イスラエル民謡 平和の歌 Heiveinu Shalom Aleichem ヘィヴェィヌ・シャロム・アレィヘム 

世の中 自殺・貧困 戦争・紛争・歴史 精神性
アテルイの塚  越冬2011名古屋越冬 GOBAKU8テロ自作の国アメリカ メメント・モリ 死を憶え
蝦夷 -人とは- クレサラ・ヤミ金 GOBAKU 7 原発と劣化ウラン きぼうのいえ
阿弖流為アテルイ 子どもの貧困  GOBAKU 6 米の植民地アフガン マザーテレサ 生前
たった一人の人生が3 あしなが学生募金 秋 GOBAKU 5正義の仮面 マザー・テレサの言葉
たった一人の人生が2 心のメッセージ GOBAKU 4 マザーテレサ映画祭
たった一人の人生が 東尋坊の茂さん 川越さん GOBAKU 3 戦争ビジネス・原発 シルバーバーチの霊訓
被曝 緊急報告 STOP!自殺 シンポジウム GOBAKU 2 自死―シルバーバーチの霊訓
依存症 どうしていけないか GOBAKU 1  うつ病
少年事件に付添人を 自殺対策・共助 世界の500年続篇 何のために生まれてくるのか
COP10 ホームレスと精神疾患 世界の500年前篇 肉主霊従との闘い
2011年 怒 悲 闇の中に光を見いだす グアテマラの歴史 平城京遷都1300年
その他 生きやすくしたい 描き残したいヒロシマ ブータンという国
お役立ち情報 炊き出し MCの活動 ペシャワール会 無財の七施
リウマチ感謝 自殺・ホームレス・派遣etc 無関心の恐ろしさ 生きること
中国・青海省地震 自死のことを考える 凛として愛 神仏習合と廃仏毀釈
肩こり・首こり サマーセミナ湯浅誠さん 氷雪の門 マザーテレサ霊的な闇 
食事の摂り方 あしなが学生募金 春 太平洋戦争65年
クックコーナー 児童養護施設 千鳥ケ淵戦没者墓苑
東京大空襲



2010.10.23
秋のあしなが募金が始まりました。
時間に追われながら駅に向かって走る中、三越前を通りかかる時、何やら一生懸命訴えるような高らかな声!!

「あ、あしながさんだ」 
急ぐ足にブレーキかけて、
「おさいふおさいふ。。。あ、今日はちゃんとある」(時に小銭ちゃらり、のこと多し ^^;。。。)
てけてけ、、と募金箱をもった男の学生さんのとこへ。おたがいちょっと恥ずかしげに、ぺこり。

訴えていた女の学生さんが、「あ、あ、ありがとうございます!たいせつに使わせていただきます!!!」

「えーそんなに言ってもらっていいのかな。 いいのに。。。」

見るとなんてきゃしゃな、ちっちゃな体で、申し訳ないが、ごはん食べとるん?と心配したくなるような細っこいおじょうさん。
力いっぱい訴えるその全身からは、若者のエネルギッシュさは感じられず、かすかすの中から労力超えたパワーを出してる感じ。
日々のカツカツの生活が見るからに彼女の背景に感じられて、悲壮とせつなさがこみあげてきました。

涙がじわ。。。。。と出ちゃいました。
「大変なんだな。。。」

10.24、30、31日にも街頭募金を行います。


日教組が「『あしなが育英会』などに寄付する」、と偽って、「子ども救援カンパ」名目で集めた寄付金の6割近くを占める1億円を、
日教組が加盟する日本労働組合連合会(連合)に寄付していたこと、
さらにこのうち3750万円が逆に連合から日教組側に「助成金」として交付され、朝鮮学校へ通う子どもの就労支援に使われたことが
明らかになったばかり。またもや政治とカネ。
この忌まわしい事件によって、慈善活動としての募金行為の信頼が落ち、いらぬ誤解が生じたことでしょう。
教育費を必要とする遺児たちには、とっても大きな衝撃になっているでしょう。
さらなる厳しい現実にさらされてしまう遺児たち。

新聞・ニュースによると、
2010年4月から公立高校の授業料無償化(私立は一部助成)が実施されたことで、「授業料無償化で奨学金は不要になった」
といった考えが広がり、募金は全国で前年春より12%減の1億7600万円にとどまったそうです。


以下は中日新聞より――
母子家庭だった小学5年の時に、こんどは母親をがんで亡くした中京大1年の足立直生さん(20)=愛知県豊田市=は
「母が亡くなる前に『成長していく姿を見たかった』と言っていたことが忘れられない。
1人で苦しんでいる学生も多い。多くの人に育英会を知ってほしい」と涙ながらに通行人に訴えた。

1994年の中華航空機墜落事故で夫を亡くし、高校3年の長女(17)を持つ岡村美智子さん(54)=名古屋市南区=は
「これまで食べていくので精いっぱい。奨学金がなければ子どもを進学させることは非常に厳しい」と母子家庭の実態を話した。

育英会が母子家庭を対象に行ったアンケートによると、本年度から高校無償化が始まったが、約45%の家庭が
「教育費が不足している」と回答。高卒で就職を希望する学生の約半数は経済的理由から「進学を断念した」と答えている。


あしなが育英会HP:「遺児の現状」より
遺児のお母さんが働いて得る年収は、平均して149万円足らず(一般世帯の35%)です。
奨学金を借りている奨学生数は6千人を越え、1999年の1.6倍になりました。
大学や短大への進学率は41%で、全国平均より13ポイント低く、高校卒業後の就職希望者の半数は「生活苦」のため進学を断念しています。
2010年度から「公立高校の授業料無償化」が実施されましたが、6割の高校奨学生が、すでに授業料減免制度を受けています。(以上のすべては2010年あしなが育英会調査)
公立高校でも授業料以外の学費は年間40万円、私立の場合は80万円が必要で、奨学金のニーズは高いままです

生活するのが精いっぱいで教育費が払えない
   ↓
進学を断念
   ↓
社会で生きていくための知識・技術を学べず身につかない
   ↓
仕事がない、就職できない
   ↓
アルバイト、派遣などの不安定な仕事しか就けない
   ↓
福祉不十分
   ↓
貧困へ


この貧困に向かうスパイラルな道から抜け出すために、遺児たちには教育費が必要です。

12年連続3万人を超える自殺社会。お父さんを自殺などで亡くした遺児は、精神的にめちゃくちゃです。
フツーの子どもの何倍も何十倍もしんどい人生が、小学生、中学生から始まります。
支えあっていく、分かち合っていく、その思いを行動にしたいものです。。。


ちびちゃんtop




人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。


先人の名言は、現代においてなお活きています。意気揚揚の時、くじけたとき、凹んだとき、落ち込んだとき、いろんなときに
勇気や希望やなぐさめを与えてくれます。
でも、人がある特殊な状態にあるときは、はたしてこの名言も心を射抜かないことがあります。
そのひとつ
自殺するしかない――と追い込まれているとき。

自殺の原因・キーワード
多くを乗り越えていない自分が列挙するのは上から目線かもしれません、、、お許しください m__m


事業の失敗 倒産 借金 破産 連帯保証人 失業 就職難 リストラ 派遣切り 負け組 評価主義 貧困 格差社会 使い捨て 過労 ストレス 自己責任 物質至上 しがらみ 退職 不眠 過呼吸 はげ 失語症 ホームレス  仕事の失敗 ノルマ 上司との不和 不眠 濡れ衣 おれおれ詐欺被害 病気 がん 不治の病 不慮の事故 難病 介護 人間関係 いじめ パワハラ セクハラ  見栄 プライド 神経症 うつ病 育児ノイローゼ DV 家庭内暴力 親子断絶 嫁姑問題 相続問題 浮気 レイプ 性的虐待 マリッジブルー 妊娠 人工中絶 障害児 無関心 孤独 孤立 失恋 色情 アルコール依存 ドラッグ 顔・スタイルのコンプレックス えこひいき 近親者の自殺 殺人被害者遺族 冤罪



2・30年前、いや数年前、こんなことばあったかなあっていうのがかなり増えました。

「こんなことで何で死ぬんや」と思われるものもあるでしょうが、その人にとっては生死をもかけるほどの悩みだから、自殺まで考える。
悩みは相対的です。また、今は「勝ち組」の人も、周囲のリストラなどでこんどは自分の任務がどんどんタイトになり、過度のノルマ、過労へと。。。
悩み苦しみが一つから二つになり複数になり、、、
ex)倒産+借金→孤立→うつ病

「ま、いざとなったら、何もかも捨てればいい。消えてしまえばいいさ」 などと思ううちはまだ余裕がある。
「自殺するしかない」気持ちがいよいよ迫ってくると、もう自分であれこれ手段を見つけようというこころの内の作業はストップし、
視野が極端に狭くなる。いや狭くなるというより小さくなる。点になる。眼は開いているんだけど、見えない。景色が。周りが。
考える、思考する、という血のめぐりがなくなる。
そして、先人のように 「
急ぐべからず」 とはいかない。
死に急ぐ


自殺による死を遂げた場合の死後の魂の状態はどんな宗教でも、いや宗教でなくても、明るくは描かれていません。
むしろその正反対の真っ暗闇の暗黒界の最下層に陥ります。参照→自死―シルバーバーチの霊訓  シルバーバーチの霊訓

魂が大変な大打撃をこうむります。これは艱難辛苦とか、魂の成長のために乗り越えるという意味での打撃ではないようです。
世の中に急速に浸透してきたスピリチュアル、因果律、カルマの法則で考えると、
人が、この世に生まれてくるときに、持ってくる課題や生きてく間に清算していく課題の中に 「自殺」などというような課題は決してないそうです。
自殺・・・霊長類であるヒトが死を自分で選択して実行するなどということは、因果の法則から外れたものなのだそうです。
因果の法則からすれば、自殺する自由意思なんてない。存在しない。
つまり、自殺、自死などという選択肢は、因果の法則にはない、と言ってもいいすぎではないと思います。

だから、自殺は絶対に、しちゃいけない、と私は思うんです。
生んでくれた親にすまないとか、家族にすまないとか、いろんな人に迷惑かけてすまないなんてものではすまないようです。

さらにさらに、魂のとらえ方として、類魂というのがあります。
以前、浅野和三郎氏の「永遠の大道」を拝読したとき、難しくってよく理解できませんでしたが、類魂というのがあって、
これは地上での家族、親族の集団ではない、いわば霊的集団というようなもので、

仏教でいう業(=カルマ)は、ほとんどは自分自身の前世の業ではなく、自分よりはずっと以前に地上生活を営み、そして自分の地上生活の模型を残してくれた類魂の一つがつくった業なのである。同じように、自分もまた自分の地上生活において、同系の他の魂に対しての模型を残すことになる。こうして、われわれはいずれも独立的存在であるが、同時にまた種々の界で連動的に働いているところの他の類魂の強烈な影響を免れないのである。

ヒトというのは、一人一人はばらばら、一人一人はみな違います。各々の霊格をそなえています。手で例えると、指(=ヒト)はばらばらです。
が、その深層では、指(=ヒト)は結局ひとつ(掌の部分)になっている、というスピリチュアルの考え方もあります。

ここまでくると、自分の人生を勝手に終わらせるということは、自分とかこの娑婆世界での人間関係に対する責任だけではすまない、
他の魂にも広く影響することになります。
つまり、生きるという行為そのものが、本来は「自分を大切に生きること」です。
自分=類魂=ヒト、となると
生きることはすなわち、その生きる行為がそのまま=「他者を大切にすること」 であるはずになります。

ところがその生を放棄して、自分の決断で自死してしまったらどうなるか?

死んでも依然としてある(感じる)自分という感覚、思念のもっていきどころ、行くべきところ(霊界)が分らないから、
しばらくすると、執着あるところなど(地上界、つまり娑婆)に戻ってくる。そして、同じような波動を感じる相手(生きてる人間)に飛び込む。
どうして?「肉体がほしいから」です。

近年の犯罪・わけのわからない凶悪犯罪に共通してみられる特徴・・・
「殺人の衝動にかられた」「殺せ!という声が聞こえた」「事件の時のこと、刺した時のことを覚えていない」
なども、凶悪犯罪で他界(死刑など)した魂が、行くべきところへ行けずに相変わらず怨念や執着をひっさげて、地上界を徘徊している。
生きている人間、その要素のある人間に飛び込む、命令する。
このような実例は、スピリチュアルでみられる霊界通信に限らず、精神科医による治療でも実際目の当たりにされています。
一例『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話―精神病を除霊で治した医師の30年 スピリチュアリズムによる人類への警告』
カール・A. ウィックランド原著  近藤 千雄訳


日本だけで1998年以降、12年連続、毎年3万人を超える人たちが自殺。
12年でおよそ40万人になりました。もちろんこの数値にはいっていないものも数多くあるでしょう。

400,000人です。これだけの人が集まっているのを想像してみてください。東京ドームの収容人数は45,208人ですからドームの9倍です。
たった10年そこらでそれだけの人たちが、自死している。

なぜ近年、毎年必ず3万人を超えているか?清水康之さんは、そこには歴然とした原因、つまり社会の構造に原因があると言っています。私は、社会の問題ともに、死んでから行くべきところに行けずに彷徨っている魂の存在も原因しているのではないか、
生きている人間に影響しているのではないかと思っています。

だから、どんな理由であれ、自殺はくいとめるべき、そうすることが絶対正しい、と。
(ただし、戦時下のような、自分が死ぬことによって誰か、何かを守るという動機のもとに自ら死を選ぶという意味での自死はまた異なってくると思いますが)

では、自殺をくいとめるためにどんな手だてがあるのでしょう。
こんな実例がありました。
『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ 』より 清水康之(NPO自殺対策支援センターライフリンク代表)&上田紀行(文化人類学者)


ある女性の話。彼女がまだ20歳くらいの頃、ものすごく人生に迷ってしまい、もうこれ以上どうやって生きていっていいのかわからなくなってしまった。ある夜、とうとう家を出た。家出をした。しばらく彷徨っていくと、お寺の前に出た。ふいに、「開いているだろうか」と、足を踏み入れようとしたが、夜中で、門は開いていなかった。インターホンを押そうかまで考えたが、「こんな夜中にインターホンを押すとは迷惑考えろ!」「お前はうちの檀家なのか?檀家でもないのに、寺のインターホン押すな」という声が脳裏に浮かんでしまい、躊躇したあげく、どうしても押せなかった。

再び歩いていたら十字架がライトで浮かび上がった教会の前に出た。ドアを押してみたら、今度は開いていた。しかも中に入ってみるとちゃんと明かりがついている。しばらく礼拝堂に坐って人生のことを考えていた。だんだん気持ちが落ち着いてきた。
というのは、こういうふうに扉が開いているということは、きっと自分がここで泣き叫んで、「誰か助けてください!」「話を聞いてください!」と言えば、きっと誰かが出てきて助けてくれるんだろう、と思った。そう思ったら、だんだん気持ちが楽になって、「ああ、今日は帰ろう。」と思えた。「今日はまだ大丈夫。もっとひどくなって、どうしようもなく落ちてしまったら、またここに来よう」

結果としては、もう二度とこの教会へ足を踏み入れることはなかった。


上田紀行さんのコメント・・・
これは何もキリスト教が人を救えて仏教はだめだと言っているのではありません。
この話の面白いところは、結局誰も彼女の話を聞いてない、というところなんです。教会に彼女は足を踏み入れたけれど、そこで実際に誰かが出てきて、彼女の悩みを受け止め、慰めたわけではないんです。だけど彼女は救われた。
つまり大切なのは、「いつかどつぼにはまっても、自分には助けてくれる場所があるんだ」と思えること。身をもって思えること。




◎佐藤初女さんの「森のイスキア」。
東北の雪深い青森――最後の望みを と 身も心も枯れ涸れになった人が初女さんの自宅のチャイムを鳴らす。
初女さんは、自分の思いや考えを「無」にして、またその人の過去とかを想像したりせず、今のその人だけを見て、真剣に耳を傾けるそうです。決して意見などせず、説得もしない。気づけば、その人は自分で重荷をおろして帰っていく。初女さんの愛のいっぱいつまったおにぎりを食べて。



