスタンは巨大な軍隊を持つことになる。 旧ソ連が撤退したので、これでアフガニスタンには平和が訪れた、と誰もが思った。 が、この後アフガニスタンは内戦に突入する。 ●ドスタム ●マスード ●パヘクマティフル ●ハザラ人将校 それぞれの民族が争った。 ところが1994年、イスラム神学校の青年将校がカンダハールを攻撃。その後タリバンがアフガニスタン全土を制圧する。 マスードとドスタムは北部同盟を結ぶが、タリバンの勢力は圧倒的、そんな中、 アフリカのスーダンに隠れていたビン・ラディンが戻ってくる。 そしてアフガニスタン全土を支配する。 わずか二十数名の青年が決起したのが、なぜアフガニスタン全土を支配するにいたったか? その答えはパキスタンにある。 カスピ海には膨大な石油や天然ガスが眠っていた。パキスタンには石油パイプライン構想があった。 カスピ海からアフガニスタン、パキスタンを通ってアラビア海に抜ける。 一方このルートを通らずにイランを通れば、直通でいける。しかしイランは反米国だ。 アメリカもまたイランを通過させたくなかった。 アメリカ・パキスタンの石油パイプライン構想、そこには大きな問題があった。内戦中のアフガニスタンだ。 アフガニスタンを経由するには内戦を終わらせなけらばならなかった。 しかし、パキスタンが直接内戦に介入すれば、旧ソ連からの攻撃を受ける。 そこで、パキスタンはタリバンを使ってアフガニスタンを間接的に支配しようとしたのだ。 つまりタリバンはパキスタンが作り上げた軍隊なのである。 そしてアメリカはパキスタンの同盟国。アフガニスタンの資金を援助してきた。 その資金でアフガニスタンでは内戦がおこり無政府状態になった。 アメリカ パキスタン連合は石油パイプライン構想があってアフガニスタンの内戦を終わらせたかった。 そこでパキスタンはタリバンを使って終わらせようとした。 そのタリバンに、ビン・ラディンがもぐりこんでいた。 2001年9月11日 同時多発テロが勃発 タリバンはアメリカの敵となりアフガニスタンで戦争がはじまった。そしその戦争は今も続いている。 私たち日本人は9.11事件以後のアメリカやタリバンしか知らない。 歴史をさかのぼると、タリバンはアメリカの軍事支援でできた組織といえる。 なら、アメリカは一体どこと戦っているのか>>> アメリカが進めるテロとの戦いはマッチポイント、つまりアメリカによる自作自演の戦争なのか。 |
所はイラクのバグダットへ
女性と子どもの支援センター
イラク戦争のあとから、イラクでは異常事態が発生している。
口や鼻が割れたままで生まれてくる赤ちゃんで待合室はあふれている。
手の指がくっついている。膝から下がひん曲がってとぐろをまいている。かかとに穴が開いている。
血液が少ない。白血病。etc
原因は劣化ウランだった。
これがアフガニスタンでも使われた。これだけでも許せない。しかし劣化ウランだけにとどまらなかった。
4歳でたった9kgしかない男の子はアメリカによる爆撃のあとから、呼吸困難になり息ができなくなった。ご飯を食べられなくなった。
胃に穴を開けてチューブで栄養を摂っている。
診断によると、毒ガスのようなものを吸っている。
戦争で毒性のあるものを使ったらしい。
場所はバーミアンの遺跡へ
世界一を誇る大仏(西の大仏と東の大仏)。現地ではブッダと呼ばれた。
2003年、この大仏がタリバンによって爆破された。
この地には今、500万ともいう無数の地雷が埋まっている。旧ソ連が残したものだ。
そこにアメリカの爆弾投下があった。
タリバンの時代、アフガン女性は、外で働くことも、学校にも行けなかった。現政権下でも女性地位は極めて低い。
空爆で、地雷で手足を失っても、十分な医療すら受けられず、家に閉じこもっているのではないか。
オバマ大統領が就任直後に行ったこと
それは、巨大な公的資金をつぎ込み、金融機関を救済したことだった
失業者や を救ったのではなかった。軍事費を削ったわけでもない。
オバマ氏の選挙資金は、史上最高の最高の6億ドル。
ヒラリー・クリントン、マケイン氏といったデッドヒートに打ち勝つためにはどうしても巨額の資金が必要だった。
これだけの資金は一体誰が出したのか?
サブプライムローンで大儲けしたゴールドマンサックスやシティバンクグループなどであった。
政府と兵器産業、金融機関、これらが癒着すればどのようなことが起こるのか |
ユナイティッド○○社は役に立たない戦車を多数抱えていた。これらを購入、改造して巨大な利益を得た会社があった。
その名は、カーライルグループ。
この会社の代表権を握っていたのはパパブッシュ。ブッシュ前大統領だ。
ブッシュ前大統領が就任した2001年、政府は多くの戦車を購入し、カーライルグループはユナイティッド○○会社の株式を上場。
巨額の富を得た。
まさかオバマ大統領はここまではしないと思うが、強欲なウォール街のやからから巨大な資金をもらった時点で、
彼らに取り込まれてしまったのではないか?
強欲なやからは日本も同じ。同じ事業仕訳をするのならもっと、、、
場所は沖縄へ
沖縄にはアメリカ軍基地がある。
この沖縄の普天間基地からアフガニスタンやイラクへ戦闘機が飛んで行く。
日本ではどこに基地を移すか、そのことばかりが議論されている。しかし人殺しの部隊が沖縄から出ていることはあまり報道されない。
大切なのは、戦争をしないこと。戦争させないこと
そうなれるならこのような予算は必要ない。
今後この世に落とされるのが劣化ウラン、クラスター爆弾じゃなくて、本やノートであったらいいのになと思う。
「世界には、戦争しか知らない子どもたちが増え続けている。その子たちに“平和”ってわかるんだろうか。」
「算数は苦手だけど、バクダンは作れるよ。」
「私たちにできることは微力だが、決して無力ではない
一人一人が声を上げること。そして権力者を監視すること。」
音声は以上です。^^
西谷文和さんはまた10月にはアフガニスタンに行くそうです。それまで必死で募金を集めています。
そのおかねを持って行って、空爆された人、子どもたちの医薬品を買うためです。
イラク戦争の時からこういうことをしているそうです。そしてジャーナリストになった方だそうです。
募金のあて先 三井住友銀行:吹田支店 普通 3712329 イラクの子どもを救う会 西谷文和 郵便振込 00970-5-222501 イラクの子どもを救う会 |
イラクの子どもを救う会 イラクの子どもを救う会・ブログ
http://www.nowiraq.com/ http://www.nowiraq.com/blog/
GOBAKU DVDお貸しします。上記の会で1000円で購入もできます。
また皆さんで一緒に見てくれませんか?