◎東尋坊で見回りを続ける茂さん。
岩壁の水際に立っている人がいちばん欲していることは、「ともに行動をしてくれる人」なのです。
自分ひとりの考えや行動では、もうどうにもならなくなっているのです。だから、
一人でいいから聞いてくれる人がほしい
自分の問題を解決するためにともに歩いてくれる人、悩み事を共有してくれる人がほしい
自分をこのようにした相手を叱ってほしい
今の自分に起こっているいろいろの問題は、自分にとって「いのちがけである」ということを相手に伝えてほしい
安らぎがほしい
休憩所がほしい
自殺の名所に自殺しに来ていながら、茂さんに、誰かに声をかけてほしがっている。



◎自ら自死遺児としてNPO法人自死遺族支援ネットワークReを立ち上げた山口和浩さん
分かちあいの会を新規に作るときに、最初は遺族の方が来なくてもいい。なぜか。
その場所に来てもらうことが目的ではないですからね。
ただその場所があることの安心感が、きっと当事者にはあると思う。
だからこそ、参加者がいなくてもきちんとこの場所を確保していくことが求められている。



◎ライフリンクの「ライフリンクDB(データーベース)」生きる支援の総合検索サイト
一度やってみてください。http://lifelink-db.org/
よくこれだけのものを作成されたものと驚嘆。
相談窓口検索しているうちに、「あ、こういう受け皿があるんだ」「今の社会にこういうところができたんだ」「もうどうにもならなくなったら、
こことかここに連絡してみよう」
それだけでもすごい安心感になります。


魂のことは生きている間はたぶん何が真実かどうかのつかみはできないと思いますが、
ただ単に自殺というものが道徳的に道義的にいけない、許されない、と言うのではなく、
死後のこと、因果律、法則というものを 洗脳的じゃなくて、智慧をもって、霊的にとらえて、お伝えしていきたいです。

そして自身が生きることその行為が、人をおとしめるのではなく、できれば人様に息吹とやすらぎみたいなものを感じてもらえるような
そんな生き方ができるといいな。


ちびちゃんtop



自死=「生きたい」が叶わないこと

2006年6月に自殺対策基本法が公布される1年前の5月30日、NPO法人ライフリンクは「自殺総合対策の実現に向けて」、自殺対策の現場から
「国へ5つの提言」をされました。
自殺対策に関する緊急課題として報告書をまとめても年々自殺者は増え続け、対策は何も行われていない状態。自治体も
「自殺対策?それ行政がやる仕事なんですか」――と。
そして、ライフリンクの代表:清水康之さんは、「もう必要なのは法律だ」、に至る。
これを行政の仕事にしなければ動かない、と考え、国会で関心を持つ方を探し、民主党で自殺問題のワーキングチームを立ち上げた
故 山本孝史さん※と意気投合。2006年4月に自殺対策の法制化を求める3万人署名を展開。結果的に10万1055人分集まる。

自殺対策基本法の火付けとなった「国への5つの提言」の前にその趣旨を述べておられます。


これまでのような民間主導の対策だけでは、深刻化する一途の自殺問題にはとても対応しきれません。なるほど国も、自殺対策の一部である
うつ病対策や、自殺についての研究等は行ってきました。しかし、自殺を考えている人からの相談を受けたり、未遂者や自死遺族の心のケアにあたったり、社会全体で行う自殺対策の必要性を訴えてきたのは、実はほとんどがボランティアです。
「年間自殺者3万人」という異常事態に、手弁当の自殺対策だけで抗しきれるわけがないのです。

また、これまでのような「自殺する個人」だけを対象とした対策も、すでに限界となっています。
現代の自殺の多くは、過労やリストラ、社会的孤立やいじめなど、社会的な要因がその背景にあり、自由意思に基づく行為というよりも「追い込まれての死」であると言われています。自殺に追い込まれていく個人だけを対象とした対策では、つまり“対処療法”にしかならず、「人を自殺に追い込んでいる社会」をも対象とした総合的な自殺対策が、今必要とされているわけです。

WHO(世界保健機構)が明言するように、「自殺は、その大半が防ぐことのできる社会的な問題」です。国を挙げて自殺対策に取り組んだ結果、
30%以上も自殺率を下げることに成功したフィンランドの例からも、自殺総合対策の有効性はすでに実証されています。日本でも、そうした取り組みを社会全体で行えば、自殺を減らすことができる―――。

つまり、
「自殺対策についての考え方を変えれば、確実に自殺を減らすことができる」。
――それもまた私たちの総意なのです。

なお、この『提言』は、あえて研究者や精神科医などの専門家の意見を基礎とせず、自殺対策の現場の実感を頼りに、私たち自身でまとめました。(名宛人は国となっていますが、決して自殺対策を国任せにしようということではありません。官民を超えて協力していこうという趣旨です。)
日本の自殺対策に今必要なのは、研究でも検討でも議論でもなく、すでに分かっている「やれること・やるべきこと」を一つでも多く実行していくことです。こうしている間にも、一日100人近くが自殺で亡くなり、その何倍もの人たちが心に深い傷を負っています。
この『提言』が、全国的な自殺総合対策を実現させていくための、確固たる足がかりになればと希望しています。


そして5つの提言のあとに、「自殺総合対策」の具体事例として、各省庁において、「今すぐにでもできる自殺対策」を列記しています。
(詳細は略)


内閣府:『自殺総合対策センター』の設置
総務省:「自殺報道のあり方」についての検討・・・自殺報道が社会に与える影響について検証する。
     自殺に対する偏見をなくすため公共教育を行う。
     ネット上での「自殺の呼びかけ」に対する介入・・・プロバイダから個人情報の提供を受けるために必要な法整備。
     危機介入する上で必要な連携体制の確立。
     「ネットを利用した自殺予防」の可能性
文科省:学校における自殺予防教育の実施
     いじめ自殺への対策
     自死遺族への支援
厚労省:自殺についての実態把握
     うつ病対策
     労働者のこころのケア
     失業者へのこころのケア
     自殺未遂者へのケア
     自死遺族へのケア
     自殺対策活動を担う人材の育成 
     自殺対策活動を担う民間団体などへの支援
警察庁:自殺についての実態調査
     事情聴取時からの遺族ケア
経産省・法務省・金融庁
     借金自殺対策
防衛庁:自衛官の自殺対策
国交省」電車への飛び込み自殺対策






























※山本孝史さん
2006年5月22日参議院本会議で――
カツラをかぶって登壇し、自らの進行した胸腺がんを明らかにした。

がんの公表には勇気がいる。まわりにどう見られるか、不安になるからだ。
http://www.youtube.com/watch?v=skLUObSLNHA


私は大学在学中から交通遺児の就学支援救済と交通事故ゼロを目指してボランティア活動にかかわって以来

「いのちを守るのが政治家の仕事」だと思ってきました。

がんも、自殺も、ともに救える命がいっぱいあるのに、次々と失われているのは、政治や行政、社会の対応が遅れているからです。
年間30万人のがん死亡者、3万人を超える自殺者の命が、一人でも多くが救われるように がん対策基本法と 自殺対策基本法の今国会での成立に向けて何卒、皆様のご理解とご協力をお願いします。総理にも国会議員の一人として、この2つの法案の国会での成立にお力添えをいただけないか、なにとぞお願い致します。

2001年、あしなが育英会の自死遺児たちが親の自死を語った小冊子 「自殺っていえない」を手に、自殺は社会全体の問題であり、関係省庁が一丸となって対策に取り組むよう訴えて5年後の2006年6月に

――がん対策基本法 自殺対策基本法はこの国会での成立となります――


翌2007年7月の三軒茶屋駅前。
「私、山本孝史は、今度の選挙 “勇気をもって”がんとともに生きながらまだこんなに元気に仕事ができるよと、立候補しました」
「末期がんだから何もできないではなく、そこから新しいもう一つの仕事ができる」
迷ったすえの参院選出馬、当選。
本会議の初日、やせた山本さんは、酸素ボンベを引いて赤じゅうたんを堂々と歩く。
笑顔で「やるべき仕事がある」。
山本さんはその後も「いのちを大切にする政治」を訴えられ、2007年12月、逝去されました。享年58歳。


自殺対策基本法は成立します。



意気投合して以来、ともに奮闘してきたライフリンクの清水康之さんから故山本孝史氏に贈られたメッセージ


「霊的なものの存在に、私は基本的には懐疑的なのですが、自殺対策の推進においては、山本さんの存在を感じずにはいられない時が幾度となくあるのです。
議員宿舎に弔問にお伺いしたとき偶然、尾辻会長(山本氏とともに自殺対策を考える議員有志メンバー)と再開し、それがきっかけで「自殺対策を考える議員有志の会」の再結成ができたこと。
「自殺実態白書2008」を自殺対策担当大臣に提出したことを奥さまに報告したら、その日が山本さんの誕生日であったこと。
「山本孝史の記録」がライフリンクに届けられたその日に、急きょ自殺対策のことでメディアに生出演が決まったこと、など。

律儀な山本さんのことですから、きっとタイミングを見て、「天から見守っているよ」というサインを送って下さっているのでしょう。そのいきな計らいに感謝しつつ、・・・。


娑婆世界で、生きている人間が、一人でも多くのいのちをまもろうと必死に行動している。
生前、人のいのちを守るために、死の間際まで奮闘した魂は、肉体を離れて魂になってもなお、さらに霊界からこの娑婆世界に共助しているのだと思います。
今までに地上界で人類のために心血をそそいてはたらき、行動された多くの先師先哲も、霊界神界から、この娑婆世界に、愛と共助をしてくださっているのではないかと。



2006年、自殺対策基本法は公布されるわけですが、
ではライフリンク自体はどういう理念でどういう方針でやっているのでしょうか。


・自殺が生ずる前に対策を講じて予防につなげる「自殺予防」、
・今現に生じつつある自殺の危機に介入して防止する「危機介入」、
・未遂者や遺族に対してケアや支援を行う「アフターケア」
団体としては、いずれかの段階に特化して活動するのが一般的ですが、ライフリンクはあえて、そうしない道を選びました。
代わりに、次の3つの方針を活動の軸に据えて、自殺対策に取り組んでいます。


◆「自殺対策の土壌」を耕します
1日に90人。毎年3万人を超える人たちが、この国のどこかで自殺で亡くなっているにもかかわらず、まるで何事もなかったかのように
日常が過ぎ去っていくのはなぜでしょうか。

自殺対策が社会に浸透しないのは、「自殺は身勝手な死(=個人の問題)なのだから、死にたい奴は勝手に死ねばいい」という考え方が
社会に根強くあるからです。
社会から居場所を奪われたり、組織から過度な負担を背負わされたりして、心身ともに追い詰められて自殺していく人が多いという現実が、
社会にはまだ知られていないということなのでしょうか。

ライフリンクは自殺が「社会の構造や価値観の問題」であることを様々な角度から実証することで、自殺対策の「土壌」を耕していきます。

◆「つながり(リンク)」を作り出します
自殺はタブー視される傾向が強く、自殺対策も往々にして閉鎖的になりがちです。それぞれの組織や団体は、横のつながりを持つことなく、
単独で活動しているため、自殺対策に関する経験や知識が蓄積・共有されることもありません。
ライフリンクは自殺対策をより効果的なものにしていくために、関係者間の「つなぎ役」を果たしていきます。閉鎖的になりがちだった自殺対策を、よりオープンにして活性化させ、実りある活動に育てていきます。

◆「いのちのあり方」を見つめ直します
社会の中で「いのち」について語ったり、「いのちのつながり」を実感したりする機会が減ってきています。
「人生」や「しあわせ」について語ろうとすると、「宗教がかっている」とか「熱い人だね」などと茶化されてしまう雰囲気が強くなっています。
ライフリンクは、「いのち」について自然に語り合える雰囲気を、様々な場を通して創出していきます。自分の、そして互いの「いのち」に関心を持てる社会にしていくことが、ひいては最大の自殺対策になるはずと考えているからです。

この理念が本物だとおもったのは、2009年のライフリンク清水康之さんの年頭あいさつを読んでです。

ライフリンクを立ち上げた時から清水さんが目標としてきたことは、
「一刻も早く会を解散(発展的解消という意味での)できるようになること」。
「ライフリンクの活動が続いているのは、つまり日本の自殺対策が未だ安定軌道に乗っていないことの裏返しでもある。
今年度もまた活動を続けることになった。何とも忸怩たる思いである。」

この清水さんの心情を読んで、脱帽しました。

自分が、自殺しようとする人や自死遺族、社会に貢献して功績を残そう、賞賛されよう。私がやってあげよう」、なんていう、よくテレビなんかで見かける自画自賛の、さも善人ぶった仮面をひけらかすような人間の動機とは対照的であることがはっきりとわかります。

本当に、ほんとうに、いのちを大切にしたい、何とかしたい、生き心地のいい社会にしたい、という動機から発している、と思いました。

さらにこうもおっしゃっています。

「私の、社会に対する「読み」が甘かったと言わざるを得ない。・・・略・・・
先日もこんなことがあった。内閣府の自殺対策推進会議でのこと(清水さんは内閣府参与)。ある民間委員が、職域と地域の連携が課題ではないかと発言した。この発言に対して、私は、厚労省の担当者が、今年度からハローワークで「こころの悩みメール相談」を始めることを話すと思っていたが、何も発言がなかった。不思議に思い、会議後になぜかと尋ねると、
「質問されてないことを言う必要はないですから」との返事。
「政府一体」「官民連携」「総合対策」などの言葉は、今の自殺対策においては掛け声でしかない。重要な情報の共有すらままならず、「いのち」を支えるために最善を尽くすことよりも、省庁間の利害調整や見栄、己の研究成果などの方が優先されている。「自殺戦争」――敵は一体どこにあるのかと時々疑いたくなる。
社会の化けの皮が剥がれ落ち、問題の本質があらわになった時代。せめて今をそう捉え、抜本的な対策に切り込むチャンスとしよう。さまざまな分野で組織で、確実に増え続けている仲間たちと共に、ライフリンクは今年度も解散を目指して活動していきます。」



ライフリンクは、1000人を超える自死遺族をインタビューすることで、自死した人の「声なき声」を伺い、社会に問題提起しています。
ライフリンクと東京足立区が提携して「自殺対策都市型モデル」づくりを行ったのは昨年2009年5月。
自治体とNPOが連携して推進する全国初の取り組みです。
足立区でのシンポジウムの冒頭で近藤やよい区長が述べた言葉
「私自身長い間、自殺は自ら選択し他人がとやかく言えないもの、という無知による思いこみがあり、恥じ入るばかりです。様々なレクチャーを受ける中、亡くなる方は、決して死にたくて死ぬのではない、死の直前まで生きていく道はないかともがき、最後の望みを絶たれてやむなく自殺に追い込まれていく、という事実を知りました」

例:倒産・経済的理由による自殺
会社社長でもパパママストアの店主にしても、経営者の求める究極は、自己の夢の実現であり、心血を注いで築きあげてきたものが倒産で、崩壊し人生の夢を失う。同時に取引業者、金融機関、連帯保証人に迷惑をかける責任感に苛まれる。ギリギリまで頑張った責任の取り方の一つが自殺なのだ。

2008年ライフリンク主催の第4回「WHO世界自殺予防デー」シンポジウム、パネルディスカッションにて
「平成不況の深刻化がトリガーになっていることは間違いない。でも日本より貧しい国は山のようにある。「たかだか」経済的理由で困窮した程度で死なざるを得ない、そういう貧しい社会的リソースしか持っていないぼくたちの社会。それ自体恥ずべきことで、社会的包括性のなさが問題です。」
(ex今の日本の生命保険の構造・・「死ねば家族を守れる」生命保険制度の落とし穴)
(ex借財時に、会社が返済できなくなったら、経営者が代わりに返済するのが日本の契約。またその連帯保証人制度)

1998年以降、12年連続、毎年3万人を超える人たちが自殺しています。ということは、自殺が12年でおよそ40万人、遺族が約400万人。
遺族の苦しみ
・自殺から守ってあげられなかったことに対する自責→自殺未遂する人がものすごく多いそうです
・世間からの自殺に対する偏見、白い目 「あの家、自殺なんだってね」「自殺はだめだよね。弱いよね」「おくさん何やってたんだろうね」
・親族からの攻撃 「嫁がちゃんと見てやってたら死なずにすんだ」「何やっとったんだ」
・経済的困窮に陥る
・生きていく希望の喪失

・自死遺児の就学断念



法律はできたけど・・・・
「自殺対策基本法」っていう法律はできたけど、それで何が変わるん?

清水康之さんからの回答~

「問うべきは法律によって何が変わるかではない。私たちが何を変えていけるかだ」。
確かに基本法は、国や自治体に対して自殺対策に取り組む責務を定めている。
しかし、忘れてはならないのはこの法律は自殺対策の現場のニーズにこたえる形で、現場で活動する私たち自身が国会議員有志と連携して作り上げたものだということである。
「法律はできたけど何も変わらないのではないか」と、斜めに構えるのは簡単だ。でもそれは、「変えるために自ら行動しようとしない自分自身」を正当化することにはならない。その気になれば、この法律を使って行政やマスコミを動かし、社会的な対策を展開させることだってできるのだから、こんな使い勝手のいいツールを使わない手はないのである。
問うべきは、私たち自身がこの法律をどこまで使い倒していけるのか。
基本法の目的でもある自殺総合対策の推進とは、すなわち、「生き心地の良い社会づくり」でもある。だからこそ、国や自治体、全国の民間団体や自死遺族の集い、弁護士や医療関係者などの専門家たち、お坊さんなどの宗教関係者、それに企業や財産など、あらゆる立場の人たちがそれぞれの得意分野を活かしてほしい。


なるほど、
先にあげた各省庁の取り組み例しかり、
東京足立区をモデルとした自治体の取り組み、秋田県のこころみは、官・学・民の連携で先進的です。
民間では、
いのちの電話
多重債務による自死をなくす会
自死遺族の会
あしなが育英会
自殺防止センター
分ちあいの会
などは全国的に会が分布しており、全国レベルの展開をしています

また個人個人のつどいでも
東尋坊での茂さんの活動、蜘蛛の糸の会、佐藤初女さんの森のイスキア※http://www.youtube.com/watch?v=m68-sIwMAoQ&NR=1
など有名な知名度のあるものから
表には全く出ないでも、地道に活動しているものは、たぶん数えきれないぐらいあると思います。


そう、たったひとりで、今から始められる。できること、やれることはいっぱいある。

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炊き出し

今日は初めて炊き出しに行ってきました。
名古屋の豊国神社に隣接する中村公園の一角です。
神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity,略称M.Cミッショナリーズ・オブ・チャリティー)が行っている炊き出しです。

海部郡七宝町にある神の愛の宣教者会で、炊き出し用のおにぎりを作るお手伝いはしても、炊き出しに出かけたのは今日が初めてです。

公園に行くと、すでにシスターはじめ、炊き出しボランティアの方々は来ていました。
ボランティアの人たちは初対面なのに、お互い見るなりにっこり、「お手伝いにきました」だけですぐ馴染める不思議は雰囲気。
特別なあらたまった挨拶も気遣いも必要ない。
炊き出しされるシスターはじめ、ボランティア、お食事する皆さんの心もちが反映されているような気がします。

メニューはおにぎりに、超具だくさんのお味噌汁。(これがまたおっきいおにぎりです。フツーサイズの2~3倍)
びっくりしたのは長蛇長蛇の列です。
もう何年も続いている炊き出しでしょうから、頂く方も慣れていて、きちーっと整列。何のトラブルもなく、順番に並んでおにぎり・お味噌汁を受け取っていかれます。「あ、どうも」「こんにちは」「ありがとう」と声を出す方もいます。

ボランティアさんで炊き出しをもらう方もいます。

人数が多いからか、おにぎりはまず1個ずつ配り、余ったので、2順目開始。皆さんはまたそのまま並びます。
手作りきびだんごも登場。最後の方はおそらくコンビニからの廃棄処分前のパンやら弁当やらを受け取る人も。


気づいたのは、大変失礼な言葉かもしれないですが、真夏の夕方4時半、
一日いや数日分の汗、排泄物、外のほこりをしっかりあびてるはずなのに、皆さん臭くない。こぎれいです。
中にはホームレス人生の年季の入った感じの老人(日焼けしておひげぼうぼう)もいましたが、
かなり多くの人は、見たからに、普通。道行くひととそう変わりないんです。
ふつうのおじさん、おばさん(3・4人いました)です。
そして、意外に若者が多い。別にうつうつした雰囲気もなく、さらりとおにぎりを受け取っていかれる。

これをどう受け止めたらいいのか。

「ホームレスっていうと、何か汚い、ふれたくないイメージだったけど、なんだふつーのおじちゃんじゃないか」などと感じると思います。
実際そういう感想の話は聞きます。

私はなんか怖くなりました。

つい先日まで普通に会社などで仕事をしていた、今も日雇いで働いている。アパート代が払えなくなってアパートを出て、今はホームレス。

つまり熟練型ホームレスと、普通の生活の中間層にいる感覚の人たちが非常に多い気がするんです。
みなさん髭もそってて、爪もそうのびてない。どこで洗ったか、髪もネバネバしてない。ラフだけどフツーの服装です。
でも屋根がない。屋根のある部屋で、布団の上で寝れない。暑くてもエアコン、扇風機がない。借金を抱えているかもしれない。
病気にかかって治せてないかもしれない。

ホームレスというのが、何かいとも簡単に、明日にでもなってしまいそうな、そんな危機感を感じます。
今の日本にいったいどんなに多くの人がいとも簡単に屋根のない、布団のない生活を余儀なくされているのでしょうか。



修道院:神の愛の宣教者会 〒497-0011 愛知県あま市七宝町安松1丁目15
052-441-5141  (日本には東京と あと別府にあるだけです)

田舎です。田圃のまん前にあります。
平屋の建物を目の前にしただけで、何とも言えない癒し、清浄、清らかなさわかやな愛を感じます。
入口はいつも開放、あけっぱなしだそうです。

月 水 金 午前中10時ぐらいからと午後から おにぎりなど作ります
16時ごろ修道院を出発 月 金は中村公園  水は名古屋駅近くの西柳公園です

だれでもフラッと来てボランティアできるようです。申し込み必要なし。
宗旨宗派も関係なし。
私は、クリスチャンではないです。マザーテレサの宗教的精神に心惹かれますが、信仰として入ろうというのではなく、
マザーテレサの生き方、行動に対して、自分なりの共感をするからです。

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闇の中に光を見いだす

内閣府参与の対談

2008年12月暮れ、東京日比谷公園での年越し派遣村でマイク・メガホンを持って、派遣切り、貧困問題について熱く語る湯浅誠さんは、
1995年からホームレス支援、貧困問題に取り組んできた方。

2009年に全国のハローワークで、ワンストップサービスが実施されました。

貧困状態にある人は、ひとつの問題に限らず、いくつかの問題を複合的に抱えています。
ところが、失業手当の申請や仕事を探すのはハローワーク、住むとこさがしは不動産屋、
生活保護の申請は役場、うつの相談は病院、借金返済の相談は弁護士による相談窓口へ云々・・・
というように、相談窓口がばらばらのため、移動する交通費さえない人たちにしてみれば、
そこまでたどり着けない。仕事だけ見つかったとしても、住む家や生活資金のことが解決されないと
働きに出ることができないため、結局、仕事もおじゃんになるなど、困難をかかえていました。

「ワンストップ・サービス」とは、これらの相談・申請がひとつの場所でできる、職業相談・住居・生活支援の相談・手続が1か所でできるようにするものです。
11月30日に全国77カ所のハローワークにおいて試行実施し、12月も行われました。




2006年、自殺対策基本法が制定されました。
今まで、自殺の問題は、あくまで個人の問題であって、側から語ることは避けられてきた問題。
しかし、1998年より毎年3万人を超える方が自死を選択する中で、「もう取り組みではいけない。法律が必要だ!」と叫んだ方がいました。
元NHKディレクターの清水康之さんです。

清水さんは、親を自殺で亡くした遺児のことを「クローズアップ現代」の番組で作成してから、
自殺問題に取り組み始めます。
あしなが育英会のセミナーに子ども(遺児)と参加して共に生活し、自殺を取り上げた番組作成に
意欲を燃やしますが、なかなか取り上げられず。

以後、NHKの中にいたのでは思い切った取り組みができないと、NHKを辞め、
NPOライフリンクを立ち上げます。
今年、「自殺対策100日プラン」が実されました。
毎年自殺の多いのが3月・4月・5月。この100日の頭の3月を自殺対策強化月間として、とりくんだのが
睡眠キャンペーン。地下鉄や電車の張られた「眠れてますか?」のフレーズ広告。

自殺者層として多い中高年は、「大丈夫?」「疲れてない?」と言われてもなかなか弱音をはかない。がんばってしまう。
でも「最近眠れてる?」なら答えやすいのではないか、というので、うつの初期症状を発見する目的もあります。

さらに、自治体独自の取り組みとして、東京都荒川区・足立区では本格的に生きる支援のネットワーク構築が去年から始まっています。

ライフリンクの取り組みが「ライフリンク通信」で報告されています。
自殺の実態、社会的問題の分析、地域ごとの実態、全国でのとりくみ、行政・自治体での立ち上げなど、生きやすい社会にするために、
こんなことをやってくれているんだ、こんなことが実現できるんだ! が分かってきます。
ライフリンクに依頼すれば、最近の通信をまとめて送ってくれます。結構な量なのに、無料で。「みなさんに広めてほしいから」だそうです。

HPではものすごい分析と調査量が分かりやすく緻密に開示されています。しかも、困ったときのデータベースDBが細かくできていて、
駆け込み寺がすぐ見つかる、まさにすばらしいの一言。
ライフリンク通信申込→http://www.lifelink.or.jp/hp/newsletter.html


「貧困」も「自殺」も、何か忌み嫌われるような暗い話、自分とは関係ないから考えない、というような冷めた意識の中でしたが、
それはもう時代遅れの感覚です。自殺のことを真剣に取り組み始めた自治体もあります。
日本の風潮は、まずは横並び。みんなでつるんで連鎖して反対して、制度としてあげない。でもそのうちひとつ、突出したところが出てきて、
しかもいい調子で成果をあげれば、「じゃあうちも」というところが少しずつ出てきて、だんだん増えていって広がっていく。そんな社会。

全国いろんなところで多くの方々がそれぞれの活動をしてきたから、今それが社会に反映されてきつつあるのだと、思います。

そして、実際の取り組み、法律化に至るまでに大きな関わりをされた若きお二人の存在があります。
現在内閣府参与である 湯浅誠さんと清水康之さんです。

私から見れば豊かで安定した家庭に生まれ育ったお二人が、経験されたことのない貧困・自殺という社会のいわば暗闇に焦点をあてて
取り組まれている様は、どうして、そこまでできるのか、不思議でしようがありません。

お二人の対談の様子が本になりました。

「闇の中に光を見いだす」

市民活動の現場にいたお二人が、いきなり政府の中に入って、もがかれる様が対談の中で語られています。
内閣府参与という役職は、いわばアドバイザー的存在で、意見はできるが、権限がない。給料は高くないわけです。

湯浅さんは、
「いわば「一本釣り」されて内閣府参与となったのは、とりあえず現場の意見を汲み上げるための方策という点で過渡的・実験的な性格を
持っていると思っています(一人だけポチャンと官僚の中に投げ込まれて、さあやってみろ、というのは矛盾の凝縮体でもと思いますが)」と
おっしゃっています。

以下、本より抜粋~~~
<行政の壁にぶつかって>

湯浅さん:
ワンストップ・サービス・デイの施行実施をどこの自治体も「うちだけではやりたくない」と、相すくみ状態になる。・・・・・中略・・・・・・
国がこんなに力がないとは思いませんでした。私としてはかなり苦しかった時期でした。・・・・中略・・・・・・・・・・・・

清水さん:
誰かが意図的に悪循環に陥らせようとしているとは思いたくないし、思わないようにしているのだけれど、見えざる手が働いていたというか・・・。
その悪循環は、自治体との交渉の前の、厚労省の会議の段階から、ひしひしと感じていました。・・・・・中略・・・・・・・・
厚労省の会議では「そんなことでは自治体を説得できない」「それは時間的に間に合わない」など、とにかく無理だ、難しいという。・・・・・
湯浅さんは現場から全体のことを考えているから、そこで、踏みとどまる。その攻防たるや。
「またの機会にしましょう」となりかねない局面が何度もありながら、湯浅さんが立ちはだかって、当事者(貧困者)の代弁をしてきた。・・・

会議の中で空気がはりつめてきたときに、湯浅さんが押し切ろうとしているのを見ると、
「ああ、この人は何がモチベーションでここまで立ちはだかれるのかな。でも、こうやって立ちはだかるやつがいないと、支援策のはざまに
落ちてしまう人(貧困)が増え続けてしまうわけで、きっと湯浅さんもいろんなところで、いろんなものを背負ってきたからなんだろうな」
と思ったりしていました。それで別に高い給料をもらえるわけでもないし、得することは何一つないのに。

湯浅さん:ははは(笑)。

清水さん:
一つの判断で支援の幅や内容が変わり、どれだけの命が救われるか、どれだけの人が解放されるかの選択が
迫られる会議で、(官僚からの)できない、できないという雰囲気が広がってきたときに、
「これはこうしますから、こうしてください」と湯浅さんが言って押し切ったあとの、厚労省の人たちの愕然とした表情とか、
湯浅さんが次の話にクロスさせて進めていこうとしたときの、まわりの「ちょっと待って、どうなっているの!?」
といった(うろたえた)感じとか。
これが映像として撮れれば、対策の意思決定上の構造的問題を明らかにすることができると感じたから。
取材陣は会議のところはいわゆる「頭撮り」で、最初しか撮影が許可されない。

閉ざされた空間の議論で、壁を前にして心が折れ、いつ妥協してもしかたがないような状況の中でも、湯浅さんは妥協しなかった。・・・

自分は自殺対策の分野で、それなりに妥協せずにやってきたつもりだけれど、こういうふうに湯浅さんが他の分野で闘っている、一念、岩をも通すという姿勢には、心揺さぶられるほど感動的なものがありました。
湯浅さんが神経をすり減らしながら、立ちはだかっている。これは自分も・・・・・中略・・・・・・・・

湯浅さんに会って感じたのは、まだ日本社会も捨てたものじゃないと。湯浅さんがいなかったら、
年末のワンストップ開催など、ありえなかったし。
自殺対策の観点からも、どん詰まりに追いつめられて、死ぬしかないと思っていた人たちが、あのワンストップを通じて、
やっぱり生きていこうという思いに変わったのは、単なる数字には表れてこない重みがあります。





内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後  
2010.3.6 いったん内閣府参与を辞職したときの湯浅さんのメッセージ
抜粋
全文は→http://www.labornetjp.org/news/2010/1267807607040staff01


今回就任するまで、私にとって「霞ヶ関」との関係は、会議室で向き合って交渉するか、正門前でハンドマイクを持ってアピールするか、
しかありませんでした。中で具体的にどういう人たちが、どういう議論をして、どうやって政策決定をしているのか、さっぱり知らなかったし、
見えませんでした。・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(内閣府参与としてやるようになって)逆に私は、活動の仲間から「見えない」と言われるようになりました。
(会議の)中ではバタバタグチャグチャやっているのに、外からはその様子が一切見えない。ブラックボックスのようだと感じました。
そして、外に見えるのは、どこまで本気で言っているのかよくわからない「官僚答弁」ばかり。
これでは官・民の心理的距離は広がるばかりで、見えないことによるフラストレーションが不信感を惹き起こします。
私が見聞きする官僚批判の中には、もっともだ思うものもあれば根拠のないバッシングと感じるものもありますが、その背景には
「見えない」ことによる疑心暗鬼があるのではないかと思います。・・・・中略・・・・・・・・・・・

しかし、こうした官民の相互不信は、結局誰も幸せにしないのではないかと思います。・・・・・
そして私は、そうした両者の溝を少しでも埋めるために、官民の間をもっと頻繁に行き来する人たちが増えるべきではないかと感じています。
いわゆる「新しい公共」という概念では、公共を担うのは官だけではない、とされています。しかし現実問題として、民からは官がどう政策決定をしているのかさっぱり見えない、官は民を政策決定プロセスから排除するという中で、「ともに担う」ことなどできない。もっと、政策決定プロセスを知っている民間人、現場を知っている官僚が増えるべきではないでしょうか。