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ペシャワール会~ 人水命 27年のあゆみ
現地 中村 哲氏からの報告(詳細はペシャワール会HPをご覧ください)
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/site/
090801index.html
日常生活そのものが戦争真っただ中にあるアフガニスタンで、27年も前から、
医療・水・農業活動をつづけてこられた日本人医師 中村 哲(てつ)さん。
27年も前からですから、あのアフガニスタンをソ連が侵攻し、アフガンゲリラが応戦していたころから、
アフガニスタン内戦、タリバン政府、そしてアメリカによるタリバン掃討作戦に至るまで、
ずっと戦乱の現地で復興活動をされていることになります。えーーー
活動を支えるペシャワール会主催の写真展が開かれています。
名古屋は国際センターで2010.8.19~8.23まででした。
「いったいなんでこんなことができるん?」 が正直な感です。
故・伊藤和也さんとともに復興支援に取り組んだ日本人ワーカーの方から1対1で一からの説明がうかがえました。↓
戦乱と環境破壊で砂漠と化したアフガニスタン現地。 国連などの公的機関は現地から引き揚げ、多くの一般人も故郷を捨てていく中、 残ったのは、逃げるお金ももたない、まずしい人たちでした。しかし、生きるための食糧がない。 この時ペシャワール会の日本人ワーカー20人は帰国せず、現地に残り、パキスタンから援助物資を運ぶ行動に出ました。 砂漠になった大地。水がない。それまでは医療活動を中心にしていた中村哲さんは 「病は後で治すから、それまで生きていて」「まずは水だ!」 になって、砂漠の地に井戸を掘り始めます。人力で。 のべ1600か所掘ったそうです。しかし、井戸はいつか枯れてしまう。 そこで次に考えたのが、用水路を作ること。(えー???) もちろん人力で、気温50度、地表温度70度の日中、掘り続けた。中村哲さんはじめ現地の人たち、そして日本人ワーカーの人たちが。 やがて日本からの支援金が集まり、重機が使えるようになり、6年で25,5kmの用水路が完成。 「このおっちゃんがやったんですわ」 と中村哲さんの写真を指さしてにこにこと語る日本人ワーカーさん。 砂漠の地に水田・スイカ栽培がされるようになった。(茫然) 用水路建設と並行してさらに学校の建設にも乗り出す。 戦乱で両親を亡くした孤児は、うつろな目をしており、生きるすべもない様。 この子どもたちが無償(ずっと)で生活できる寄宿舎も建設。 建ったら、その運営は現地の人にまかせ、日本人スタッフは一切運営には関わっていない。 (普通自分たちが建てた施設、当然しきりますよね。) この活動理念、活動精神、ちょっとやそっとでは理解できません。 |
活動については、ペシャワール会HPや動画が強烈です。ぜひご覧ください。
アフガニスタン活動 動画(ニュース)
http://www.youtube.com/watch?v=7S0_S1S4PMQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kqsU11mkA-A&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=f9S9_txKzCM&feature=related
用水路完成 動画(ニュース)
http://www.youtube.com/watch?v=luyLLA-OExY
↑これらの動画に紐づいて活動関連の動画が他にも出てきます^^
ペシャワール会HP
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html
ペシャワール会報をひとついただきました。HPに載っていないので、一部を抜粋させてもらいます。
2010.7.7 マルワリード用水路開通 地元農民の生存を賭けた働きと 日本の良心の証 2009年度現地事業報告 中村 哲 7年の歳月をかけたマルワリード用水路の開通は、ペシャワール会始まって以来の壮挙であった。 総工費15億円は全て日本の良心的な人々の寄付によると同時に、地元農民も、文字通り生存をかけ、必死で働いた。 その気魄が、3500haの農地を回復し、15万人以上の帰農を促した。 摂氏50度を超える砂漠の熱風、米軍や軍閥の妨害を跳ね返し、自ら生きる道を開いたのである。 折から「国際社会」は、兵力増派を繰り返し、無用な殺戮と報復の応酬で泥沼に陥った。 無人機で反政府勢力の指導者を家族ぐるみ殺し、村ぐるみ焼き払うやり方は、もはや修復しがたい不信と敵意で眺められている。 欧米軍は道義の上で既に破れ去った。 列強のアジア分割から百数十年、暴力的支配の後始末もまた、むき出しの暴力によって血塗られている。 暴力が暴力に倒されるのは、歴史の鉄則である。この状態が長く続くとは思えない。はっきりしているのは、 吾々は何かの破局――自明としてきた国際秩序、価値観、経済的活動等、すべてが問い直される時代のただ中を、生きているということだ。 現在開拓が進むガンベリ砂漠には、興味深い伝説がある。数百年前、ここは緑豊かな大村落があったという。 ケシュマンド山脈から下る雪解け水、雨水が常に小さな川をなし、現在のシギ村は繁栄していた。 だが神は人間を試された。年々水が減ったとき、人々は和せず、わずかな水をめぐって村々が分裂、流血の抗争となった。 その結果、おびただしい人々が死に、村は砂漠の中に消えた――この話は今でもシギ村の人々の間で語り継がれている。 栄枯盛衰は世の常である。しかし、人もまた、自然の一部である。天の恵みを忘れ、天から与えられた相互扶助と和の心を失い、人為の 世界を誇り、傲慢に至れば、自ら作り上げた迷路に陥って自滅する。これは他人事ではない。 現地活動は今後も継続される。吾々は次の世代に何を残そうとするのか。漠々たる熱風の中に消えていった人の営みを思うとき、 蜃気楼のように自分たちの行き着く先を考える。 ライフルや戦車、無差別の殺戮、愚かな人間たちの血の乱舞も、分を忘れた富貴の夢も、飾られた人の言葉もまた、幻である。 砂漠が緑野に変わろうとする今、木々が生い茂り、羊たちが水辺で憩い、果実がたわわに実り、生きとし生けるものが和して暮らせること、 これが確たる恵みの証である。世界の片隅ではあっても、このような事実が目前で見られることに感謝する。 2010年も変わらず力を尽くしていきたい。 2009年は、米国=オバマ政権の方針で欧米軍の増派が更に進められ、混乱がいっそう深まった。 初期兵力(2001年)の12000名から100000名になり、実に10倍に膨れ上がった。犠牲者は過去最悪を記録している。 最近の顕著な傾向は、これまで比較的平穏であった北部で軍事衝突が活発になり、パキスタン北西部および隣接するアフガン東部、南部で、 米軍の無人機空爆が頻発するようになったことである。 2010年2月からISAF(国際治安部隊)は「タリバン掃討作戦」と称して、南部パシュトゥン部族への攻撃を強めた。 しかし、一般住民とタリバン兵を区別するのは不可能である。殺戮されたのはほとんどが普通の農民・市民であったと噂されている。 |
想像を絶した中村先生のプラン 元PMSワーカー 川口拓真 「無謀と思えた建設計画」 (略)・・・・・ 2002年に「緑の大地計画」が発表され、それまでの医療事業と井戸掘り事業に加え、「水路と農業も始める」と 中村先生より伝えられたことを思い出します。 あの当時、荒れに荒れ、渇きに渇ききったあの大地を緑に変えるという計画は、正直無茶だと私は思っていました。 すべてのヤル気を失いそうになるほどの灼熱の岩石砂漠に山塊、集中豪雨による土石流と、用水路に立ちはだかる難関は多く、 ペシャワール会の限界を超えていると思っていました。今でこそ、水路は完工し緑が広がっていますが、何もなかったあの荒れ野に、 大きな用水路が伸びていく日々は、現地で仕事をしていた私でさえ、驚きの連続でした。 国連や米軍でさえ驚いた、25キロの水路という国家級のプロジェクトを、福岡市のマンションの一室に事務所を持つ小さなNGOが やってしまったのですから、なお驚きです。 中村先生は水路現場で指揮するだけでなく、水路の水に浸かり、アフガン人と一緒に泥だらけになって水路を造る姿勢が、 現場全員を奮い起たせてくれました。これまでの現地活動が続いていることは、当然、中村先生のご尽力によるところが大きいと思います。 それと、ペシャワール会に寄付して下さった、支援者の皆さまのおかげであるとも思っています。 アフガンのジャララバード事務所で会計事務をしていて思ったのですが、大がかりな水路工事は、たくさんのお金を使いました。 最初の頃は、スコップで人海戦術だけだった掘削も、ユンボやダンプカーなどの重機が大活躍しました。多くの方々の寄付がなければ、 これだけ大がかりな工事もできなかっただろうと思います。 いただいたお金は遺さず事業に使い、事業を遺す。会計事務をしていて、立派なお金の使い方を中村先生より教えていただいたように思います。 |
無関心の恐ろしさ
戦争と平和の資料館『ピース あいち』で、2010.9.11まで「アンネ・フランク展」が催されています。
広島県福山市にある「ホロコースト記念館」所蔵の展示物です。
ナチス・ドイツがユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を行った背景、最大級の虐殺現場アウシュビッツ強制収容所の様子が
アンネの家族を題材に展示されています。
机に並んでいた資料本の中で、『母と子で見るアウシュヴィッツ』草の根出版会 早乙女勝元 編 を手に取りました。
母と子で見る、、、なんて見れたもんじゃない!アウシュヴィッツの写真などはこれまでにも見てきたですが、この本は、
掲載の写真、伝える事実の文脈も地獄以上といえるものでした。
ピース あいち 名古屋市名東区に近年できた資料館。 http://www.peace-aichi.com/ 自治体の援助が頓挫されたにもかかわらず、平和のために役立てようと考える心ある住民の力が資金・土地・知恵を結集して、2007年5月4日にオープン。苦労の資料館です。 そのためか、駅チカとはいかなかったみたい。 実にさわやかな平和感ただよう建物です。 中に入ると、長机がポンとあって、そこで、おじいさん・おばあさんたちが交代で受付をしています。 事務所と展示室の仕切りはなく、スタッフさん(ご高齢多し)が静かに奮闘しています。 見学者が来ると、さりげなく、そしてやさしく声をかけてくれます。1~3階の各階にスタッフさんがいてくれて、聞けば即座に対応してくれる感じです。こじんまりとした建物ですが、中身はなかなか!!! ホントに小さな子どもも楽しんでふれるコーナーや、戦争の無残さを赤裸々に訴える箇所、手作りの戦時生活再現コーナー等など。 夏休みにもかかわらず、小学生の団体が見学に来ました。さあ、おじいさんたちの出番です。これがなかなかうまい!プロです。ちょっとやそっと練習したくらいではああはならない話術、子どもたちの誘導。 40代ぐらいの年の女性の説明に、子どもは気もそぞろ、ガタガタ。なのにおじいさんの説明にはなぜか子どもたちは「しぃ~ん」とくいいるように、ふむふむと。 若い世代に伝えたい、おじいさんの熱い魂、というのかな、脱帽しました。 名古屋市のこんなところに、こんな平和を目指す美しい学びの館があります。HPも素敵です。時期に応じていろんな催し・映画会をしています^^企画展示の準備も、ボランティアさんの手で一つひとつ進められています。 入館料300円です 軍需工場で空襲を体験した同県愛西市の女性(86)が助産師などの仕事で蓄えた現金1億円と提供くださった土地に建てられた施設です。思いが深いです。 |