また、清水さんのことを語った、文化人類学者:上田紀行さんのことば。
※上田紀行さん――学者であって、ご本人も自殺と切っても切れない重みをかかえて生きている方。
「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ より抜粋


そして彼(清水さん)は泣く。講演でも、自死遺族の青年たちのことを思い出して、絶句して泣く。日本の自殺を止めるためにとNHKを辞めたものの、活動はまだ成果を生み出さず、生活(自身の)も困窮し、孤立無援観に苛まれていたときに、元の上司が頑張れよ!と支援してくれたありがたさを思い出しながら、対談の間にも絶句して涙ぐむ。一見クールなイケメン青年に見えながら、実に熱く、浪花節な奴なのだ。





こんなにも人のために智慧を働かせ、行動する人がいる。今、日本の大きな問題、「自殺」と「貧困」。
「べつに貧困にも自殺にも自分は縁がないと思うし、ぴんとこないし」、であっても、この湯浅さんと清水さんのような生き方は、とてもいい。

社会に対して、「生きにくい!」と警鐘を鳴らす。活動の中で相手にされないばかりが、非難ごうごうの続く中、岩をも通す念と行動。
湯浅さん41歳。清水さん38歳。この若さで参与として奮闘している。信じられない人たちです。

自分も、周囲から「生き心地の良い社会」にするにはどうしたらいいかな、を工夫して考え、行っていくつもりです。



自立生活サポート・もやい http://www.moyai.net/
自殺対策支援センターライフリンク
 http://www.lifelink.or.jp/


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アフガン戦争と沖縄米軍基地 上映会(in伏見ライフプラザ)
に行ってきました。

フリージャーナリスト:西谷文和さんがアフガニスタンに飛んで、過ごした、取材した映像をドキュメンタリーにして、2010年7月完成したばかりのDVD。
これから、音声をお伝えします。



2009年1月20日、アメリカに新しい大統領が誕生した。アメリカ初の黒人大統領。
イラク戦争にずっと反対してきたオバマ大統領


何しろ今までの大統領(ブッシュ元大統領のこと)がひどすぎた。
「イラクは大量の破壊兵器を持っている」とか「アルカイダとフセインはつながっている」とか
様々な嘘をついては戦争をしかけた。
この戦争を全面的に支援したのがイギリスのこの人。
世界中からブッシュのプードルと非難された。プー



日本のこの人は、ブッシュのポチと言われた。ワン。

その結果、アフガニスタンとイラクで多くの人が殺されてしまった。

アメリカは、劣化ウランを使い、クライスラー爆弾を落とした。
もしかしたら特殊な神経をマヒさせる毒ガスを使ったかもしれない。

だから戦争をおこしたこの男(ブッシュ元大統領)、この人(ブレア元首相)この人物(小泉元首相)は責任を取るべきだ。GUILTY!




「CHANGE」を掲げるオバマ大統領の姿勢に私たちは大いに期待した。ところが、、、


「テロとの戦いは正義って言ったって、結局人殺しじゃないか。」

「そもそもテロリストって誰?」

「アメリカはなんで戦争ばかりしてるの?」



場所はアフガニスタンの街へ

アフガニスタンは、冬は氷点下まで下がる。
町は表面的にはショッピングセンターなど綺麗な建物が増えたが、一歩町の裏側に入ると、人々の暮らしは極めて貧しい。
窓もない、電気もガスもないキャンプでの生活。凍てつく大地に裸足の子どもたち。


アフガニスタンでの戦争の始まりは、1979年、旧ソ連(またここか・・・)がアフガニスタンに侵攻してきたこと。
これに対しアフガニスタンではアフガンゲリラが応戦した。

アフガニスタンに住んでいた人々は、戦火を逃れるために故郷を捨て、パキスタンに避難する。
パキスタンでの難民生活20年以上。しかしパキスタンは彼らに永住権を与えず、パキスタンから追い出した。
あまりに大量の難民がアフガニスタンに戻ったため、土地や家活は保障されなかった。

そして故郷ではまだ戦争が続いていた。

「カブールに行けば仕事がある」、とやってきたが仕事も家もない。みんな難民キャンプぐらし。



2007年ごろから、アメリカはアフガニスタンとパキスタンの国境で集中的に空爆を始める。
タリバン掃討作戦である。
そして、オバマ大統領になってからは、特に無人空爆という戦法が多くなった。

無人空爆

プレデターという無人機に赤外線カメラを積んでアフガニスタンの人々の生活を監視する。
この無人機を操っているのが地球の裏側、ラスベガスの郊外にあるクリーチ空軍基地。
パイロット室では、一人の兵士がモニターで監視しており、もう一人がミサイルを撃つ。
モニターにテロリストと見られる怪しいものが映ると、ここからボタン一つでミサイルを発射するというもの。
テレビゲームのような戦争である。

しかし、これによって、今、多くの誤爆が起きている。
(DVDのタイトル『GOBAKU』のゆえんです)


兵士はミサイル発射を終えると、華やかなラスベガスの街を横目に車で走らせ、家路に着く。
ついさっきミサイルを発射した兵士が、やさしい父親に変身し、日常生活に戻る。

今やこれが戦争の最先端の姿なのだ。



2009年10月6日、アッサン・ビビちゃん(遊牧民の9歳の少女)がこのミサイルによる誤爆で全身を焼かれた。小屋で寝ていたのだ。

この誤爆のあった日の3日後、2009年10月9日、オバマ大統領はノーベル平和賞を受賞した。
通訳はこれを「ノーベル戦争賞」の間違いではないか、と云った。


別映像:
ニュース   GOBAKUの一端が見れます。
http://www.youtube.com/watch?v=cxUK4WMOd3A&feature=related




GOBAKU音声続き

2009年10月8日、アフガニスタンの首都カブールで、自爆テロが起き、一瞬にして商店街数十件が吹き飛んだ。
13人死亡、80人がけがをした。
壁の向こうにはインド大使館。ビザがおりないことの腹立ちからか、インド大使館に集まる外国人を狙ってのもの。
パキスタンタリバンによる仕業か、と言われた。

アメリカが空爆すればするほどアメリカへの非難が高まり、住民がタリバン化する。

戦争被害者は取材に友好的だが、カメラを向けると顔をそむける青年がいる。
ニュータリバン(避難民キャンプから生まれてしまうタリバン)なのか?



タリバンの正体

西谷文和さん タリバンの拠点カンダハールへ。
空港から仕掛け爆弾通りを経て、ミルワイズ病院へ。

病院の中は、悲惨だった。

テロリストと間違って撃たれた子どもたちが溢れている。


病院の中は比較的安全なので、群がっている住民たちにインタビューする。

「5日前、スイカを運んでいたら、タリバンが来て銃撃を始めた。そこに米軍が来て全員を空爆した。」 住人
「米軍はこの子をテロリストと間違えて撃った」 住民

「被害者たちは、アメリカ軍とタリバンの両方から殺されるのか―。」 西谷さん

「その質問はしない方がいい。この中に(タリバンが)いるから。」 住人

「あの男?あの子どもの後ろの黒いターバンの(小声で)。」 西谷さん

「そうだ」 住人



そもそもタリバンはいつどこで生まれたのか。何をしているのか。


1979年、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻した。
旧ソ連と戦うために、各地でアフガンゲリラが現れた。

世界は米ソ冷戦の真っ最中、ソ連の侵略と戦うために、タリバンは組織された。
アメリカは、当然、旧ソ連と戦うアフガンゲリラを支援した。

サウジアラビアのオサマ・ビン・ラディンはこのときアメリカによって送り込まれたアフガンゲリラだった。


旧ソ連とアフガンゲリラとの戦いは10年も続いた。
アフガンはアメリカの最新兵器を使って、ついにソ連を撤退させた。

アメリカからの兵器はパキスタンを経由した。
パキスタンはこのとき大量の兵器を中抜きした。サウジアラビアからの援助もパキスタンは中抜きした。
これが10年も続いたことで、パキスタンは巨大な軍隊を持つことになる。

旧ソ連が撤退したので、これでアフガニスタンには平和が訪れた、と誰もが思った。
が、この後アフガニスタンは内戦に突入する。

●ドスタム ●マスード ●パヘクマティフル ●ハザラ人将校  
それぞれの民族が争った。 

ところが1994年、イスラム神学校の青年将校がカンダハールを攻撃。その後タリバンがアフガニスタン全土を制圧する。  
マスードとドスタムは北部同盟を結ぶが、タリバンの勢力は圧倒的、そんな中、
アフリカのスーダンに隠れていたビン・ラディンが戻ってくる。
そしてアフガニスタン全土を支配する。


わずか二十数名の青年が決起したのが、なぜアフガニスタン全土を支配するにいたったか?

その答えはパキスタンにある。

カスピ海には膨大な石油や天然ガスが眠っていた。パキスタンには石油パイプライン構想があった。
カスピ海からアフガニスタン、パキスタンを通ってアラビア海に抜ける。
一方このルートを通らずにイランを通れば、直通でいける。しかしイランは反米国だ。
アメリカもまたイランを通過させたくなかった。

アメリカ・パキスタンの石油パイプライン構想、そこには大きな問題があった。内戦中のアフガニスタンだ。
アフガニスタンを経由するには内戦を終わらせなけらばならなかった。
しかし、パキスタンが直接内戦に介入すれば、旧ソ連からの攻撃を受ける。
そこで、パキスタンはタリバンを使ってアフガニスタンを間接的に支配しようとしたのだ。

つまりタリバンはパキスタンが作り上げた軍隊なのである。
そしてアメリカはパキスタンの同盟国。アフガニスタンの資金を援助してきた。
その資金でアフガニスタンでは内戦がおこり無政府状態になった。
アメリカ パキスタン連合は石油パイプライン構想があってアフガニスタンの内戦を終わらせたかった。
そこでパキスタンはタリバンを使って終わらせようとした。

そのタリバンに、ビン・ラディンがもぐりこんでいた。


  
2001年9月11日 同時多発テロが勃発

タリバンはアメリカの敵となりアフガニスタンで戦争がはじまった。そしその戦争は今も続いている。

私たち日本人は9.11事件以後のアメリカやタリバンしか知らない。

歴史をさかのぼると、タリバンはアメリカの軍事支援でできた組織といえる。

なら、アメリカは一体どこと戦っているのか>>>
アメリカが進めるテロとの戦いはマッチポイント、つまりアメリカによる自作自演の戦争なのか。





所はイラクのバグダットへ

女性と子どもの支援センター 
イラク戦争のあとから、イラクでは異常事態が発生している。

口や鼻が割れたままで生まれてくる赤ちゃんで待合室はあふれている。
手の指がくっついている。膝から下がひん曲がってとぐろをまいている。かかとに穴が開いている。
血液が少ない。白血病。etc

原因は劣化ウランだった。
これがアフガニスタンでも使われた。これだけでも許せない。しかし劣化ウランだけにとどまらなかった。

4歳でたった9kgしかない男の子はアメリカによる爆撃のあとから、呼吸困難になり息ができなくなった。ご飯を食べられなくなった。
胃に穴を開けてチューブで栄養を摂っている。
診断によると、毒ガスのようなものを吸っている。

戦争で毒性のあるものを使ったらしい。



場所はバーミアンの遺跡へ

世界一を誇る大仏(西の大仏と東の大仏)。現地ではブッダと呼ばれた。
2003年、この大仏がタリバンによって爆破された。
この地には今、500万ともいう無数の地雷が埋まっている。旧ソ連が残したものだ。
そこにアメリカの爆弾投下があった。

タリバンの時代、アフガン女性は、外で働くことも、学校にも行けなかった。現政権下でも女性地位は極めて低い。
空爆で、地雷で手足を失っても、十分な医療すら受けられず、家に閉じこもっているのではないか。



オバマ大統領が就任直後に行ったこと 
それは、巨大な公的資金をつぎ込み、金融機関を救済したことだった

失業者や  を救ったのではなかった。軍事費を削ったわけでもない。

オバマ氏の選挙資金は、史上最高の最高の6億ドル。
ヒラリー・クリントン、マケイン氏といったデッドヒートに打ち勝つためにはどうしても巨額の資金が必要だった。

これだけの資金は一体誰が出したのか?
サブプライムローンで大儲けしたゴールドマンサックスやシティバンクグループなどであった。  

政府と兵器産業、金融機関、これらが癒着すればどのようなことが起こるのか

ユナイティッド○○社は役に立たない戦車を多数抱えていた。これらを購入、改造して巨大な利益を得た会社があった。
その名は、カーライルグループ。
この会社の代表権を握っていたのはパパブッシュ。ブッシュ前大統領だ。
ブッシュ前大統領が就任した2001年、政府は多くの戦車を購入し、カーライルグループはユナイティッド○○会社の株式を上場。
巨額の富を得た。

まさかオバマ大統領はここまではしないと思うが、強欲なウォール街のやからから巨大な資金をもらった時点で、
彼らに取り込まれてしまったのではないか?

強欲なやからは日本も同じ。同じ事業仕訳をするのならもっと、、、



場所は沖縄へ
沖縄にはアメリカ軍基地がある。
この沖縄の普天間基地からアフガニスタンやイラクへ戦闘機が飛んで行く。
日本ではどこに基地を移すか、そのことばかりが議論されている。しかし人殺しの部隊が沖縄から出ていることはあまり報道されない。

大切なのは、戦争をしないこと。戦争させないこと 
そうなれるならこのような予算は必要ない。
今後この世に落とされるのが劣化ウラン、クラスター爆弾じゃなくて、本やノートであったらいいのになと思う。



「世界には、戦争しか知らない子どもたちが増え続けている。その子たちに“平和”ってわかるんだろうか。」


「算数は苦手だけど、バクダンは作れるよ。」




「私たちにできることは微力だが、決して無力ではない

一人一人が声を上げること。そして権力者を監視すること。」

音声は以上です。^^


西谷文和さんはまた10月にはアフガニスタンに行くそうです。それまで必死で募金を集めています。
そのおかねを持って行って、空爆された人、子どもたちの医薬品を買うためです。
イラク戦争の時からこういうことをしているそうです。そしてジャーナリストになった方だそうです。


募金のあて先
三井住友銀行:吹田支店
普通 3712329 イラクの子どもを救う会 西谷文和

郵便振込
00970-5-222501 イラクの子どもを救う会

イラクの子どもを救う会        イラクの子どもを救う会・ブログ
http://www.nowiraq.com/     http://www.nowiraq.com/blog/

GOBAKU DVDお貸しします。上記の会で1000円で購入もできます。
また皆さんで一緒に見てくれませんか?


ちびちゃんtop







ペシャワール会~ 人水命  27年のあゆみ

現地 中村 哲氏からの報告(詳細はペシャワール会HPをご覧ください)
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/site/
090801index.htm
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日常生活そのものが戦争真っただ中にあるアフガニスタンで、27年も前から、
医療・水・農業活動をつづけてこられた日本人医師 中村 哲(てつ)さん。
 
27年も前からですから、あのアフガニスタンをソ連が侵攻し、アフガンゲリラが応戦していたころから、
アフガニスタン内戦、タリバン政府、そしてアメリカによるタリバン掃討作戦に至るまで、
ずっと戦乱の現地で復興活動をされていることになります。えーーー

活動を支えるペシャワール会主催の写真展が開かれています。
名古屋は国際センターで2010.8.19~8.23まででした。  

「いったいなんでこんなことができるん?」 が正直な感です。

故・伊藤和也さんとともに復興支援に取り組んだ日本人ワーカーの方から1対1で一からの説明がうかがえました。↓


戦乱と環境破壊で砂漠と化したアフガニスタン現地。
国連などの公的機関は現地から引き揚げ、多くの一般人も故郷を捨てていく中、
残ったのは、逃げるお金ももたない、まずしい人たちでした。しかし、生きるための食糧がない。

この時ペシャワール会の日本人ワーカー20人は帰国せず、現地に残り、パキスタンから援助物資を運ぶ行動に出ました。

砂漠になった大地。水がない。それまでは医療活動を中心にしていた中村哲さんは
「病は後で治すから、それまで生きていて」「まずは水だ!」 になって、砂漠の地に井戸を掘り始めます。人力で。

のべ1600か所掘ったそうです。しかし、井戸はいつか枯れてしまう。
そこで次に考えたのが、用水路を作ること。(えー???)
もちろん人力で、気温50度、地表温度70度の日中、掘り続けた。中村哲さんはじめ現地の人たち、そして日本人ワーカーの人たちが。

やがて日本からの支援金が集まり、重機が使えるようになり、6年で25,5kmの用水路が完成。

「このおっちゃんがやったんですわ」
と中村哲さんの写真を指さしてにこにこと語る日本人ワーカーさん。

砂漠の地に水田・スイカ栽培がされるようになった。(茫然)

用水路建設と並行してさらに学校の建設にも乗り出す。

戦乱で両親を亡くした孤児は、うつろな目をしており、生きるすべもない様。
この子どもたちが無償(ずっと)で生活できる寄宿舎も建設。
建ったら、その運営は現地の人にまかせ、日本人スタッフは一切運営には関わっていない。
(普通自分たちが建てた施設、当然しきりますよね。)

この活動理念、活動精神、ちょっとやそっとでは理解できません。


活動については、ペシャワール会HPや動画が強烈です。ぜひご覧ください。

アフガニスタン活動 動画(ニュース)
http://www.youtube.com/watch?v=7S0_S1S4PMQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kqsU11mkA-A&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=f9S9_txKzCM&feature=related

用水路完成 動画(ニュース)
http://www.youtube.com/watch?v=luyLLA-OExY

  ↑これらの動画に紐づいて活動関連の動画が他にも出てきます^^

ペシャワール会HP
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html


ペシャワール会報をひとついただきました。HPに載っていないので、一部を抜粋させてもらいます。


2010.7.7
マルワリード用水路開通
地元農民の生存を賭けた働きと 日本の良心の証   2009年度現地事業報告 中村 哲

7年の歳月をかけたマルワリード用水路の開通は、ペシャワール会始まって以来の壮挙であった。
総工費15億円は全て日本の良心的な人々の寄付によると同時に、地元農民も、文字通り生存をかけ、必死で働いた。
その気魄が、3500haの農地を回復し、15万人以上の帰農を促した。
摂氏50度を超える砂漠の熱風、米軍や軍閥の妨害を跳ね返し、自ら生きる道を開いたのである。

折から「国際社会」は、兵力増派を繰り返し、無用な殺戮と報復の応酬で泥沼に陥った。
無人機で反政府勢力の指導者を家族ぐるみ殺し、村ぐるみ焼き払うやり方は、もはや修復しがたい不信と敵意で眺められている。

欧米軍は道義の上で既に破れ去った。
列強のアジア分割から百数十年、暴力的支配の後始末もまた、むき出しの暴力によって血塗られている。
暴力が暴力に倒されるのは、歴史の鉄則である。この状態が長く続くとは思えない。はっきりしているのは、
吾々は何かの破局――自明としてきた国際秩序、価値観、経済的活動等、すべてが問い直される時代のただ中を、生きているということだ。


現在開拓が進むガンベリ砂漠には、興味深い伝説がある。数百年前、ここは緑豊かな大村落があったという。
ケシュマンド山脈から下る雪解け水、雨水が常に小さな川をなし、現在のシギ村は繁栄していた。
だが神は人間を試された。年々水が減ったとき、人々は和せず、わずかな水をめぐって村々が分裂、流血の抗争となった。
その結果、おびただしい人々が死に、村は砂漠の中に消えた――この話は今でもシギ村の人々の間で語り継がれている。

栄枯盛衰は世の常である。しかし、人もまた、自然の一部である。天の恵みを忘れ、天から与えられた相互扶助と和の心を失い、人為の
世界を誇り、傲慢に至れば、自ら作り上げた迷路に陥って自滅する。これは他人事ではない。

現地活動は今後も継続される。吾々は次の世代に何を残そうとするのか。漠々たる熱風の中に消えていった人の営みを思うとき、
蜃気楼のように自分たちの行き着く先を考える。
ライフルや戦車、無差別の殺戮、愚かな人間たちの血の乱舞も、分を忘れた富貴の夢も、飾られた人の言葉もまた、幻である。

砂漠が緑野に変わろうとする今、木々が生い茂り、羊たちが水辺で憩い、果実がたわわに実り、生きとし生けるものが和して暮らせること、
これが確たる恵みの証である。世界の片隅ではあっても、このような事実が目前で見られることに感謝する。
2010年も変わらず力を尽くしていきたい。


2009年は、米国=オバマ政権の方針で欧米軍の増派が更に進められ、混乱がいっそう深まった。
初期兵力(2001年)の12000名から100000名になり、実に10倍に膨れ上がった。犠牲者は過去最悪を記録している。

最近の顕著な傾向は、これまで比較的平穏であった北部で軍事衝突が活発になり、パキスタン北西部および隣接するアフガン東部、南部で、
米軍の無人機空爆が頻発するようになったことである。
2010年2月からISAF(国際治安部隊)は「タリバン掃討作戦」と称して、南部パシュトゥン部族への攻撃を強めた。
しかし、一般住民とタリバン兵を区別するのは不可能である。殺戮されたのはほとんどが普通の農民・市民であったと噂されている。





想像を絶した中村先生のプラン     元PMSワーカー 川口拓真

「無謀と思えた建設計画」
(略)・・・・・
2002年に「緑の大地計画」が発表され、それまでの医療事業と井戸掘り事業に加え、「水路と農業も始める」と
中村先生より伝えられたことを思い出します。
あの当時、荒れに荒れ、渇きに渇ききったあの大地を緑に変えるという計画は、正直無茶だと私は思っていました。

すべてのヤル気を失いそうになるほどの灼熱の岩石砂漠に山塊
、集中豪雨による土石流と、用水路に立ちはだかる難関は多く、
ペシャワール会の限界を超えていると思っていました。今でこそ、水路は完工し緑が広がっていますが、何もなかったあの荒れ野に、
大きな用水路が伸びていく日々は、現地で仕事をしていた私でさえ、驚きの連続でした。
国連や米軍でさえ驚いた、25キロの水路という国家級のプロジェクトを、福岡市のマンションの一室に事務所を持つ小さなNGOが
やってしまったのですから、なお驚きです。

中村先生は水路現場で指揮するだけでなく、水路の水に浸かり、アフガン人と一緒に泥だらけになって水路を造る姿勢が、
現場全員を奮い起たせてくれました。これまでの現地活動が続いていることは、当然、中村先生のご尽力によるところが大きいと思います。
それと、ペシャワール会に寄付して下さった、支援者の皆さまのおかげであるとも思っています。

アフガンのジャララバード事務所で会計事務をしていて思ったのですが、大がかりな水路工事は、たくさんのお金を使いました。
最初の頃は、スコップで人海戦術だけだった掘削も、ユンボやダンプカーなどの重機が大活躍しました。多くの方々の寄付がなければ、
これだけ大がかりな工事もできなかっただろうと思います。

いただいたお金は遺さず事業に使い、事業を遺す。会計事務をしていて、立派なお金の使い方を中村先生より教えていただいたように思います。

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無関心の恐ろしさ

戦争と平和の資料館『ピース あいち』で、2010.9.11まで「アンネ・フランク展」が催されています。
広島県福山市にある「ホロコースト記念館」所蔵の展示物です。

ナチス・ドイツがユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を行った背景、最大級の虐殺現場アウシュビッツ強制収容所の様子が
アンネの家族を題材に展示されています。

机に並んでいた資料本の中で、『母と子で見るアウシュヴィッツ』草の根出版会 早乙女勝元 編 を手に取りました。
母と子で見る、、、なんて見れたもんじゃない!アウシュヴィッツの写真などはこれまでにも見てきたですが、この本は、
掲載の写真、伝える事実の文脈も地獄以上といえるものでした。

ピース あいち 
名古屋市名東区に近年できた資料館。
 http://www.peace-aichi.com/ 

自治体の援助が頓挫されたにもかかわらず、平和のために役立てようと考える心ある住民の力が資金・土地・知恵を結集して、2007年5月4日にオープン。苦労の資料館です。
そのためか、駅チカとはいかなかったみたい。
実にさわやかな平和感ただよう建物です。

中に入ると、長机がポンとあって、そこで、おじいさん・おばあさんたちが交代で受付をしています。
事務所と展示室の仕切りはなく、スタッフさん(ご高齢多し)が静かに奮闘しています。

見学者が来ると、さりげなく、そしてやさしく声をかけてくれます。1~3階の各階にスタッフさんがいてくれて、聞けば即座に対応してくれる感じです。こじんまりとした建物ですが、中身はなかなか!!! ホントに小さな子どもも楽しんでふれるコーナーや、戦争の無残さを赤裸々に訴える箇所、手作りの戦時生活再現コーナー等など。

夏休みにもかかわらず、小学生の団体が見学に来ました。さあ、おじいさんたちの出番です。これがなかなかうまい!プロです。ちょっとやそっと練習したくらいではああはならない話術、子どもたちの誘導。
40代ぐらいの年の女性の説明に、子どもは気もそぞろ、ガタガタ。なのにおじいさんの説明にはなぜか子どもたちは「しぃ~ん」とくいいるように、ふむふむと。
若い世代に伝えたい、おじいさんの熱い魂、というのかな、脱帽しました。

名古屋市のこんなところに、こんな平和を目指す美しい学びの館があります。HPも素敵です。時期に応じていろんな催し・映画会をしています^^企画展示の準備も、ボランティアさんの手で一つひとつ進められています。
 入館料300円です

軍需工場で空襲を体験した同県愛西市の女性(86)が助産師などの仕事で蓄えた現金1億円と提供くださった土地に建てられた施設です。思いが深いです。

そもそもこんな生の写真、どうやって撮れたのか。。。中には、「さあ撮るからこっちを向いて」、ぐらいのアングルで撮った、しかも無残極まりない写真も多数あります。

偶然にもか必然か、その答えを親友が教えてくれました。

ユダヤ人の写真業をする人が、写真を撮る腕があったがために生き残れたのですが、強制収容所に入ってくる人々の写真を全部撮らされた。

数日後には、皆(ガス室へ)送られるって知っていながら、同胞を、子どもたちまで撮らされて、どんなに苦しかったか、
というニュース↓を教えてくれました。
http://news.tbs.co.jp/20100819/newseye/tbs_newseye4506001.html


『母と子で見るアウシュヴィッツ』の中には、虐殺の様を描いた絵画もありました。絵の描けるユダヤ人に命じて描かせたとのこと。ガス室の上階に穴が設けられていて、そこから中をのぞかせて描かせて、ナチスは喜んでたそうです。


私たちが目にするアウシュヴィッツの写真や絵画には、虐殺された方々の慟哭の念そのものが入っていたことを初めて知りました。
ならばよけい、風化させてはいけない。封じ込めてはいけない。


ポーランド南部オシフィエンチム(Oswiecim)のアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所跡地に建てられた博物館では、昨年より、老朽化した施設の恒久保存のため、ポーランド政府が各国に資金協力を要請しているそうです。



ピースあいちの展示説明の中で、とんでもない言葉に出会いました。

「事実を知りながら何もしなかった一般市民。
抗議しなかった国々(ホロコーストの悲劇は30以上の国に広がりました)。
無関心を装った人々、
また見ているだけで何もしなかった傍観者が、
ホロコーストをこんなにも広げてしまった・・・。」


知っていても知らんぷり、視界に入っていても見ようとしない、それでいて人を目ざとく観察する、そして心の中で勝手に人を裁く。そんな小さな心無い行為の蓄積が、時と場合によって、とんでもない悲劇を引き起こす。
無関心という傍観者であることは、もしかしたらナチスの行為に次ぐもの、間接的に虐殺に加担したことになるのでしょうか。

無関心の恐ろしさを改めて思い知らされ、ぞっとしながら帰りました。





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凛として愛

太平洋戦争(大東亜戦争)はなぜ起こったか?
どんな背景が原因で起こったか?
日本は侵略戦争をしたのか?

これに対して真実を答えることは、私にはできません。
なぜなら、私たちは戦後教育を受けてきたからです。

東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本は敗戦国として裁かれました。日本は侵略戦争をしたことになりました。

戦後教育はスタートします。
戦後教育はどういう構想の経過をたどったか?

1945年 8月15日:終戦
       9月15日:「新日本建設ノ教育方針」発表。文部省より。
              (しかし、
連合国軍総司令部(GHQ)における各指令により、用をなさなくなる)
      10月22日:「日本教育制度ニ対スル管理政策」に関する指令 
~GHQより
      10月30日:「教員及び教育関係者の調査、除外、認可」に関する 
~GHQより
      12月15日:「国家の神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止」に関する指令 
~GHQより
      12月31日:「修身、日本歴史及び地理の停止」に関する指令 
~GHQより
             
教育面の戦後処理=占領政策が行われた。
1946年 3月 5日:第一次米国教育使節団来日
~GHQの招請
               同時期、日本教育家の委員会設置
~GHQよりの指令
       3月  末:米国教育使節団報告書。(=勧告=命令)
       5月    :「新教育指針」発表~文部省より。

       8月   :教育刷新委員会発足。
              (敗戦の原因は、せんじ詰めれば教育の誤りにあり、第2の維新を遂行するその根本に、教育の刷新がある、という位置づけで発足)
1947年 3月31日:「教育基本法」施行~文部省より。
        5月 3日:「日本国憲法」施行。

「新教育方針」の中身各部・各編の内容も、
「今までの日本人はダメ。これからは、アメリカの考え方を学び、新たな日本人になっていかなければならない」ということが、
「これでもか!」というくらい書き連ねてある。
教育刷新委員会はGHQの実質的支配下におかれ、米国教育使節団報告書の範囲を越えないかぎり、自由に活動することは許されなかったようである。


このように、日本の文化・歴史が否定され、国語を解体したうえで、民主的教育とは、
「個人の価値と尊厳を認めること」にあり、「個人の感性、人間尊重」を基本的な教育理念とする教育体系がスタートします。

1952年、サンフランシスコ平和条約において、連合国軍の日本占領体制は解かれ、日本国民の主権が回復された、と教科書にはありますが、
日本人への思考工作、洗脳によって、「時間とともに日本人は消滅する」という教育カリキュラムの基礎が既に完成していたのです。




太平洋戦争(大東亜戦争)はなぜ起こったか?
どんな背景が原因で起こったか?
日本は侵略戦争をしたのか?