そもそもこんな生の写真、どうやって撮れたのか。。。中には、「さあ撮るからこっちを向いて」、ぐらいのアングルで撮った、しかも無残極まりない写真も多数あります。
偶然にもか必然か、その答えを親友が教えてくれました。
ユダヤ人の写真業をする人が、写真を撮る腕があったがために生き残れたのですが、強制収容所に入ってくる人々の写真を全部撮らされた。
数日後には、皆(ガス室へ)送られるって知っていながら、同胞を、子どもたちまで撮らされて、どんなに苦しかったか、
というニュース↓を教えてくれました。http://news.tbs.co.jp/20100819/newseye/tbs_newseye4506001.html
『母と子で見るアウシュヴィッツ』の中には、虐殺の様を描いた絵画もありました。絵の描けるユダヤ人に命じて描かせたとのこと。ガス室の上階に穴が設けられていて、そこから中をのぞかせて描かせて、ナチスは喜んでたそうです。
私たちが目にするアウシュヴィッツの写真や絵画には、虐殺された方々の慟哭の念そのものが入っていたことを初めて知りました。
ならばよけい、風化させてはいけない。封じ込めてはいけない。
ポーランド南部オシフィエンチム(Oswiecim)のアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所跡地に建てられた博物館では、昨年より、老朽化した施設の恒久保存のため、ポーランド政府が各国に資金協力を要請しているそうです。 |
ピースあいちの展示説明の中で、とんでもない言葉に出会いました。
「事実を知りながら何もしなかった一般市民。
抗議しなかった国々(ホロコーストの悲劇は30以上の国に広がりました)。
無関心を装った人々、
また見ているだけで何もしなかった傍観者が、
ホロコーストをこんなにも広げてしまった・・・。」
知っていても知らんぷり、視界に入っていても見ようとしない、それでいて人を目ざとく観察する、そして心の中で勝手に人を裁く。そんな小さな心無い行為の蓄積が、時と場合によって、とんでもない悲劇を引き起こす。
無関心という傍観者であることは、もしかしたらナチスの行為に次ぐもの、間接的に虐殺に加担したことになるのでしょうか。
無関心の恐ろしさを改めて思い知らされ、ぞっとしながら帰りました。
凛として愛 靖國神社の遊就館で上映するために製作された映画です。 「この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は《法の真理》である。
それぞれの溜めをうめてみてください。 私はこんな風になりました 真っ暗闇の心境にある人、自死遺族、未遂の人、予備軍にいる人に対する支援活動、社会への働きかけには、どんな形でもいいから関わっていきたいです。
世の中のこと
それは8月20日、霧の深い早朝。
戦争は終わったはずなのに、
OECDが相対的と言ったのは、 「今までの日本社会がどうだったかを考える必要があります。 その代りに単身赴任出向残業もいとわない。配置転換されても文句言わない。
ちびちゃんtopへ 六角堂
先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧(工事中)
「海ゆかば」の作詞は、戦争当時ではなく、その歌詞は、古代万葉集、続日本紀に遡ります。 意味 海外で亡くなった戦没者約240万人のうち、未帰還の遺骨は約115万体。
生まれてから今に至るまで、肉主霊従に慣らされている私たち。 「どうか、わたしの思いにまちがいがありませんように」 『自殺論』で知られる社会学者エミール・デュルケム(1857~1917)によると、
☆フォーカス☆ 日雇い労働の実態 見えない世界のことであるがゆえに、一個人、一団体による思想、信仰の強制・圧力は避けたいです。
今年は2010年。今からちょうど1300年前、日本では飛鳥地方から奈良の平城京に都が移されました。 自殺― すべての人は良心をもっていてみんなそれに従わなくてはならないのです。 あなたが謙虚であるなら何ごともあなたの心を汚さないでしょう もしあなたが聖人であるなら神に感謝しなさい 考える時間を持ちなさい 祈る時間を持ちなさい 笑う時間を持ちなさい それは永遠につづく若さの秘密 それは神が与えてくれた特権 読書する時間を持ちなさい 親しくなるための時間を持ちなさい 働く時間を持ちなさい 子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。 神は静寂の友です-私たちは神の声に耳をかたむける必要があります。 他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙) すべての宗教は永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。 この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは死を恐れます。 私の秘密をおしえましょうか。私は祈ります。キリストに祈るということは、キリストを愛することと同じなのです。 救われるためにどうしたらよいのでしょうと聞かれたら私の答えは「神様を愛すること。 ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきましたが、キリスト信者たちに会ってがっかりしたそうです。キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります 言葉だけきれいなことを言って、実行していないことがあるからです。 神様だけが、私たちの真の必要をご存知です。愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。 どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。
魂に恥じない行為をする それが喜びになります。 私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。 「ありがとうございました」彼女はそう言って、静かに息を引き取ったのです。 そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。「私が彼女だったら、どうだろう?」 彼女は私に愛をくれました。彼女は、私が彼女にしてあげた何倍ものものを、与えてくれたのです。 死は悲しい事ではありません
彼女は、彼女の言う神の招きに従って、カルカッタにおいて、貧しい人々の中のいちばん貧しい人々のために その愛は彼女の信仰から生まれました。 マザーは、イエス・キリストの「この小さい者たちにしてくれたのは、私にしてくれたのである」 その仕事については、社会事業ではないと言っています。 この世の只中における観想修道者であるということを言っているのです。 マザーは政治的発言をすることには慎重でした。 今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、 他の人をあなたより貧しい人々も含めて愛しているのだということを、行動によって示すことで、 ただ、微笑みかけてあげるだけでいいのです。 だれもが微笑むようになれば、世界はもっと素晴らしい場所になるでしょう。 インドのカルカッタにおいて、マザーは、無一物の一人の人間としてその行動を起こしました。 神よ、今日は孤独の苦しみがどれだけひどかったことでしょう。 ここには、マザーが自身の強い決意のもと、困難な仕事を始めた頃の、 この言葉は、彼女の神への祈りとなっているのです。そして、彼女は、その祈りの通りの生涯を生き抜いたのです。 私の白いサリーは、貧しい人のなかで私も貧しい人の一人だというしるし、 そして、 もし仮に孤児の家がなかったら、子供たちはみんな路上にほうっておかれるのです。 もし、貧しい人びとが飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、 親切で慈しみ深くありなさい 世話するだけでなくあなたの心をあたえなさい 死は自分の家に帰ることですが、人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。そこには良心の問題もあります。”もっとよくやるべきだったのに”と。 死とは人生の続きであり、また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。 日々の、その祈りがなければ、一日たりとも、いや一時間たりともこの献身の生活は続けられません。 宣教者の言葉は、内面からわくのでなければ役にたたず キリストの光を与えないような言葉は、闇を増すばかりである。 喜びは祈りー喜びは力ー喜びは愛ー喜びは人の心を受けとめる愛の網。 神は喜んで与える人を愛される。喜びを持って与える人は、だれよりも多く与える。 キリスト復活の喜びを忘れてしまうほどに、なにかの悲しみで心を満たされてしまわないようにしなさい。 マザーは、今すぐにしあわせでいることが出来る、それには今、神といっしょにいること、と言っています。 神と今すぐいっしょに天国にいることができます。今神といっしょにしあわせでいること、神が愛したように愛し、 喜びを持つということは、性格などの簡単な問題ではありません。喜びを保つことは、いつも難しいものです。 もし、あなたが困難な仕事をかかえたときに、喜びや大きなほほえみでそれを受けたなら、 私は、自分が神の手のなかにある鉛筆のように感じます。主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください キリスト者としてのマザーの愛した祈り(アッシジの聖フランシスコの祈り) 主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いください。 慰められることを求めるよりは、慰めることを 理解されることよりは、理解することを 私たちは自分を忘れ去ることによって、自分を見いだし 許すことによって、許され マザーは、ウィトとユーモアに富んだ明るい人でした。 マザー自身でさえも、仲間のシスターに対して微笑みを向けることが難しいときがあることを、認めています。 介護を受ける重病の人や、看取られる死に逝く人々は、明るさと楽しさと喜びの心をもった真の愛 神の愛の宣教者会の精神は、 喜びとともに苦難をも受け止めなければなりません。貧しい人生を明るく信じて生きなければなりません。 もし、あなたが神に対してつねに「はい」と答える心づもりがあるなら、 マザーとシスターについてどのレポートも常にとても明るく喜びに満ちた人々であると表現しています。 私は道具にすぎません。神のてのひらのなかにある小さな鉛筆のようなものです マザーは、自分の人生について、次のような言葉を残しているのです。 貧しい人のなかのいちばん貧しい人々、人から敬遠されるような病の人々、 神聖な愛です。私たちは、神のために働いています。自分を神に捧げるときそこには愛が存在します。 親愛なる主よ、私がどこに行こうと、あなたの香気を放つことができますように、お助けください。 |