戦後教育を受けてきたことは、ここでまずは横においといて、この映画をご覧ください


凛として愛』


靖國神社の遊就館で上映するために製作された映画です。
たった2日間だけ上映され、中国と韓国から抗議を受けて封印されてしまいました。

今年も、広島、長崎、終戦記念日を迎え、テレビや多くの施設では戦争の特集や企画番組が放送されるでしょう。
しかしその多くが相変わらずの自虐史観に彩られているはずです。

真実の歴史です。70分です。ご覧ください




凛として愛1

凛として愛2

凛として愛3

凛として愛4

凛として愛5

凛として愛6

凛として愛7

上記はYouTubeでしたが、DVDを1000円で購入することもできます。
      ↓
愛国女性のつどい花時計



東京裁判で11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下した方がいました
インド代表判事ラダビノード・パール博士です

パール判事のことば

「この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は《法の真理》である。
われわれはこの《法の真理》を奪い返さねばならぬ。」
「たとえばいま朝鮮戦争で細菌戦がやかましい問題となり、中国はこれを提訴している。」

「しかし東京裁判において法の真理を蹂躙してしまったために《中立裁判》は開けず、
国際法違反であるこの細菌戦ひとつ裁くことさえできないではないか。
捕虜送還問題しかり、戦犯釈放問題しかりである。
幾十万人の人権と生命にかかわる重大問題が、国際法の正義と真理にのっとって裁くことができないとはどうしたことか。」

「戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、
トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。」
「戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。
勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。
力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。」

「われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ。」

「今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。」

「しかして、そのたびに国際法は幣履のごとく破られるであろう。
だが、爾今、国際軍事裁判は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。
その責任はニュルンベルクと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることを
われわれは忘れてはならない。」


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生きやすく  

~溜めについて~

比較その1

AさんとBさんがいます。同じ高校に通う学生さんです。
共通しているのは、どちらも、将来お医者さんを目指していること。さあ、どちらも医者になるには、いったいどれだけの努力が必要でしょうか。

Aさんのお父さんは、お医者さん。代々医師、学者の家系。お母さんは教育熱心な社交的な専業主婦。
Bさんのお父さんは、中小企業の経営厳しい会社員。田舎の農村から出てきてサラリーマンになりました。お母さんはパートで働いています。


溜めを書き出してみました

●金銭的余裕  ●家庭生活・親の影響  ●人脈・コネ・友人  ●家庭教師・塾・予備校・教材 
●これらから生まれる「自分はOK」という何となくの自信  ●自力勉強

 

それぞれの溜めをうめてみてください。        私はこんな風になりました
                    ↓                                           ↓





































Aさんはお父さんが医者ですから、毎日の生活の中で、自然と、「医者」というものが馴染んでます。
家庭内の会話・生活習慣・パターン・お金の使い方・嗜好etcが生まれてからずっと、医者という社会的地位のかなり高いレベルで展開されます。
付き合う、関わる人間関係、社会もおのずとそのレベルに応じたもので、医師になるための情報は、自力で求めようとしなくても勝手に入ってくるでしょう。

高い生活レベルが保ててて、人脈・コネが約束されてて、お金があるゆえに教育水準が高い(塾・家庭教師・予備校・教材に十分お金がかけられる)によって、
「自分ってなんかオッケ~」っていう何となくの自信が大きくもてます。当然、心も安定して自学に励むことができるでしょう。
何に比べて? もちろんBさんに比べてです。
(ここではあくまでもAさんとBさんを「医者を目指す」という共通目標から、その達成の困難度を比較しています。
それぞれに人生上抱える 「相対的な」 悩み・苦労の話を比較しようというのではありません)

一方Bさんは、まずB家がお金の面から苦労します。また両親は医学界とはかけ離れた環境で生活してきましたから、我が子の「医者になりたい」
という希望に、大きなとまどいのさなかでしょう。人脈もコネもあるわけない。学費は学校以外にはかけられません。

ではBさんは、Aさんと同じようにまず医科大学や大学の医学部に合格して、入学金・授業料を納められて、6年間の学費が調達できて、
卒業後に医師国家試験に合格するために、いったいどれだけの努力と精神的奮起・工夫・配慮をしなくてはならないのでしょうか。
Aさんとの差たるや、もう想像も及びません。




比較その2

同じ警備会社に勤めるCさんとDさんは、4月から営業部に異動になりました。
8月までに新規で10社の獲得ノルマが2人に与えられました。

結果、Cさんは12社獲得し、次期昇進が約束されました。
Dさんは3社獲得で、目標達成に及ばず、上からの圧力、さらなる厳しい勤務形態が強いられました。
ではDさんはCさんに比べて努力が足らなかったのでしょうか?

Cさん:社会経験はすべて営業畑。営業が好き。社交的な性格。自己アピールが強い。いけいけ精神。いわゆるガッツあり。
Dさん:正義感の強さから警備会社に就職。初めての営業職。警備にやりがいを感じていたので、今回の異動にすごいとまどい、ストレスあり。

CさんもDさんも、仕事のやり方・工夫の内容は違うでしょうが、努力の大きさは、同じでしょう。でも結果には歴然とした差が出ます。
でも会社はその人の努力の具合は見ない。見るのは結果です。

振り返って比較その1の
医者になるという目標――これは別に医者に限らず、何にでも置きかえれらます。
この溜めの差によって社会生活に大きな差が出るのが現代の社会です。
イチローをたたえる人は多いでしょうが、イチローの溜めを想像すると。。。
イチローがBさんのような溜めであそこまでなれたのなら、私は本当に人間として尊敬します。

でも世の中は「イチローを見ろ」「人間努力すればやれないことはないんだ。」「おまえの努力が足りないからだ」「甘えてんじゃないの」
その人の溜めも知らずに、実に勝手きわまる言葉をかぶせます。

特に、派遣切りや失業、病気、住所不定など、不安定で生活が苦しい状況にある人に対して、相手の弱よわしい生気のない態度にふれると、ついつい、
「甘えてんじゃないよ」ってなる。ましてや借金による破産とかドラッグ・アル中ってことになると、ますます攻撃心がエスカレートします。

でも、もし、その人の中の溜めが見えたら。。。
ヒトはそうむげなことは言えなくなるんじゃないでしょうか。



ちょっと自分の職場とか地域とか学校、交友関係などを見てください。
自分より作業能力の劣る人を噂の種、ハラの虫の種にしてスカッとしてませんか?
確かに作業量はあなたの方がいつも上かもしれません。でも、様々な努力のトータルした大きさもあなたの方が常におっきいのでしょうか??

溜めの違い、背景の違いを考えますと、あんまり人のことが言えなくなってきました。

また、私だけよけりゃいい、私がいい状態ならいい、っていう秘かなガリガリ的期待がなくなって、
「私にとって生きやすい環境・社会がいいな」、になって、さらに、
「自分にとって生きやすい社会は当然、家族や周りにとっても生きやすい社会なんだ」になっていく。

そうして生きやすい世の中のことを考えて生活していく。

多くの問題を抱えた今の世の中は、もしかしたら、一人一人が生まれ変わり、社会が生まれ変われるチャンスかもしれません。

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自死のことを考える

自殺者数の年度推移

このグラフは、警視庁発表による、日本の自殺者数の年度による推移です。
自殺・ホームレス・派遣etcのところでも書きましたが、H10(1998)年以来12年間、ずっと年間3万人を超える人が、自らの命を絶ちました。
それがずっと続いています。
何かおかしいと思いませんか?
 
急増した大量にリストラされた50代の団塊の世代、男性が多い、経済・失業、健康問題が原因、あるいは、バブル崩壊後何とかやってきたが、とうとうゆきづまった、など、だいたい考えられることは、共通していると思います。

でも、世の中は日一日と変わっています。刻々と移り変わっています。なのに、毎年3万人台が続いている。どうして?
そうさせているある意味、恐ろしいエネルギーのようなものが働いているとでもいうような気がしてなりません。







職業別自殺者数の年度推移



男女別・年齢別自殺者数(平成21年中)
男女別・年齢別自殺者数
ライフリンクの清水康之さんは、自殺するのが「いつも死にたい」と思う心の弱い人たちが大半なのであれば、その人たちが自死すれば、その後の数値には多小なり変化が現れるはずなのに、毎年3万人超をキープしているのは、なぜか?
それは明らかにこれまでの社会・政治のしくみ・ありかたが原因、とおっしゃっています。

500人を超える自死遺族の方に清水さんが逢ってインタビューされている動画を見ました。
ご主人を亡くされた奥さまは、
「今は、自殺した主人の気持ちが分かります。あの時、死を選ぶしかなかった。保証人にだけは迷惑をかけたくない一心で、だから破産宣告できなかった。そのようにもう追い込まれていた。。。
世の中の人はよく、「自殺はだめだよね」なんて簡単に言いますが、そんな簡単に言ってほしくないです」
(ライフリンクHPhttp://www.lifelink.or.jp/参照)






原因・動機別 自殺者数(平成21年中)


真っ暗闇の心境にある人、自死遺族、未遂の人、予備軍にいる人に対する支援活動、社会への働きかけには、どんな形でもいいから関わっていきたいです。


意思の弱さからくる自殺願望と、死にたくないでももうこれしかないという追い込まれによる自殺
その境界線は明らかかどうか、私にはわかりません。

実際、自殺する状態の時は、多くの人がいわゆるうつ状態にあると言われます。
これは、うつ病の病気の人が自殺する確率が高い、というとらえかたではあまりに短絡的です。
そこに至るまでに、様々ななりゆき、事情、経過、要因があります。(病気・生活苦・借金・失業・介護・老後・貧困・孤独・生い立ち・人間関係・性格)
このことは、清水康之さんがはっきりおっしゃっています。



ただ、人間は死んでも存在を続ける。霊がある。なくなるのは肉体だけで、その後もいわば生はずっと続く――という霊的な観点、因果律の観点から考えれば、
自死のによる肉体消滅後の魂が、生前の苦しみから解き放たれて幸福であるとは、やはり考えられません。
人間は生きたように死ぬ、死ぬときの断末魔の状態が、肉体消滅後の念になるとしか思えません。

だとすれば、毎年これだけ多くの人たちが死後も真っ暗闇の境地にいるとしたら、つまり死んで死ねてない苦しみの状態で彷徨っているいるとしたら
生きている世の中のヒトも、霊的存在ですから、死んだ人たちのその真っ暗闇の苦しみの念に同調して、ある時とうとう自死を選択してしまう、
させられてしまう、ということが考えられて仕方ないんです。

だから、どうにかして、ぜったいこの最悪の連鎖から脱出しなくてはいけないと思います。
自死は最悪の死に方です。本人にとっても関係者にとっても。

清水さんのことばで、非常に印象的だったのは、
「自殺のことを取り組んでいると、社会の中のあらゆる問題が解決されていきます」   このことば。

なるほど!自殺のキーワード(挙げだすときりがないですが)にひとつひとつ取り組んでいくことは、今の社会の問題に直接触れることであり、解決への道筋になっています。


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お役立ち情報

ちょっとこれっておかしいんちゃうか、どうなってるの?こんなもんじゃないだろ、こういったこと知りたいんだけど、情報がない、忙しいからなかなか
じっくり探せない、縁がこない、生きづらい、へん、でもどうせかわらんだろ、、、、などと感じて、生きている、過ぎていく毎日。
自分でアンテナをのばしているようでも、知るべき情報が入ってこない日本社会の中でさまざまな世界観の人と活動を知り、世のことを知って、枠を
広げていただけるちょっとしたお役に立てればいいなと思います。
このコーナーは随時更新していきます ^^v

サポーターズクラブ名古屋 http://www.geocities.jp/daysjapan_sc_nagoya/ 世界各地の戦場、環境破壊、他、世の中のことに関心を寄せる情報サイト
様々なイベントを多様なジャンルから紹介してくれます。
きぼうのいえ http://www.kibounoie.info/ 東京の日雇い労働者の街、通称山谷地区にある、身寄りのない人、行き場がない人のための在宅ホスピスケア施設
自立生活サポート・もやい http://www.moyai.net/ 湯浅誠さんが事務局長を務める生活困窮者のための自立支援。社会のいろんなこと分かります。
反貧困ネットワークあいち http://hanhinkon-aichi.seesaa.net/ 地元愛知県の貧困に取り組む情報。自殺・貧困問題に関し、全国レベルでのセミナーも毎月やっています
自殺対策支援センターライフリンク http://www.lifelink.or.jp/ 代表は元NHK報道ディレクターで現在内閣府参与の清水康之さん。
「生き心地の良い社会」の実現をめざして。ライフリンクは「つながり」をキーワードにした自殺対策、「いのちへの支援」に取り組んでいます。
ライフリンク代表日記 http://blog.livedoor.jp/bxs00035/ ライフリンク代表清水康之さんのブログ
森のイスキア http://homepage2.nifty.com/chiisanamori/index.htm 悩み苦しんで訪れる人を受け入れるため自宅を改装して「森のイスキア」を開設した佐藤初女さんを紹介
NPO法人「心に響く文集・編集局 http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/thu/40527.html あの東尋坊で見回りを続け、自殺志願者の相談に乗る茂幸雄さん。資金面でスポンサーなくても活動されています
いのちの電話 http://www.nagoya-inochi.jp/ ボランティアで自殺防止相談をしている名古屋いのちの電話です
自殺総合対策サイト(愛知県) http://www.pref.aichi.jp/shogai/kokoro/sien/advice.html  
子ども虐待防止オレンジリボン運動 http://www.orangeribbon.jp/index.php
子どもの虐待防止ネットワーク・あいち http://www.capna.jp/
児童福祉施設一覧 http://www.pref.aichi.jp/
owari-fukushi/jiso/sisetu/sisetu_index.html
あしなが育英会 http://www.ashinaga.org 家計のために進学できない、将来に希望が持てない遺児の現実
死刑廃止ネトワークセンター アムネスティ・インターナショナル日本 http://homepage2.nifty.com/shihai/
イラクの子どもを救う会 http://www.nowiraq.com/ イラク・アフガニスタンで活動を続ける西谷文和さん
イラクの子どもを救う会・ブログ
http://www.nowiraq.com/blog/ 西谷文和さんが代表をつとめるNGOイラクの子どもを救う会の情報と現地の最新レポート
ペシャワール会 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html アフガニスタンでの医療・水・農業復興をしている中村哲さんを支援する会
アムネスティ・インターナショナル日本 http://www.amnesty.or.jp/ 国際的な団体です
愛知県弁護士会 行事案内とお知らせ http://www.aiben.jp/page/frombars/gyouji.html
戦争と平和の資料館ピースあいち http://www.peace-aichi.com/ 名古屋市名東区にできた戦争資料館です
催しが随時変わり、とてもいいです
田母神俊雄さんHP http://www.toshio-tamogami.jp/ 第29代航空幕僚長。「日本は素晴らしい国だ」「侵略国家などではない」と言ったことで、航空幕僚長を解任された方です。
野口健さん公式HP http://www.noguchi-ken.com/ アルピニストとして様々な活動をされている野口健さん。遺骨収集
笹幸恵さんの遺骨収集動画 http://www.youtube.com/watch?v=XJBM8aSGsv8 単身で遺骨収集をされるフリーライター笹幸恵さん ガダルカナル(ソロモン諸島)遺骨収集事業 1~6 動画 
日本遺族会 http://www.nippon-izokukai.jp/
JYMA 日本青年遺骨収集団 http://jyma.org/
千種社会福祉協議会 http://www.chikusa-shakyo.jp/ 各区のボランティア情報検索できます
なごやボランティアNPOセンター http://www.n-vnpo.city.nagoya.jp/
名古屋市公会堂 http://www.nagoyashi-kokaido.jp/ イベント情報
夜行バス比較ナビ http://www.bushikaku.net/ 高速バス格安券の検索できます!

世の中のこと
実際にこの世が何とかもっているのは、こうした地道な活動をしている、世の中を見据えた方々の賜かもしれません。
今まで無知、無恥とはいえ、自分の生活、自分の思考にかかりっきりで、それ以外に関心をもとうとしなかった自身を恥ずかしく思います。


マザー・テレサのことば
『愛の反対は憎しみではなく  無関心です』
無関心であること、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが、愛の対極にあるという。


スティーブン・グリーンハウス
「見えないことが無視につながり、逆に、関心は尊重につながる」
ニューヨークタイムズの記者  『大搾取!』の著者 2008年の米国の労働実態を描写した恐ろしい本です。


エリ・ヴィーゼル(米国のユダヤ人作家、ルーマニア出身、ノーベル平和賞受賞者、1928~)
「人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。」

今日我われは知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。(平和の反対は戦争だと思ってました)
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我われの魂の辱めなのだ


A・S・ニイルのことば
「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である」



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南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開

語り継がなければならないこの史実

平和への願い

残された1本のフィルムが、36年の時を経て、今蘇る


7/15、例年のように、千鳥ケ淵戦没者墓苑に参拝の前に靖國神社に参拝しましたら、一枚のちらしが。。。

“幻の名作”「樺太1945年夏 氷雪の門」36年の時を経て上映決定
(脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男


これは太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太(サハリン)に侵攻したため、
自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた記録です。実話です。

企画・製作に9年もの歳月をかけ、昭和49年の公開直前(私はまだ小学生でした)、ソ連の圧力によって公開中止、封印されました。
助監督を務めた映画監督の新城卓さん(あの石原慎太郎が製作総指揮した「俺は君のためにこそ死ににいく」の監督です)は
「この映画は歴史の証人」と訴えています。


同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』(講談社)が原作になっています。
南田洋子さんや丹波哲郎さん(若い~)らが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力しました。

唯一残されていた1本のフィルムが発掘され・・・・・。36年の時を経て、2010年、デジタル処理が施され、ついに劇場公開となりました。
日本映画の中で樺太を扱った映画はないそうです。
『氷雪の門』こそ、樺太の史実と事実を残した唯一の映画です。



1945年夏、樺太西海岸・真岡町。太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。
ところが8月6日、米軍による世界初の原爆が広島に、続いて8月9日には長崎にも投下された。

同日9日、ソ連軍は日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、満州に、そして南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。
8月15日、日本が「終戦の詔勅」を持って無条件降伏を宣言し終戦。
ところが翌日の16日、ソ連は遂に樺太に上陸する。
これにより、邦人の避難は加速。鉄道駅のある町まで長蛇の列をなして移動し、西海岸の最初の輸送港、鉄道の中継地でもあった真岡に集結した。

氷雪の門

真岡町民の引揚げも16日から始まった。郵便局電話交換室に努める女子職員も半分ほどが引揚げたが、
自らの意志で残った20名の交換嬢が、2組の班をつくり、交代で24時間体制の業務に就いた。

彼女たちの中には、原爆を浴びた広島に肉親を持つ者がいる。最前線の国境に恋人を送りだした者がいる。戦火に追われて真岡をめざす姉を
気づかう者がいる。

刻々と迫るソ連軍の進攻と、急を告げる人々の電話における緊迫した会話を、胸の張り裂ける思いで聞き入るほかになすすべがなかった。


それは8月20日、霧の深い早朝。

突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。町は紅蓮の炎につつまれ、戦場と化した。逃げ惑う人々。鳴りやまない電話。

この時、第一班の交換嬢たち9人は局にいた。

緊急を告げる電話の回線、町の人々へ避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るため、彼女らは最後まで職場を離れなかった。

じりじりと迫るソ連兵の群。

取り残された9人の乙女たち。胸には青酸カリが潜められていた。



局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。


   

   路上の親子が銃火を浴びた。もはや、これまでだった。
   
   たった1本残った回線から聞こえてきた最後の言葉は・・・・。

   「みなさん、これが最後です。

   さようなら、 さようなら・・・・・」   


   静かにプラグを引き抜いた…

戦争は終わったはずなのに、

なぜ 彼女たちは 死を選ばねばならなかったのでしょうか



愛知県は、名古屋駅近くの シネマスコーレ で7/24~8/6まで放映でした。





◆ 氷雪の門


北海道稚内の突端に、
二本の塔が失われた樺太を遥かに望んで、
厳しい風土に耐えて生き抜いた樺太島を象徴するかのように建つ女人像。

戦争への怒りと、平和への願いを込めたこの塔は
「氷雪の門」と呼ばれる。

本作もこの塔と全く同じ願いを込めて作られた。




なぜソ連が公開中止の圧力をかけたか―――実際に映画を見て、、、、納得しました。

戦争の時代に生きていない自分が言葉を発するのは困難ですが、略奪・虐殺・強姦――戦争という最極限非常事態は、ヒトをヒトでなくさせる
最大級の悲劇、罪です。が、ここでは、わが国は原爆を2度も落とされたとか、ソ連による日本人のシベリア抑留はまさにシベリア虐殺だ、などと
特定の国に対する恨み事は控えたいと思います。

いいたいのは、1945年8月9日、ソ連が国際法に背いたこと、それによって、戦後にもかかわらず、多くの人間が、殺されたこと。辱めを受けたこと。
この一事実が樺太侵攻・シベリア抑留です。東京裁判もそうですが、敗戦国という名のもとに、国際法が末梢、無視されることに、
憤りを超えた、表現できない激しい感情をおぼえます。なるほど、戦後のアメリカ・ソ連の進んでいる道を見れば、、、なるほど、、、、と。

民族とか、国という枠としてとらえるのは本意ではありませんが、この世の中の法を破った国があった。
法を無視したら世の中は成り立たなくなります。でもそれをやってのけた国があった。   悪魔・暗黒界の霊の塊  としかとらえようがありません。

実際にご親族が虐殺、抑留という体験をもたれた二世の方々がありがたいことに、HPやブログで訴えて下さっています。
当事者の方々の真実の語りです。どうぞ、それぞれに検索してみてください。


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湯浅誠さん講演 第22回愛知サマーセミナー2010.7.19

追記
7月27日(火)18時から、第2回咢堂記念講演会 湯浅誠「日本の『貧困問題』を考える」がニコニコ生放送でありました~
もちろん見ました。前回のサマーセミナーで聞き取れていなかったことが各所追加できました^^v





椙山女学園・愛知学院大学歯学部を会場に、
第22回愛知サマーセミナーがありました。

市民も生徒も教師もだれでも講師、生徒になって学ぶ機会です。
7/19炎天下のもと、覚王山付近はとにかくおちびちゃんから
学生さん、社会人、主婦、おじいさんまで、歩く人ヒトひと。。。

しかもみんなが学習意欲を動機にしているので、
見ていて実に気持ちいい活気です。花火大会やお祭りなどで
賑うあの活気とはまた違うすがすがしさ。

来年もぜひ参加します!!^^



授業に出たのは、愛知学院歯学部での3限目 
メモリアル企画「マザーテレサ生誕100周年記念講座:
インドネシアからの宣教師ブルーノ神父さん(日本語ぺらぺらでした)

マザーテレサについては来月末にまたHPアップする予定です^^



そして4限目は楽しみに楽しみにしてた、特別講演:湯浅誠さんです

(写真が撮れなかったので、WEBから写真をひっぱってきました ^^;)

湯浅誠さん プロフィール:1969年、東京で生まれる。
1989年、東京大学文科I類入学、1995年、同大学法学部卒業、2003年、同大学院博士課程単位取得退学。
1995年よりホームレス支援活動を行う。
現在、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長。
2008年の年の瀬、日比谷公園で派遣切りなどによって住むところを失った人たちのための派遣村を運営。
マイクを持ち語り続けた。2009年10月に内閣府参与、2010年3月辞職。同年5月に、再び内閣府参与に任命される。



体育館兼講堂で講演されたのですが、事前に用意されていたレジュメが視聴者みんなに行きわたってなくて、
サマセミスタッフさんや持ってない人たちがあたふたばたばたレジュメを取りに行くのをじっと湯浅さんは、「待ってますね」って感じで見守ってらして、
でも「何かしゃべんないといかんですかね~」って感じでからからと笑うとっても気さくな方のようす。そこでお話されたのは、
「最近ですね、『これって、、、どうよ、、、』っていう感じが、特に若い人たちの間で変わりつつあると思うんですよね。時とともに。」
「人ってこんなもんじゃないだろ」「社会ってこんなもんじゃないだろ」っていう感覚がね、変わりつつある、、、」

「私はもともとホームレスの人たちのことをやるようになったのは、もともと友人に誘われたのがきっかけで、、、
『で、私は、この人たちのために何とかしてあげたい!』でやってるんじゃないんですよ。ま自分のためですね。
自分が(そういう人・社会だからそんなもんだろって済ませる)のがヤだから」


(ここでちょっと一言)
ホームレスに対してはなかなかいい感情は持っていないのがまあ一般的でしょうが、
講演とは別に、あるインタビューで答えた湯浅さんのお話↓

「偏見というのは理屈で説得できるときもありますが、やはりなかなか難しい。
例えば『オレは生活保護を受けながら、パチンコばかりしている奴を知っている』といった指摘があります。
しかしこの人が知っているのは、1~2人のみ。わたしはこれまで何万人もの生活困窮者と接してきているので、
そういう人はごく一部しかいないことを知っています。ただ人間というのは自分の経験の範囲でしか物事を考えられませんから、
説得するのは難しいですね。理屈で説得できるのは限界があるので、やはり批判する人たちとホームレスの人たちが出会う場を作ることが
大事だと思っています。」

「中高生が炊き出しを手伝ってくれたりすると、8~9割の生徒さんは同じようなことを言います。
『なんだ、普通のおじさんじゃないか』と。会う前はホームレスに対するいろんな偏見が膨らんでいるので『なにを考えているのか分からない』
『お酒におぼれて、とんでもない奴ら』といったイメージが膨らんでいます。
しかし実際に話してみると、自分の親父とあまり変わらないことが分かったりする。そこで『なんだ』と思うわけですが、
その『なんだ』と思うことが大切なのではないでしょうか。」

「昨年OECDが出した、日本の相対的な貧困率は15.7%
日本はおよそ5000万世帯ですからその15.7%はおよそ750万世帯。およそ2000万人が貧困であるということになります。

2007年の厚労省「国民生活基礎調査」によると、家計所得の平均(中位数)は、448万円です。
OECDで定義している「相対的貧困」は、その国の平均所得の2分の1のことをいい、日本では224万円以下の家計が貧困になります。
月収にすると20万。

これはたとえば30代の夫婦で学齢期の子ども1人とか
高齢の夫婦に独身の現役世代1人といった世帯の月の収入が20万ということです。

学費だけ考えてみても、日本は世界一学費の高い国です。
すべて公立で通した場合 3000万
すべて私立で通した場合 6000万 2人なら1億2000万
家族3人が生活しながら、学費もとなると 月20万はとても無理ですね


日本の貧困層は働いている率が非常に高いんです。しかも現役世代の家族の中で2人以上働いている率が高い。それでも貧困から抜けられない。
それは女性の社会的地位が低いということもあります。介護や家計のいろんなことがあって、正規の就労ができず、結果どうしても細切れの就労に
なってしまうとかではないでしょうか。

OECDが相対的と言ったのは、
1日1ドルで生活している人が世界に18億人いる。1日1ドル これはとても生活できるレベルではないですから、ここでは相対的貧困率を言っています。



                                 

湯浅さんのレジュメを必死に真似て作ってみました。⇒

「矢印の部分は制度、いわゆる光のあたるスポットライトです。
そのバックにある黒い部分が制度による光のあたらない闇、制度にひっかからない闇の中=貧困

貧乏と貧困っていうのとは違うんですよ。
貧乏っていうのは単にお金がない。でも金がなくても心が豊かな人はいますよね。

例えば脱サラして田舎に引っ越して、農業・自給自足でやってる人。「うちは収入8万ですよ ははは」なんて笑ってる。

でも貧困は貧乏に孤独がプラスされる

貧困=貧乏+孤独  孤独=社会に取り残されている

ex)雇用保険・・・失業保険をもらうには最低何か月在職期間があって云々・・・いろいろ制約・条件があって、
日本では実際に失業保険をもらえているのは失業者の23%しかもらえてない。欧米では40~60・70%で、条件が厳しく問われない。

ex)障害福祉・・・世間体を気にして、自分の家に障害者がいることを隠して、家に閉じ込めて、障害福祉をもらっていない家庭がいまだにあります。



このように見てくると、日本の制度は光が非常に狭い

制度の光を増やすには、
①このスポットライトの数を増やすこと、または太くすること、でもこれにはお金がかかる、税金あるいは社会保険です。

では税金を増やすのか?税金を増やして制度を充実させるのか、それとも税は増やさず制度を小さくしていくのか?の選択。
これはどこの国も迫られます。日本の社会保障費のほとんどは医療費と年金です。
それ以外の現役世代の保障費は家族や企業に任せっきり。頼んだよって。


②スポットライトには当たらないが、それに代わるものが今まではあった。
それは家族。 が、今はそれによっても照らされない、真の闇が存在します。それが貧困・・・社会の死角になっています。





 
                          

「今までの日本社会がどうだったかを考える必要があります。
私は学者じゃないので正確に言えません。
ざっくりといえます。

日本の社会は3つの傘でなっています。まず

国の傘がある
国の傘の下にいろんな企業がある。
この企業が2つ目の傘を作っていて
企業の傘の下に正社員や下請け会社がある

1980
年代ぐらいまでは欧米に追い付け追い越せで一所懸命 国は企業に傘をかぶせていました。
企業と社員の関係もかなり特殊でした。
企業は生活給を払って、一家全員が食っていける。

生活給っていうのは家族全員の生活給です。

かつての日本は、就職したら通常、終身雇用、それが当たり前だった。
国が企業を守り、企業が終身雇用で社員を守り、社員が家族を守りっていう風に。


福利厚生もいい。住宅手当が出る。マイホームでは住宅ローンが組めて一戸建てが手に入る。

この人はこの会社が守っている、終身雇用だから、ってことが分かっているから会社の共済なんかでローンが組めた。うちの父親は9年前に亡くなりましたが、37歳で家を建てました。


でも今、私、マイホームを建てるって言ってもなんか、イメージがわきませんね。。。」

その代りに単身赴任出向残業もいとわない。配置転換されても文句言わない。
国  企業  家族 このルートでお金を回してきた。
子育てと 教育と 住宅 これは稼いだ金で回してきた。
会社としては 「ちゃんとその分の給料払ってるんだからさ。」ですね。

「子育てと教育と住宅」 日本はこれがとても高い。給料も勤続年数で上がっていく。それに合わせて生活費に金がかかるから。

だから人は企業にしがみつく。これが日本型の社会システム・雇用システム
実際1980年に欧米においついちゃった。
けなす人はこのことを当時「日本型社会主義」だと言っていた。

様子がかわってきたのが1990年代。日本は他の先進諸国・アジア諸国に追われる追われるになってきた。
今までの「護送船団方式」――遅い舟に合わせてやっていく、というのではいけなくなってきた。「遅い舟はおいていこう」になってきた。


国の傘がとじていった。しぼり込まれていった。守られない企業が出てきた。今までの福利厚生 住宅手当、会社寮もなくなっていった。

定年で100人退職しても次に採用しない。

そうすると一家の大黒柱の給料も縮んでいく。大黒柱に守られていた家族も危なくなる。

傘がしぼむとどうなるか?
国の傘が小さくなり、企業の傘が小さくなって、濡れる人(社員・家族)が増えてきた。雨に濡れる人が増える。
雨に似れる人が貧困になっていく



一方日雇い労働者、母子家庭は昔から雨に濡れていました
母子家庭の収入は、一般世帯の1/3に満たない。
日本の母子世帯の就業率は84%――これは世界的に見ても高い。でも世間はそう見ない。働いてない15%に視点がいく。
「贅沢してる。アクセサリーなんかして子どもを育ててないじゃない。」云々・・・。なかなか85%の方の人に目がいかない。



相談に来る人がどんどん多様化していった。
中高年の独り者の男性が最初の頃は多かった。そのうち若い人、女性、高齢者、家族のいる一家の大黒柱。
2003年くらいからもうだれが来ても驚かないようになった。

じゃあ誰がその人たちに傘をさすか?

200
8年のリーマンショックで30万人の人が職を切られた。
派遣村に来た人は切られた人のごくごく少数。じゃあそれ以外の多くの人はどうしたか?

ほとんどの人は実家に戻った。ではその人は「まあ帰れるところがあってよかったね」、でいいか?
そこにも課題はある。支える家族の方にも余裕のある家族とそいうでない家族もある。

フリーターっていうと、若いイメージがありますが、実はもう若くないんです。フリーターが出始めたのが1980年代。あのとき20代だった人たちは
もう40代その人たちの実家の親世代となると、60代70代。もうリタイヤしている人たち。細々と国民年金で暮らしている人たちです。



例)①失業して50代の独身が親の年金を頼りに実家に帰ってくる
が、それも長くはもたない。親は近々死ぬから。でも親が死んでも死亡届が出せない。出したら年金を切られるから。

例)②失業して親と暮らす。だんだんうつ的になってくる。
親:「おまえ何やってるんだ。将来どうするんだ!」
といつも小言を言われる。
すると余計体調が悪くなる。だからふだんからなるべく親(家族)と顔を合わせない。とはいっても家を出られない。どうしたらいいでしょうか?
という相談を最近よく受けるようになりました。特に地方に多いです。

例)③介護:今や認認介護(にんにんかいご)の時代・・・認知症が認知症を介護しているってこと。

①②③が続くとその結果、どうなるかっていうと、事件が起こる。
子が親を・・・・っていう事件
そういう時の近所の人なんかの反応ってたいてい決まって 「あの子はいい子だったのに・・・」「どうして」って言われる。
そして個人の問題にされる。制度・社会のしくみの問題にされない。
人間が家族がこじれる原因を社会が見落としている、このしくみが見えてないんです。
これがもっとひどくなると、一家心中。ありましたよね京都の事件」


以下詳細は講演の後、私がニュース記事より抜粋しました↓

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職K被告が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
K被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。

K被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
K被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。(役所に行ったら「あなた若いんだから働けるでしょ」と相手にされなかったそうです)
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

K被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。○○、一緒やで」と答えた。K被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、K被告が母の額にくっつけると、母は
「○○はわしの子や。わしがやったる」と言った。

そして、K被告は母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。が、本人は死に切れなかった。





「事件が起きると、世間は「とんでもない家族!」「とんでもないヤツ!」で片付ける。でもそういう問題じゃない。
もっと光が当たるようにしていかなきゃ。制度・社会の選択が迫られているんです。」




子どもの心の貧困
「ユニセフの2007年調査より次のグラフを見てください」

ユニセフ・イノチェンティ研究所『Report Card 7』研究報告書
日本語版PDF「先進国における子どもの幸せ」はこちらから[1.63MB] »

(国立教育政策研究所・国際研究・協力部(翻訳)2010年3月)69Pより

自分の福祉について明確な否定的説明に同意する15歳児の割合


(これを見たとき、とんでもないものを見てしまったと思いました)(私)

Japan
I feel like an outside or left out of things  自分はのけ者にされている
I feel awkward and out of place  居場所がない              
I feel lonely  さびしい


「日本の子供は群を抜いています。

「さびしい」と答えたのは3割

「居場所がない」は18%

「自分はのけ者にされている」


世間の荒波にもまだもまれていない15歳の子がなんでこんな気持ち
になるのか?考えてみないとけない。

今子供たちが大変な状態です。
子どもをこういう気持ちにさせてしまうのは社会の責任 大人の責任です。

そこで「どうせそういう親だからでしょ」で終わらせる。
「資本主義社会なんだから、グローバル競争が激しいのだから
そんな甘えたことはいってられない」――?