主よ、人々に目を向けさせ、もはや私ではなく、あなただけを見させますように。
説教せずにあなたを宣教させてください。
言葉ではなく、私の生き方によって、私の行いが、人々に共感をもたらすことによって、
私の心があなたに抱いている愛の明らかな充満によって、あなたを説くことができますように
《それでも》
人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。それでも彼らを愛しなさい。
もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか、何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
それでもいい行いをしなさい。
もしあなたが成功すれば、不実な友と、ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。
あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。それでもいい行いをしなさい。
誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。それでも誠実で親しみやすくありなさい。
あなたが歳月を費やして建てた(完成した)物が、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも建て(完成し)なさい。
ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら、彼らに襲われてしまうかもしれません。
それでも彼らを助けなさい。
持っている一番いいものを分け与えると、ひどい目にあうかもしれません。それでも一番いいものを分け与えなさい。
清貧の精神を保持することは、きわめて重要です。
人がその一生を捧げるということは、その真の命そのもの(魂)を捧げることを意味します。
マザーがその死の瞬間まで続けたという事実が、その信仰の真実を物語っています。
己を自覚すれば 人は謙虚になります。神の言葉を、そのとおりに受け取り、なによりも天国を求めること。
この世での私たちの損失は、天国での獲得になるのです。
私たち全員を進ませているのは、与えること、つまり人々の生活に愛をもたらすことから得られる喜びなのです。
最も美しいものとは、一体どこにあるのでしょうか。それは、一人一人の人間の中にあるのです。
世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。愛と共感を用いさせて下さい。
平和は微笑みから始まります。あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。
神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。
マザーの言葉に、貧しい人々はすばらしい(美しい)、という表現があります。
彼女は、富める人々には無いもの(真の自由と幸福)を貧しくも精いっぱい生きる人々の中に見ていたのです。
貧しい人の中で最も貧しい者は自由で幸福です。
この人々にとって多くのことを常に欲し望む人々のことは何でもありません
第三世界の貧しい人は、私たちに、満ち足りるということが、どういうことかを教えてくれます。
これは西欧の人々が忘れているものです。
今のような、開発の時代に人は皆急いでいて、何かを追いかけているみたいで、
端には競争に耐えられなかった人たちが倒れていくのです。
こういう人たちを私は大切にし、こういう人たちに仕え、世話したいと思っているのです。
驚くべきことは、神様がご自分の仕事のために、こんなに不完全な私たちを用い、
会を通して途方もない量の善をつくり出されていることです。
小さなことにいつでも誠実であるように努めなさい。大きなことをできる人たちはたくさんいます。
でも、小さなことを大切にしようとする人は、ほんの一握りしかいないのです。
わたしたちはよく小さなことをおろそかにしてしまうのです。小さなことに誠実になりなさい。
その中にこそ、わたしたちの力はあるのですから。
慈悲深い神にとって、小さなものは何もありません。なぜなら、神はとても大きいからです。
そして、人間はとても小さいのです。だからこそ、神へのわたしたちの愛を証明する機会を与えてくださるために、
あえて神は身をかがめられて、わたしたちにとっての小さなことをわざわざ引き起こして下さるわけなのです。
小さなことを引き起こすのは神なのですから、小さなものは本来とても大きいのです。
神は小さなことは何も行うことはできません。神のなさることは、すべてが無限なのです。
イエスはあなたの近くに、あなたとともにいます。
ランプに火をともしていれば、いつでもイエスを見ることができます
愛の小さなしずくのすべてでランプを満たしていれば、あなたが愛する主がどんなに甘美かわかります。
満ち足りた心は、私たちのまなざし、ふれ方、書くものの中、話す内容、歩き方、受けとり方、
奉仕の仕方などにあらわれます。
心の充満は、このように様々な方法で表現されます
私は、この世に生きたいと願います。神から遠く離れ、イエスの光からすっかり目をそむけたこの世に生きて、
貧しい人々を助け、彼らの苦しみのいくぶんかを背負おうと思います。
ただ貧しい人々と一体になることでしか、彼らを救うことはできないのです。
つまり、神を彼らの生活の中にもたらし、また、彼らを神の御前に連れていくことによって。
神でさえも、神を求めない者には、ご自身を押しつけることはできません。
信仰は恵みなのです。大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。
人を責めるのは簡単にできます。人を恨むことも、憎むことも簡単にできます。
そして、怒ることも、許さないことも、感情的に人を裁くことも簡単にできます。
しかし、人を許すことは簡単にはできません。
特に自分に対して、また自分の仲間(家族、友人、仲間)に対して罪(害)をなす人を許すことはとても困難です。
一面においては、人は、気づいているか気づいていないかに関わらず、
何らかの罪(害)を犯さずに生き続けることはできません。
自分が当然の事として行っていることが、人を傷つけているかもしれません。
時には良かれと思うことさえも、人を傷つけているかもしれないのです。
人には、自分が許されなければならない事もあるのです。
困難ではあっても、お互いに許しあわなければ、平和に暮らす事はできません
マザーは、真に人を愛するためには、人を許すことが必要であると語りました。
人を許すことは、非常に困難で簡単には出来ないことです。
彼女は、真に人を愛するためには、許すことを知らなければならないと言っています。
もしほんとうに愛したいと願うなら、許すことをしらなければなりません。
ほんとうの意味で愛するということは、傷つくいうことなのです。
真に愛するということは、自分が傷つくことをいとわない。マザーは自分が傷ついたとは決して言っていません。
しかし、傷つくほどに与えるのでなくては、マザーの言う本当の意味で愛する事にはならないのでしょう。
マザーは人に愛を与えるなら、自分が痛みを感じるほどに与えなくてはならないとも言っているのです。
思いやりのある行為への最も確かな近道は言葉を使うことです。ただ他人への良いことのために使いましょう。
もしあなたが、人のことを良く考えるならば、人についても良く話すようになるでしょう。
言葉の暴力はとても恐ろしいものです。どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます。
言葉によって傷つき生まれた悲痛な苦しみは、神の恵み以外には、いやすことができません。
マザーは言葉について、その働きを、思いやり(愛、善意)のある行為の、一つの道(方法、手段)として見ています。
同時にその言葉を軽率に用いたり悪意の力として用いたりすると、人を傷つける恐ろしい暴力になると言っています。ここには、言葉が、人間にとっていかに大切なものであるかが、表現されています。
さらには、マザーの体験をとおして、神の恵みが人間に与えてくれる、すばらしい癒しが示されています。
仕事の最中でも、祈ることはできます。仕事は祈りを妨げないし 祈りもまた仕事を妨げることはないのです。
ただほんの少しだけ心を神に向けるだけで良いのです。
愛しています、お任せしています、信じています、神よ、私は今あなたが必要です。
こんな感じでいいのです。これはすばらしい祈りです。
マザーは1997年9月5日病(心臓発作)のため、神の愛の宣教者会にて死去、神のもとに旅立ちました(87歳)。マザーなきあとも後継者たちは世界百カ国以上で活動し、その真の愛(信仰)を実践しているのです。
あなたが信仰しているものに対して、ゆるぎない信念これこそが魂の救済にいたる道なのだ、
これが真理に向かう道なのだという信念をもってやっているのなら、それがその人にとっての信仰のあり方、
真理に至る道なのです。
ところがひとたび魂・神の恩寵を受けると、そこで求めないならば道に迷ってしまいます。
その人が神を受け入れるかあるいは拒絶するか、神様はその機会をお与えになるのです。
「もしも私たちが謙虚ならば、ほめられようと、けなされようと、私たちは気にしません。」
「持ち物が少なければ少ないほど、多く与えることができます。」
「絶望のあるところには希望を、くらやみには光りを、悲しみのあるところには喜びを。」
「愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。」
「この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、だれからも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。」
「貧しい人々の中で最も貧しい人々は、人間の苦しみを負ったキリストにほかなりません
貧しい人々や苦しむ人々のためにその全生涯を捧げ、87歳で逝ったマザー・テレサ―彼女のたどった道のりは
キリストのそれと同じように 苦難と苦渋、そして愛に満ちていた。
彼女によって 救済された人々の間には、喜びと希望が満ち溢れ、やがて世界中に広がっていきました。
彼女の地道な活動の成果を、人は「奇跡」と呼ぶ─。
87年の生涯を、貧しさと飢えと病に苦しむ人々に捧げたマザー・テレサは、'97年9月、
心臓発作のために、この世を去った。奇しくも仲がよかったと伝えられるダイアナ元皇太子妃の葬儀前日のことで
彼女の死は、全世界に悲しみをもたらした。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、
「マザー・テレサは、打ちひしがれたすべての人々に神の慈しみを感じさせた類いまれな人物として、
20世紀歴史に刻まれる」と語った。だが、その名が歴史に刻まれるのは、彼女の本意ではないだろう。
質素なサリー、素足にサンダル、手作りの布袋──彼女は世界中どこへ行くときも、このスタイルだった。
私物はいっさい持たず、名声も望まなかった。
マザー・テレサが望んでいたのはただひとつ、貧しい人、病む人、苦しむ人のために働くことだった。
なぜなら彼らの内に、”キリスト”を見たからである──。
「持ち物が少なければ少ないほど、多く与えることができます。」
神の声を聞いた彼女は、修道会を離れ、修道服を脱ぎ、質素なサリーを身にまとい、
粗末なサンダルをはいて雑踏に立った。
彼女はたったひとり。修道女になって20年の歳月が流れ、このとき、ポケットにはわずか5ルピー、
今の価値にしてたった20円ほどのお金しか持っていなかったという。
「道ばたで男性を助けました。体中ウジだらけで、だれひとり助けようとしませんでした。
体を洗ってあげると、彼はいいました。
『なぜこんなことを?』私は答えました。あなたを愛しているからです──と」
毎晩、彼女は疲れ果てて戻ってくる。
質素なサリーにサンダルという格好だったために、頭のおかしいシスターだと思われて、
相手にされないこともあった。ときには石を投げつけられたりもしたという。
「(私のもとへ来た)シスターたちの仕事は、人の理解を超えています。
その仕事ができるのは、手を触れる相手が、神の子だからです。
つまり、貧しさにあえぐ人は、姿を変えたイエスなのです。」
「この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、だれからも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。」
与えてください。あなたの心が痛むほどに。
何でもないほほえみが及ぼす効果には,計り知れないものがあります
主よ、私は思いこんでいました。私の心が愛に漲っていると。
でも心に手を当ててみて、本音に気づかされました。
私が愛していたのは、他人ではなく、他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は思いこんでいました。私は与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は信じ切っていました。自分が貧しい者であることを。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。
実は思い上がりと妬みとの心に、私がふくれあがっていたことを。主よ、私が自分自身から解放されますように。
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うつ病
神経内科クリニックの先生にお話を聞きました
ここ数年の間、うつ病と診断される層として、大手企業の中間管理職が目立っているそうです。
中間管理職は、職場のチーム向上、職場の雰囲気や部下のやる気アップのためのリーダーシップ という重要な役割負っています。
中間管理職の心が折れてしまうことで、企業が経営上大きなダメージを受けているそうです。
部下と上司の役割を完璧に演じつつ、自分の資質配分も気にする必要がありとても難しい職種です。
関与する上下の人間が多いだけに、日頃から受けるストレスも大きいのでしょうか。
「自分はもしかしてうつ病かな?」と思っても、
「周りはもっと頑張ってる」、とか、「自分は甘えようとしてるんじゃないか」とか、
「とりあえず今度のイベントまで乗り切ろう」、などど言ってるだけでなかなか受診に至りません。
そのうち、うつ病の症状、無気力が出て、自分で病院に行こうとする気力すら出てこなくなります。
また受診するにも、どの病院にするか。。。。で困ります。
病院は、人からのアドバイス、紹介なども参考になりますが、
やはり、本人に合った先生がいいので、
必ずしも名医とか、紹介などにはこだわらなくて、別にかかりつけでなくても、飛び込み受診でもいいと思います。
また、アルツハイマーや認知症の検査も希望なら、CT検査のできる病院をお勧めします。
問診で、先生にしっかり話して、共感してもらい、その後、採血→そしてうつ病診断テスト、という流れです。
治療の一例として、セロトニンを増やすための薬物が使われますが、
①
②薬物
③
④
あくまでも薬は①ではありません。
①番に来るものは、その人のうつ病の一番原因となっているものに対する一番最良の方法です。
たとえば、オーバーワークが原因であれば、①にくるのは休養でしょう。
③④も①につづく大切な方法(例:環境を変えること、適度な運動など)です。
今は忙しくて、受診どころじゃない場合、
とりあえず、だれかに話を聞いてもらうこと(ここで周りはあれこれアドバイスはしないこと)だけでもかなり軽くなります。
とりとめもなくしゃべるだけでいいんです。
聞いてもらう人がいなければ、ネットなどで うつ病テストを試しにやってみることでも、自分の今おかれた状態が分かってきて
それでかなり癒される、軽くなります。
うつ病の場合は、診断テストで選択肢を選ぶのに迷わず、すっすっとできるそうです。
うつ病とは: 「うつ病」はうつ状態が症状の中心になっている場合に使われる言葉です。 興味や意欲の喪失を生じたり、抑うつ気分により非常に苦しい思いをするなど、生活に支障が生じ、 治療の対象となった場合「うつ病」という表現が使われます。 うつ病患者では脳内の神経伝達物質であるセロトニンやノルアドレナリンの量が減少し、 情報伝達がスムーズに行われていないことがわかっています。 つまり、うつ病は脳内の神経伝達物質の働きが悪くなっていることから起こる疾患で、 決して気持ちの持ち方や精神論で解決できるものではありません。 血圧と同じように症状によってはきちんとした服薬などが必要なのです。 |
うつ病 <図解>
壺にはセロトニンがたっぷり(左壺)→正常です
ところが
セロトニンが底をつくと(右壺)、底面にある、ギザギザ部分・・・社会、家庭、個人の尖ったしんどい部分が
症状として表出されるようになります。
正常 セロトニン うつ病
うつ病の特徴的な症状:9つ
1)抑うつ気分
うつ病の人は「憂うつだ」「悲しい」「何の希望もない」「落ち込んでいる」と悩むことがよくあります。
また、こうした症状は午前中にひどく、午後から夕方にかけて改善してくることが少なくありません。
2)興味や喜びの喪失
うつ病の患者さんは、程度の差はあるものの、これまで楽しんできた趣味や活動にあまり興味を持てなくなります。
何をやってもおもしろくなく、自分の世界に閉じこもるようになります。
無気力のゆえに、人と同調したり、人に共感したりすることが難しくなり、そのことで自分を責めてしまいます。
また、性的な関心や欲求も著しく低下してきます。
3)食欲の減退または増加
うつ病では一般に食欲が低下してきます。そのため体重が減少することが多くあります。
食欲がなくなった患者さんは「食べなくてはいけないと思うから、無理に押し込んでいる」と訴えることがよくあります。
4)睡眠障害
うつ病では不眠がよく現われます。寝つきが悪くなるだけでなく、夜中に目が覚めて寝付けなくなるなどの症状を訴えます。
特に朝早く目が覚める「早朝覚醒」はうつ病に特徴的な症状です。
5)精神運動の障害
うつ病だと、他の人から見てすぐわかるほど身体の動きが遅くなったり、口数が少なくなったり、声が小さくなったりします。
それが極端になるとほとんど寝たきりのような状態になります。
また逆に、じっと座っていられないほど焦燥感が強くなったり、イライラして落ちつきなく身体を動かすこともあります。
6)疲れやすさ・気力の減退
ほとんど身体をうごかしていないのに、ひどく疲れたり、身体が重く感じられるのもうつ病の症状の一つです。
本人は一生懸命やっているのに、着替えなどの日常的なことにさえ、非常に時間がかかる場合もあります。
7)強い罪悪感
ほとんど根拠がないのに自分を責めたり、過去の些細な出来事を思い出して悩むのもうつ病の特徴的な症状で、
1つのことをくよくよ考え込んだりするようになります。
8)思考力や集中力の低下
注意が散漫になって、集中力が低下します。
決断力も低下して、たいしたことでもないのに、あれこれ悩んで何も決められない場合もあります。
9)死への思い
うつ病が重くなると、気持ちが沈んで辛くてたまらなくなり、死んだほうがましだと考えるようになります。
死への思いが頭から離れず、実際に自殺を試みることもあります。
うつ病の人に対して、「ああしろ、こうしろ」の指図は厳禁ですが、
自殺の兆候が見られた時だけは、はっきりと制するべきです。
「愛しています。だから死なないでほしい。生きてほしい。」と。
こうした9つの症状以外にも、頭痛や腰痛、肩こり、胃の痛みなど、さまざまな身体の症状を訴えることがあります。
こうした身体症状が存在するとうつ病が目立たなくなり、つい精神的な面を見逃してしまいがちになります。
このように身体症状のために抑うつ症状が隠れている状態を「仮面うつ病」と呼ぶことがあります。
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3月10日は東京大空襲の日
一夜にして10万人の命が奪われた日です。
この写真を見てください。
お母さんでしょうか。
足元には先ほどまでおぶっていたと思われる赤ちゃん。
お母さんの背中の、赤ちゃんのおぶっていた跡が白くなっています
3月9日から10日に変わった0時から数分過ぎた時、米軍の空襲が開始されました。
低空で飛行するB29から雨あられのように焼夷弾が投下されました。
木造の住宅に空から石油をまかれ火をつけられたようなものです。
おりからの強風に煽られ、30分も経たない内に下町中が火の海になりました。
人々は逃げ場を失い多くの人が犠牲になりました。
①ドイツの空爆で実績を上げたカーチス・ルメイ少将を東京空襲の責任者に任命。
(よほどカーチス・ルメイ少将の写真を載せようと思いましたが、あまりに恐ろしくできませんでした。見たい方は検索下さい)
②カーチス・ルメイ少将は、家屋が木と紙でできていることに注目して、日本専用の焼夷弾を開発。
そして砂漠に日本式の家屋を建て焼夷弾の効果を実験する。
③過去の大火が春先の強風が吹く時期に集中しているというデータに注目し、大空襲の決行日を陸軍記念日の3月10日にした。
④300機以上のB29で地上を嘗め尽くすように焼夷弾を落とす。(1平方メートルあたり3発、総重量2000トン)
⑤最初に空爆目標地の外周、隅田川や荒川の堤防沿いに焼夷弾を落として炎の壁を作り人々の退路を絶つ。
集束焼夷弾E46 : 木造の日本家屋を効率よく焼き払う為、第二次大戦時に米軍が開発した焼夷弾。 一焼夷弾の中に、子弾として38発の焼夷弾を内蔵するクラスター構造を取っており、 投下後上空700mで分離し、一斉に地上へ降り注ぐ仕組みになっている。 |
米軍が着目したその威力のポイントは、爆撃ではなくて、
「焼き尽くす」 ことでした。
家の建ち並ぶエリアで1か所火災が発生すると、エリア一帯はたちまち巨大な火災の倉庫となり、
空中の温度は 瓦、硬化を溶かすほど―1000度に達したそうです。
(東京大空襲・戦災資料センター資料より http://www.tokyo-sensai.net/index.html )
いったいそんな中におかれたら人はどうなるか?
火の粉がつかなくても、自然発火したそうです。 何が? 人が です。
縁者が引き取った遺体 約20,000人
無縁仏・行方不明者 約88,000人
罹災者 1,008,005人
東京の空襲回数 100回以上
カーチス・ルメイ少将の「戦後の回想録」より: 「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。 日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。 木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」 |
カーチス・E・ルメイ将軍は、グアム島在米爆撃隊司令として、広島・長崎に投下された原子爆弾にも深く係っていました。
昭和39年、日本政府は「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との理由から、
カーチス・E・ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っています。
贈ったのは、時の総理大臣で、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作でした。
火災による竜巻によって空に舞い上がる人。
酸素が欠乏し窒息死する人。
近くの川に飛び込み凍死した人。(大空襲を受けた日は、前日に雪が降るほど寒い日で、川の水温は0度に近かったからです)
一夜にして10万人もの命が奪われました。
これが虐殺でなければ一体何なのでしょうか。それとも、カーチス・ルメイ少将の「戦後の回想録」のとおりでしょうか。
「生きたまま焼かれ、」というと、アウシュヴィッツにおけるナチス・ドイツのホロコーストを多くの方が思い描くと思います。
逃げまどう人の塊で、橋は火炎地獄。
頭のすぐ上を火炎放射器のような炎がゴーっと走っていたそうです。
←軍用火炎放射器(B29焼夷弾実験中の米軍)
両親、兄弟姉妹を亡くし、戦争孤児となった人たちは、どんな人生を歩まれたでしょうか。
高度経済成長というスマートな言葉で飾られて、中身は「物 物欲 物」 追及の戦後社会。
ある戦争孤児の女性(88歳)の方が、昨日、ニュースに出ておっしゃっていました。
両親・姉妹と死に別れた橋を渡るとき、「今も目を開けては渡れません」。
無縁仏・行方不明者 約88,000人
戦後、しばらくの間は、東京大空襲の惨劇を黙殺するために、米進駐軍が犠牲者の遺骨を掘り起こすことを禁じていましたが、
サンフランシスコ条約が結ばれた昭和26年ごろから遺骨を掘り起こす作業が進められました。
でも約88,000人の遺骨が収集されるわけありません。
当時 下町の川は死体であふれ、隅田川河口の「お台場」には数多くの死体が漂着しました。
地中には、今なお犠牲となった方々の遺骨があります。その遺骨は決して眠ってはいないと思います。
今なお、生身を焼かれている断末魔の苦しみのままでいるかもしれません。
長い間、口を閉ざされていた人たち、齢80歳 90歳の方々が、重い口を開き、
若い世代に戦争の体験を話している、というニュースをよく見ます。何のために?
いわずもがな
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生きているといろいろしんどいこと多いです。
先日、このようなお話をうかがうことができました。
世の中というものは自分につらく当たるのが当たり前です。それに負けていたら人生には勝てません。
自分のベストを尽くし、自身の信じるものを念じることで立ち直ることができます。
この地球に生まれるということは、つらい経験を伴います。
つらい経験というのは進化を表します。進化するということ。
だから地球に生まれるというのは、進化を意味します。
自分のことをあまり、責めないで、苦しみつらい経験、すべて学ぶ、学習するということです。
マザーテレサ映画祭
名古屋ではアンコール上映が4月17日(土)~4月23日(金)でした
名古屋シネマテーク(千種区今池1-6-13今池スタービル2F(052-733-3959)
他、各地の今後の上映については http://www.motherteresa.co.jp をご覧ください
ドキュメンタリー7本 1本視聴につき、当日1200円 前売900円
今年2010年は、マザーテレサがご生誕なさって100年目にあたります。(1910年8月26日ご生誕)
それを記念して、『マザーテレサ映画祭』が行われます。
この記念すべき年に行われる「生誕100年記念 マザー・テレサ映画祭」では、
その奇跡ともいえる活動の数々を記録した、現存する国内外のドキュメンタリー7本を一挙上映いたします
これだけの作品を一堂に集めるのは “世界初”の試みとなります。
宗教や人種をこえて、世界中の貧しい人々のために生きたマザー・テレサ。
1979年にはノーベル平和賞を受賞。
1997年に惜しまれながら亡くなるまで、彼女はその行いによって「愛」とは何かを世界中に示し続けました。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」「わたしたちは大きなことはできません。ただ、小さなことを大きな愛でするだけです」――。
彼女が残した数々の言葉は強く、優しさに満ちています。
英国BBC放送がマザー・テレサの活動に密着し、全世界にその全貌を初めて知らしめた記念碑的作品
『すばらしいことを神さまのために~Something Beautiful For God~』(69年)、
日本人として初めて彼女の撮影を許された千葉茂樹監督による生誕100年特別記念作品
『マザー・テレサと生きる』(09年)など、名作・新作を交えた珠玉のドキュメンタリーが映し出すのは、
いまなお確実に生き続けているマザー・テレサの精神です。
千葉茂樹監督:映画監督
映像制作を通じて、世界の貧しい人々や弱い立場にある人々の支援を呼びかける映像を作り続ける映画監督。
マザー・テレサとの出会で、人生を大きく転換。
現在、市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校副校長等を務める
マザーテレサの言葉の中で大好きなことばです↓
○魂に恥じない行いをする、それが喜びとなります。
○不親切で冷淡でありながら奇跡をおこなうよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに間違う方を私は選びたいと思います
○この世の最大の不幸は貧しさや病ではありません。
だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。
○持ち物は少ないほど多くを与えることができます。
○なんでもない笑顔にははかりしれない効果があります。
マザーテレサが帰天されて 13周年
1997年9月5日(日本時間9月6日の午後6時)に
マザー・テレサは、87才の生涯を閉じました。
~マザー・テレサのことば~
愛の反対は憎しみではなく無関心です
家庭に愛があれば 穏やかさが生まれます
愛の働きはすべて 平和の働きです
ほほえみや人とのふれあいを忘れた人がいます
これはとても大きな 貧しさです
たいせつなことはどれだけたくさんのことや 偉大なことをしたかではなく
どれだけ心をこめてしたかです
So it is not how mach we are doing,but how much love we put in the doing
that fulfills the aim.
働きながらでも 祈ることはできます 神にちょっと心を向けるだけでよいのです
You can pray while you work. It requires only that small raising of the
mind of God.
仏教からくることばに「布施」というのがあります。
1.財施(形あるものを施す)
2.法施(仏の心理を説き、喜びを施す)
3.無畏施(心の安らぎを施す)
4.無財の七施
この4つめの『無財の七施』というのは、
お金をかけずにお金がなくても徳を積むことができるお布施です。
これなら、誰でも、いつでもできる。むしろ、お金を出すことよりも、素晴らしいことなのです。
では『無財の七施』とはなんでしょうか
(1)眼施(がんせ・げんせ) やさしい眼差し
(2)和顔施(わがんせ・わげんせ) 笑顔
(3)言施(げんせ) やさしい言葉
(4)身施(しんせ) からだを使う奉仕 礼儀正しい行動
(5)心施(しんせ) 温かい心 やさしい思いやり
(6)床座施(しょうざせ) 席を譲る
(7)房舎施(ぼうしゃせ) 気持のよい待遇
布施というのは、純粋な喜びと感謝の心でさせて頂くものであり、
他人から強制されるものでも、義務でするものでもありません。
マザーテレサの言葉・行いは布施に相通じる、重なる感じがいたします。
一歩外に出るといろんな人に出会います。たとえば満員の電車の中で平気で携帯を開き、
けだるそうに画面を眺めるあの姿。みっともないですね。そんな光景にいちいちムカムカし、いらっとし、とにかく独りよがりのなさけない自分を日々感じております。
先日、ブータンという国で修業に励まれたお坊様のお話を伺いました。
「私はブータンで修業しましたが、ブータンではもう日常のくらしがそのまま体現されてます。蚊が止まったらふーっと息で飛ばす。道端に虫がいたらだれかに踏まれてしまうからわざわざつまんで安全なところに置いてやる。ほんとにそうなんですよ。
このような生活をしていたら戦争なんておこりっこないですよね。
人に親切にする そうしていくと、自分の周りの人たちはみな親切な人ばかりになります。
ではその反対を考えてみますと・・・・云々・・・。
ブータンは幸福指数世界一なのだそうです。
先進国と比較してみると、物質的には決して恵まれていない国であるにもかかわらず、です。
なぜかと言えば、王様が物質追及に走らなかったからだそうです。
中国やインドなどの急速な近代化(欧米化)のなかで、ブータンは近代化の速度をコントロールしつつ、
独自の立場や伝統を守ろうとしています。それに対して世界的な注目が集まっています。
国民総生産(GNP)に代えて国民総幸福量(GNH)という概念を国王が提唱しました。
私は日本で暮らしています。
日本のくらしの中で、幸せを物質やステータス思考に依存しない生き方、そういう価値観をはぐくんでいきたいです。
リウマチ感謝
難病で完治が難しいとされる「関節リウマチ」を、独自での自然療法で6か月で完治され、
その後 治療家として活躍中されている
渡邊千春さんの新刊書籍が発売になりました。
著書名がすごいです!
「リウマチ感謝!」
私の今まで出会った方々の中で、リウマチにずっと苦しんでらした方
今 膠原病やヘルニアで悩み苦しんで、仕事に来れたり来れなかったりで、結局 仕事を辞めざるをえなかった仲間、
身近にいます。
何とか連絡とれたら、ぜひこの著書を勧めたいです。私は予約してもうじき届きます^^。
全国のリウマチで悩んでいる人たちにとってまさに光になる道しるべかもしれません。
渡邊千春さんが、1人でも多くのリウマチや膠原病で困っている方にこの本を読んでもらい、少しでも元気をだしてほしい!
と心を込めて書かれた本です。
病気の方だけではなくて、医療に携わるかたがたやセラピストのかたがた、
あるいはその方面に興味のあるかたがたもぜひ読んでいただきたいと思います。
渡邊千春さんの「リウマチ感謝!公式HP」
http://ryumachikansya.com
これからもますます 世のため人のために活躍してもらいたいですね。
なんせ、ご自身の体験から生まれた治療法だから、説得力があります。
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自死について・・・「シルバーバーチの霊言」より
自死について
自ら命を絶つという行為について
シルバーバーチは このように言っています
問:自殺してよかったと言えるケースはないでしょう。
シルバーバーチ:
それは絶対にありません。自分の生命を縮めて、それでよいはずはありません。
問:自殺行為は霊的進歩のさまたげになりますか。
もちろんです。
問:「神は耐えきれないほどの苦しみは与えない」とおっしゃったことがありますが、
自殺に追いやられる人は、やはり耐えきれない苦しみを受けるからではないでしょうか。
それは違います。その説明として、まずこれには例外があることから話を進めましょう。
いわゆる精神異常者の場合、霊的に言えば憑依霊の仕業による場合があります。しかし、この問題は今は触れないでおきましょう。
いずれにせよこのケースはごく少数なのです。
大多数は、私に言わせれば「臆病者の逃避行為」にすぎません。
果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れる一番楽な方法だと
考えるわけです。ところが死んでも、というよりは死んだつもりなのに、相変わらず自分がいる。
そして逃れたはずの責任と義務の観念が依然として自分につきまとう。
その精神的錯乱が暗黒のオーラを造り出して、それが外界との接触を遮断するのです。
そうした状態のまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。
みんな自分自身の手で自分の人生を書きつづっているのです。ごまかしはききません。自分で自分を処罰するのです。
その法則は絶対であり不変です。だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。
いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になればかならず光が見えてきます。
魂の内奥に潜む勇気が湧き出てきます。その時あなたはその分だけ魂を開発したことになるのです。
霊界からの援助のチャンスも増えます。決して背負いきれないほどの荷物は負わされません。
なぜならその荷物は自らの悪業がこしらえたものだからです。
決して神が「この人間にはこれだけの荷物を背負わせてやれ」と考えてあてがうようなものではありません。
宇宙の絶対的な法則のはたらきによって、その人間がそれまでに犯した法則違反の程度に応じて、
きっちりとその重さの荷物を背負うことになるのです。
となれば、それだけの荷物をこしらえることができたのですから、それを取り除くこともできるはずです。
つまり、悪いことや間違ったことをした時のエネルギーと同じものを正しく使いさえすれば、それを元通りにすることができるはずです。
問:因果律のことでしょうか。
そうです。それがすべてです。
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食事の摂り方
自ら命を絶つ人が年間3万人を超えています。
心の休養がないように感じます。
心やものの考え方に影響するのが、食べ物。
からだとこころは口にする食べ物で作られます。
その食べ物はどうやって摂ってきたか。
自分の目と口で摂ってきた。食べたものが細胞の材料になります。
毛細血管の中を流れる赤血球
毛細血管の直径は、赤血球よりせまいそうです。赤血球はこの狭い毛細血管を通って行きます。
食べたものが細胞を作りますから、食べたもので赤血球の質が変わります。
いい食事をしているなら、赤血球の表面はつるつるしていて、難なく狭い血管を流れていけますが、
よくない食事をしているなら、赤血球の表面はザラザラで、狭い血管を流れていくのが困難になります。
ええ~だれが食べたの?⇒自分の目と口で食べたのです。
食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食べてきた結果です。
ほろびゆく大草原・・・ストレス・偏った食事・摂り方が一原因です・・・ますます増えています。
カツラ産業がますます発展するわけですね。
肌はガサガサ、髪はぱさぱさ・・だから界面活性剤のたっぷり入った高い洗剤で外側からカバーする。
そしてますますガサガサに。。。悪循環です。
低体温・・・理想体温36.5℃です。1℃下がると、自律神経機能が半分低下します。
日本は戦前と戦後で食べるものががらりと変わりました。
戦前の食事といえば、ご飯と味噌汁と塩魚と煮豆といった淡白なものでしたが、
戦後、肉や卵やバターをふんだんに使った濃厚な食生活に変わりました
中でも注目したいのが大豆です。
タンパク質 大豆
戦前の日本の食卓では大豆がよく使われ、大豆がりっぱなおかずでした。
でもあまりつくられなくなりました。手間かかるし、家族は食べてくれないし、、、
大豆に含まれるイソフラボンには、がん細胞が増殖するため血管をこしらえるのを阻止するはたらきが
あります。過酸化脂質もおさえます。また女性にとっては年を重ねるにつれ、女性らしさを保つために
ぜひとも必要な要素です。
レシチン(大豆の皮)は、脳神経の伝達を良くしてくれます。減ると、認知症やうつの原因になります。
つまりやる気、集中力のもと。おからに多いです。
格言:「豆を摂るとマメになる。」^^
豆のつく字を見てみましょう。 「頭」「喜」「豊」「登」
豆の栄養は,頭がよくなる,体が喜ぶ,心が豊かになり,山を登る体力をつける食べ物と言われます。
ただし、大豆大豆といっても安い数十円の豆腐などにはほとんど大豆の栄養素は含まれていません。
おから納豆はとってもよいです。プロテインでも大豆を主にしているものを摂るとよいです。
そして、総合的にはタンパク質・脂肪・炭水化物・ビタミン・ミネラルをバランスよく摂って、
入口(食事)から出口(排泄)までがスムーズに行われるようにするといいですね。
脂肪・・アボガドは非常によい脂質と言われます。ゴマの油もいいです。
マヨネーズやマーガリンは極力ひかえましょう。いろんな薬品を加えれば、どんな食費も作れます。
その代表が市販で売られているマヨネーズ・マーガリンです。
食物繊維・・・こんにゃく さつまいも ごぼう
アトピー 便秘はまさにがん体質の現れです。
ストレスの多い人はビタミンCを多く消耗するので多く摂るようにしましょう。
ストレスはほとんどの病気にかかわってきます。
カルシウムは牛乳で摂るのではなく、小魚のカルシウムを摂るようにしましょう。
(本来、牛の乳は子牛が飲むものであって人間の飲むものではありません。
ましてや加工乳はよくないです)
肩こり・首こり
肩こりや首のこり、また腰痛でお悩みの人はものすごく多いと思います。
原因や解消法はさまざまですが、共通しています。
私は特に首がこります。
原因
パソコン 運動不足 姿勢が悪い 機能障害 ストレス 生活疲れ 筋肉疲労
ちなみに私は上のすべてにあてはまります。
パソコン・・・仕事がパソコン操作です。朝9時から夜11時までパソコン漬けの日もあり、帰宅してまたパソコン・・・
運動不足・・・長時間労働で、しかも座り仕事なので、おのずと運動不足。スポーツの趣味はありません。
姿勢が悪い・・・パソコンの前で何時間も同じ姿勢でいます。
人間が同じ姿勢を保てる時間:筋肉は30分しかもたないそうです。
同じ姿勢を続けることで、筋肉が緊張しつづけます。そのため血液の循環が悪くなって、肩こり・首こりになってしまうのです。
機能障害・・・首のズレ。学生時代、体育の授業で鉄棒中、首から落ちました。
幸いマット上に落ちましたが、レントゲンの結果頚椎がずれていることが判明し、何の治療もしていません。
ストレス・・・金銭工面、人事・人間関係など。ストレス社会といわれる世の中ですから・・・。
生活疲れ・・・仕事が不定時で、長時間労働、休みの日は仕事以外の課題をこなします。
ご飯を座って食べられなくなりました。常に気がせいて立って食べちゃうんです。
筋肉疲労・・・上記のために、当然筋肉も疲労します。
あとこれ以外に、個人的に感じているのが、他動的厄災です。
他人から自分に向けられるマイナス思念、いわば生き霊によるもの。
思い、思念は、エネルギーとなって、しっかりはたらきかけます。
その思念が自分のことをどうのこうの思われているとしたら、
そのエネルギーは、当然自分に届きます。波動となって。
見えないエネルギーがマイナスの場合、それはまず、自分の心身の弱い箇所が一番影響を受けるでしょう。
私に関してはそれが首です。
肩こり・首こり解消法
30分に一度は席を立つ。
ストレッチ ゆっくり首を左右に倒す→左右にふる→大きく腕を回す(これだけで効果あり)
ラジオ体操を真剣にやる
寝るとき、赤ちゃん寝をする・・・腕を赤ちゃんのように曲げてばんざい。すると自然に胸がはって姿勢よい状態で寝れます。
肩の凝ってる赤ちゃんて聞いたことないですもんね。
やっかいなのはストレスや他人からのマイナス波動
ここで追加ですが、マイナスの波動を受けると、肉体が瞬時に反応することがあります。
顔が痙攣することがあります。眼の下あたりがぴくぴくして、傍から見てもわかります。
対処に関しては、一概に言えませんが
それぞれに各人の生き方の中でおのずと対処法があると思います。
ex森林浴、ストレッチ、好きなスポーツ、趣味、信仰(九字を切る、等)
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クックコーナー
かんたん「そば飯」を作りましょう。
そばめしっていうから、必ず必要なのはごはんと中華そば
あとは何でもいいです。味付けだって何でもいいです。
今回のポイントは、おせんべいを入れたこと^^
材料:ごはん 中華そば (野菜)もやし(←今安い野菜はこれだけ)・キャベツ・はくさい・ネギ・しいたけ、ピーマン・ニンジン・菜っ葉類な~んでも (その他)マメ、肉、ちくわ・かまぼこ・ひじき・こんにゃく・な~んでも (調味料)油 しょうゆ+だしの素 or だし醤油 ←+しょうが マヨネーズ からし かつおぶしなどなど (ソースが定番ですが、今回は和風にしました) |
作り方
フライパンにあぶらをしいて、煮えにくいのを先に入れて焼きますが、めんどうなので
野菜もそばもごはんも一緒に入れちゃいました。おまけにそばは切ってません^^
じゃっじゃっ焼いて、しょうが、だししょうゆ入れて
ここであまって困ってたおせんべいをバリバリ割って放り込み
じゃっじゃっ
マヨネーズをひょろ~とかけて できあがり~
おせんべいを入れるタイミングはお好みで
かりかりのままがいいなら調味料をかけた後で、ちょちしんなりもいいかな~なら
調味料入れる前に・・・
おせんべいをつくりましょう
材料:ごはん しょうゆ 冷ご飯でいいです。 これにお醤油を適当に入れて、混ぜて、フライパンにうすーくのばして焼くだけ 超カンタン~! では、少しアレンジしてみましょう 調味料はおしょうゆの他に、おみそ、みりんやお酒、ごま油、お砂糖などなどお好みで。。 具は、かつおぶし、ちりめんじゃこ、ごま、青のり、ひじき、ナッツ類(くだく)、こんぶなどなど、な~んでも! |
作り方 ^^v
ごはんに調味料と具を入れてまぜまぜ。①
面棒やスプーンでごはんをつぶしてもいいです。
テフロン加工のフライパンに、油(ゴマ油が香ばしいですね)をしていもしかなくてもいいですが
①をうすくのばします。
サランラップみたいなのをかぶせてその上からのばせば、指にくっつきませ~ん。
ごはん粒1つぶ厚さまで伸ばした方ができあがりがパリッとします。
焼きます*必ず弱火でじっくり。
こんがりしたらひっくり返して。おなじく弱火でじっくり焼きます。
手で適当に割り切ります。
冷めてさらに時間がたつともっとパリパリになります。
ぱりぱり感がない部分だけ、もう一度焼くと、からりとしますよ~
神仏習合と廃仏毀釈
先史、古代と、日本人は、あらゆるものに神々の存在を感じていました。いわゆる「八百万の神」です。
縄文人は、森、山、土地、水、川など、それぞれに持ち主である精霊がいると信じて、信仰していたようです。
土器には、クマ、イノシシ、マムシ、カエル、オオサンショウウオなどの縄文時代の精霊たちや狩猟の儀礼などが模られました。
土偶には地母神を思い起こします。祈りを捧げる祖霊だったかもしれません。
古代、人は特別なる姿をした山や岩場、樹木、池には神々が宿ると信じ、樹木の茂る空間は、神霊の籠もりやすい清浄な場
と考えていました。
山中にある泉や巨岩、巨樹は時として、神の降臨する舞台となりました。
仏教伝来までは日本人の信仰は精霊崇拝、祖霊信仰でした。
人々にとって霊魂は不滅であり、万能で、人知のおよばない世界は霊魂が支配すると考えていました。
村人たちは、氏神を心のよりどころとし、農耕や村の運営は神意によってきめられました。
人々の願いによって神名が編み出され、神社が建てられ、食糧の豊穣と健康と災厄から逃れることでが祈念されました。
祖霊信仰は、「氏神」「鎮守さま」という名で今も吾々の生活の中に生きづいています。
※八百万の神 神様があらゆるものに宿り、数え切れないほどの神様がいるということ
人々の死生観
縄文人は、古モンゴロイド人という説があります。人間は死ぬと「あの世に行く」、あの世は美しく楽しいところである、
ところが、この世で、善行をした人は、いつまでもあの世にいられるが、
修行の足りない人は、死んでもすぐにこの世に戻され、再び修行しなければならない、という宗教観があったようです。
要するに、死者の行くところは、「あの世」であり、不徳の人間は立派な人間になるまで、この世とあの世を往復するのです。
3世紀になると、魏誌倭人伝において、邪馬台国の卑弥呼が登場します。
倭人伝によれば、卑弥呼は、「鬼道に通じよく衆を惑わす(従える)」と出ていて、
最近の研究では、鬼道というのは、道教の呪文の一方法ではないか、つまり卑弥呼は道教の道士的手法を身につけていたというのです。
これはシャーマニズムの一種―巫女による神がかり現象です。
こうしてみると、西暦230年ごろには、日本の一部には道教が入っていたことになります。
応神天皇のころ(4、5世紀ごろ)には、中国から、儒教の経典が入ってきました。
日本には多くの八幡神社があります。「村の鎮守さま」というとほとんどが、八幡神社です。
おそらく、応神王朝が、儒教の「孔子廟」にならって、応神天皇そのものを祭る「廟」を全国に作らせた、
この廟が八幡神社となって、現在に残っているとされています。
2500年前に釈迦が開いた仏教は、中国で様々な宗派を生みました。それらが朝鮮半島を経由して6世紀中頃に日本に伝わったのです。
6世紀末に推古天皇の摂政となった聖徳太子は、積極的に中国の制度や文化や仏教を取り入れました。
仏教は、宗教としての他に政治的にも利用されたのです。
奈良時代、国家が寺院を造りそこで働く僧侶は国の役人のような存在でした。
東大寺をはじめ、国々には国分寺・国分尼寺が建てられ、仏教について学問的な研究が行われました。
仏教は国を治めるために使われたのです
仏教が日本にもたらされると、日本に古くからあった神々をつかさどる信仰と仏教が融合し、発展していきます。
奈良時代には神社に付属して神宮寺が建てられ、神の前で仏の教えであるお経が読まれました。
こういった神仏習合は、神仏分離政令が出される明治初年まで続いたのです。
明治時代には神と仏が厳密に区別されたのですが、現在再び神仏習合が見られます。例えば、家には仏壇と神棚があります。
仏教が伝わると、日常生活を離れて山中で修行することが流行し、多くの僧尼が山中に分け入りました。
厳しい山林修行を行った僧侶には天候を予知したり、病気を治す力があるとされ、特別の力をもった山林修行者は特別な存在とされました。山林修行者はさらなる霊験を求め白山のような高い山を目指すことになったのです
こうした密教への信頼は、現在の科学への信頼と同じように、天体も方位も、日の吉凶も民俗宗教として受け継がれ、
村の祭りや年中行事、講など宗教と関係がないと思われるところまでも浸透し、生き続けてきました。
仏教の地方への伝播は天台宗、真言宗の二宗が最初とされています。
平安期約400年間は、専ら天台宗、真言宗の二宗が隆盛を極めており、山嶽信仰による修験道との深いかかわりをもって
地方の民衆の間に深く浸透したものと思われます。
やがて、天台宗、真言宗の二宗の他に浄土宗、真宗、時宗、日連宗、臨済宗、曹洞宗など鎌倉新仏教の台頭が相つぎ、
大衆仏教は大きく変動していきます。
江戸時代に入って、宗派ごとに本山、末寺の制度が設けられました。
各藩主が創建した菩提寺はじめ、領内村々のすべての寺院は末寺となって改宗しました。
寛永年間(1624~43)、切支丹禁制による寺請制度が設けられました。
寛文4年(1664)には宗門改めが実施されて、村人はいずれかの寺院の檀徒(だんと)になることとなりました。
江戸幕府の寺社奉行は宗教政策として本山-末寺関係を厳密に整備し、キリシタン禁制をかねて人民の思想統制をしてきました。
そして、家単位の檀家制度によって、信仰による改宗の自由が許されなくなりました。
仏教寺院は政府により信者をあてがわれ、布教努力が不要になりました。
そして法事を半ば強制することで人民からお布施として収奪します。
寺の職務として法事のほかに、檀家の道中手形の発行や過去帳の整備など民生事務を司るなど末端行政そのものです。
このため仏教は大衆の信仰のよりどころというものではなく、寺院は檀那寺として家々の葬式や供養を主とするようになりました。
先史時代 アニミズム・原始的信仰
古墳時代 原始的信仰の統一・統合化
飛鳥時代 仏教伝来
貴族-仏教と統一統合神道の融合化(神仏習合のはじまり)
民衆-統一神道+民間神社信仰
奈良時代 仏教が次第に広がっていく
仏教と民間山岳信仰の習合→修験道
平安時代 民間の間に本地垂迹説が浸透し、神仏習合が進んでいく
室町時代 吉田兼倶により、神本仏迹説が解かれるようになる
(垂迹の神こそ本体であるという考え方・反本地垂迹説)
江戸時代 神仏習合は庶民の間にも広く浸透
江戸後期 国学者による復古神道の思想広がる
寺院の民衆からの搾取により廃仏毀釈思想が芽生える
明治時代 神道を国教化するため神仏分離令が発布される
知事によって寺院の統廃合が行なわれる
神仏習合の寺社は神社か寺院かを選択しなければならなくなった
神仏分離令により廃仏毀釈の運動が盛んになる
寺院から搾取されていた民衆と、寺院に虐げられてきた神職たちが
寺院の破壊におよび、当時の約半数もの寺院が廃寺と化した