いえいえこのグラフはすべて資本主義の国の統計です。
それにグローバルっていうのは日本だけじゃないですよ。
グローバルっていうのは世界のこと世界全部のことですよね。

だとすると何か別の要因があるんじゃないか。
「世の中が豊かになったから精神的不安が増える」とよくいわれますが
一緒に並んでいる他の国だって豊か。
となると我が国の国のあり方が問われる。

「子どもがかわいそう」って単にそういうことじゃなくて 
その発想を超えて日本社会そのものが問題
なんです」


人は「あいつが悪いんだ」(と人を裁く)
そうすると自分はなんかすっきりする。これで終わったみたいな。せいせいする。
どもそれで事態は改善するか?仕組みの問題を考えないと。


日本では一例としてたとえばとても長い労働 また社員だから単身生活を長期間余儀なくされるなどといったことが行われた。
それが一因となって子どもの心の貧困を招いた。」


今年、東京都では定時制高校を落ちた子どもが300人でした。
定時性というと、今までは定員内の受験者だったのが、今年は定員オーバーの受験者だった。
社会の貧困率が高くなってますから、公立を受験する子が増えた。
となると落ちる子も増える。
また私立に受かっても授業料が払えないから行かせられない。となると定時制の選択になる。









資料2 日本の総人口の長期的推移
日本は今後超少子高齢化社会になります。
2005年には全人口の1/3が高齢者。


「確かに戦時中などは一時急激に人口が減ることはありましたが
人口が傾向的に減っていくのは日本の歴史上はじめてなんです。私たちは有史以来初めての経験をしている。

つまり高齢化  多
現役世代   少 
日本の今の出生率1・7人/世帯

出生率が増えない・・・それは、出生率の低い社会制度を我々が選んできたから。
たとえ来年から出生率が2人/世帯になったとしても、彼らが大人になって子供を産むまで今から何十年とかかる。
今どう変えられるというものじゃない。とするならば、我々は今の現状を受け止めるしかないんです。

イギリスでは、子どもの貧困率の低下の取り組みがされてきました。
学校ではすべての生徒たちのデータがある。学校と行政が連携してて、ある子どもが学校からドロップアウトするとその情報が行政に行く。
そして学校に行かずにうろうろしている子どもたちを行政から派遣したヒューマンがサポートする。カバーする。
ドロップアウトしうたこどもたちはもしかしたら将来のワーキングプアーだったかもしれない。

イギリスもとんとんと政策が進んできたわけじゃなく、ある事件―子どもが虐待死した事件をきっかけにこの仕組みをつくった。
虐待死させた親のせいにして済ませていたら、こういう制度はできてなかったでしょう。

社会として何をするかです。
みなさんはイギリスのこの取り組みを聞いてどう思いますか?
個人情報もれるのが怖い・・・どっちを選ぶか。制度は何でもですがこれはどっちが正しいっている答えはないですね。」

日本の子どもの貧困率は14.2%
貧困率とは:世帯を所得順に並べ、ちょうど真ん中にあたる世帯が得ている所得の50%未満の所得の世帯に属する17歳以下の子供の割合。



(講演会のいよいよまとめ)
「今 世の中に「アクティビレーション」という言葉が出始めています。直訳すると
「アクティビレーション」=活性化
意訳すると私は「全員参加」だと思っています。

ますます進む少子高齢化・・・今の若者、子どもたちに将来を託す?「さびしい」って訴えている彼らに・・・
また子どもにしてみれば「そんなこと言われても、こんな風に育てられて・・・」って言い分。

私はホームレスの人たちが「この人たちはこんなに頑張っている!」とは思っていません。
もちろんホームレスの人たちの中にものすごく頑張っている人もいる。
でもフツーの人の中にも頑張っている人もいれば頑張っていない人もいる。
そういうもんですよね。

だから(ホームレスは甘いとか頑張ってないとか、ああだこうだと)そこに答えを求めても何の解決にもならないんです

3割できて7割できない人を捨てるか?
3割できるんだったら、それを捨てるなんてもったいない。日本は今後 超少子高齢化社会です。

私の兄は障害を持っています。
他の健常者の人たちと同じようには働けない。じゃあ施設にぶち込むか?一生社会保障の受け手でしかない?
これはそのひとにとっても社会にとっても不幸。でもその障害に応じてやれることをやるとしたら――。バリバリのエリートの人と同じ生産性は
果たせないかもしれない。でも本人にとっても社会の役に立っているというやりがいにつながり、社会にとってもいい。

地方に行って感じる。商店街がシャッター通り化している。どの店も一年もたずにつぶれている
でもその中でずっとつづいている店があるという。

障害者の作業所です。

支援している関連の人、地域の人が来るようになって、過疎化している商店街の活性化をしているそうです。
地域の人たちにさまざまに人たちに波及効果を及ぼしている。
私は福祉によるとりくみというのはこういうことを言うのかと思いました。
「あんたのできることはたった3割なのか」 じゃない。

高齢者だって失業者だって、同じ失業者が失業保険をもらいながらやれることをやる。
できないことに注目するとどうしてもそういう発想になる。完璧さを要求する。でもできることに注目すれば――
これはやさしいかどうかという発想じゃなくて
合理性の発想です。でも日本社会はまだそれにきちんと対応できてないんじゃないかと思う


全人を活かすしくみ。言ってしまえば「ぜいたく言ってられない」ってこと。
10のうちの2しかできない人。今までは、「お前はダメ」―― 切り捨てられてた。
障害者・・・施設にぶち込んだまま制度に浸り切り・・・いやもうそんな余裕ないですから 作業所とか、障害者の仕事の場を提供する
ドラッグにおぼれた若者―放っとく?生活保護で一生?・・・とんでもない。余裕ない!
高齢者―高齢者なりにできることを何かをやってください

こうなってくると、他者との比較はない。競争じゃない。
おまえはダメって切り捨てるんじゃない。切り捨てるのはカンタン。
できるヤツが、「お前はあれができないこれができない」ってどんどん切り捨てて
じゃあそうすることでこぼれた人がどんどん増えて、社会はもつか?もちませんよね。

だからどんな人でも何らかの場で活躍してもらう。
それがアクティビレーションの考え方だと私は思っています。」


◆質問コーナーで
「内閣の参与としてどのような取り組みをされていますか?」

いくつかのプロジェクトに取り組んでいます。
切り捨てられた人たちをサポートしていくパーソナルサポートサービス。
切り捨てられた人たちは社会の死角です。
「あんた顔色悪いけど大丈夫?」って言ってくれる人。そういう人のことを気遣い人といいました。そして家族がその役割をしていました。

どうすればいいという絶対的なものはないと思います。
雨に濡れる人がどんどん増えてって、正規労働者も労働条件が悪くなって、人々の購買意欲がなくなって、社会全体がスパイラル貧困へ。
それを食い止める社会の構成を作り上げていくこと。


少し話がそれますが、
官民交流ということを考えています。
官(かん)が民(みん)をバカにしている。民が官をバカにしている。共通の言語がないんです。これも、ある程度は仕方ないですが、
通訳が必要かと考えます。
「官の理屈がわかる民」と「民の理屈がわかる官」を増やす。そうじゃないと非建設的です。お互いに馬鹿にしあっててもいいことない。



○「わたしたちも「もやい」の活動を手伝いたいのですが。」

もちろん「もやい」に来てボランティアをしていただくこと、ありがとうございます。
また、それぞれがそれぞれの現場でそれぞれの家庭、地域、現場で取り組みをしていただく、力を発揮してもらいたいです。

Ex)子育てでくたくたのお母さんがいる。そんな方々5人でグループをつくって、順ぐり子育てしてもらう。その間にお母さんは休養する。

個人にはできないことは何もない、ではない。生活で感じるニーズ、 課題があって、それを解決するのが一番です。
それがしっくりする、しいては社会をよくしていくことにつながっていくと思います





以上のような講演内容でした。






湯浅誠さん・・・奇をてらうわけでもなく、自身の名誉のためにもくろむわけでもなく、内部に沸いた問題意識をそのまま社会に問題提起して
はつらつと行動されている活動家。
1時間たらずでしたが、最初から最後の演台を降りられるまで惹きつけられていました。

ご自身いわく「この人たちのために・・・」というような人道愛から出た活動ではない様子。
「そんなもんじゃないだろ」っていう心の声をま、いっかにせず、とりくんでいかれる。

講演が終わって、椙山校舎の階段でばったり正面からお逢いしました。
はつらつとサマセミのスタッフさんと談笑しながら上がってこられ、ペットボトル片手に。。
水をぐびっ。そのとき廊下の傘立てか何かにひっかかったのか、とっているひょうしにボトルのふたが落ち、前からスタッフさんが通りかかり、
そくざにキャップを拾って「あ、すいません」とスタッフさんにひとこと。
その何気ない行為が、何かとても自然で、上から調子がゼロ。
ああこんな方がいらっしゃったんだ。。。ととてもうれしくなりました。

またものすごい元気・パワーをもらったみたいで、今日は早朝から仕事して、途中で抜けて講演を拝聴してまた夕方から仕事に、
というスケジュールだったにもかかわらず、元気元気でした。



湯浅誠さんの活動家としての原点が見えるような発信がありました

2009年11月著書 『岩盤を穿つ』「活動家」湯浅誠の仕事 文藝春秋 
まえがきより 抜粋

この本は、私が2006年から2009年に書いた文章を集めている。
一番古い「貧困ビジネスいろいろ」を書いたのは、2006年の夏だった。当時、私は<もやい>で生活相談を受ける傍ら、
野宿の人たちとの仕事起こしで引越しなどの便利屋業に精を出しており、毎朝、現場の最寄り駅に一時間前に到着しては、
集合までの間、原稿を書き進めるのが日課だった。
私はこのとき初めて「貧困」という言葉を使った。それまで「格差」という言葉は毎日のように新聞・テレビで言及されていたものの、
一部の研究所を除いて「貧困」という言葉を目にすることはなかった。「貧困」と言いだすことに対しては、私自身に抵抗があった。
何よりも言われた本人がうれしくないだろう、と。しかし、日々の活動で接する現実は紛れもない「貧困」だった。その現実を名指さないと、
それは可視化されない。「ない」ことになってしまう。そんな中で、私なりの決断だった。
幸運?なことに、私が「貧困」と言いだした2006年は、五年間続いた小泉政権の末期だった。そして私のように決断した人たちは
他にもいて、それがNHKスペシャル「ワーキングブア」として放映された。日本全国に空に食えない実態が広がっていることを映像化した
この番組は、視聴者に衝撃を与え、以後「貧困」の実態はさまざまな角度から可視化されていく。その意味でも、2006年夏は
私にとって忘れられない時期となった。

私はずっと、中途半端な「活動家」だった。路上での野宿者支援の活動を始めたのは1995年だが、周りには「人生賭けてる」人たちが
たくさんいて、右も左もわからない私は、ただ圧倒されるばかりだった。私が関わった渋谷の現場には事務能力に長けている者が
いなかったので、それでたまたま居場所を見出し、なんとか/なんとなく、続けていた。
しかしそれでも、顔を出すうちに野宿の当事者に認知され、一人一人と知り合うようになる。一緒に作業をしたり、食事をしたり、
酒を飲んだり、テントに泊まらせてもらったりして、それぞれの人生の経緯を知るようになる。あたりまえだが、そこには一人の人間の
成功と失敗が、華やかな時期と辛い時期があった。仕事でばりばり稼いだ話もあれば、酒やギャンブルで失敗した話もあった。
ずいぶん数多くの人生を聞いたと思う。
「見えないことが無視につながり、逆に、関心は尊重につながる」という名文句があるが(スティーブン・グリーンハウス『大搾取!』)
私の経緯もこの言葉にぴたりと重なる。学部学生のころ、遊びに出向く渋谷という街に野宿者は「いなかった」。存在していたのだろうし、
視界にも入っていたと思うが、意識まではのぼらなかった。「ない」ものとしていた。しかし現場に入り、一人一人と知り合うようになれば、
親戚や友人に対するのと同じような敬意をその人の人生に払うようになる。誰一人、打ち捨てられていい存在はいないということが、頭ではなく
理解できる。別に立派な人たちだと言いたいわけではない。ウソもつけば虚勢も張る。しかし、言ってみればそれだけだ。
布団で寝るという最低限まで奪われる理由になるとは、どうしても思えなかった。

私は、他人の人生をナメている人間が嫌いだ。「そんなこともできないのか」と見下したように言う人間を見ると、「あんたはそんなにゴリッパなのかい」
と瞬間的に反発を感じる。その反発は、人間ではなく、社会に対しても同じように感じる。生きていけなくなった人が、
続々出ても、何の問題もないかのように平然と回っていく社会を見ると、「この社会はこんなにゴリッパなのか」という反発を覚える。
しかし周囲を見回せば、世の中に不安と不満を感じている人たちはゴマンといるが、「もう少し生きやすく、暮らしやすい社会にしていこう」
と呼びかけたがっている人は多くはなかった。ひとことで言って、あきらめている。「自分のできることなんてほとんどない」
「どうせ何を言ってもムダ」「そんなことをしても意味がない」と感じている。不満とあきらめが同居した状態。それが相談に訪れる生活に窮してしまった人たちだけでなく、
何らかの形で活動に参加している人、興味を持っている人にも広がっているのを感じた時、
私は「活動家」と名乗り始めていた。
不満とあきらめが同居した精神状態には出口がない。閉塞している。活動は、少なくともそこに出口を作る。というか、出口を作ろうとする
意志と行為それ自体が「活動」だ。だから活動は、現状とは違う何かを、現状の外に想定する。それは夢想かもしれない。「できっこない」
「現実味がない」とも言われる。
しかし世の中は、一家全員分の生活費を稼がなければならない高校生に「夢を持て」というではないか。派遣社員を便利に使い捨てながら、
他方で。「向上心を忘れるな」と言うではないか。頭の上を飛び越していくだけの、夢になりえない夢を、空しくばらまいているではないか。
それは、「夢なんてしょせんうまくいったヤtyの自己陶酔」というシニシズムを増幅させてすらいる。簡単に夢を語る人たちが忘れているのは、
夢見ることから排除されている人たちの存在だ。夢の機会不平等。
夢見る権利は誰にでもある。しかし他方、夢見る条件というものがある。夢見る条件をととのえなければ、夢は見られない(その条件を、
私は、″溜め 〝と呼ぶ)。夢見る条件をととのえようとする夢、それが「活動」だ。
夢は立身出世しかないように言われる。世の中を動かすなら、政治家か官僚。個人的な栄華を求めるなら、ベンチャー企業や大企業正社員。
どっちでもなければスポーツか音楽。カネやコネの要る夢ばかりが夢と認定される一方で、「夢などない」と答える子供たちが増え続けている。
活動家は、夢見る権利を擁護し、夢見る条件をつくろうとする。それは、認定された夢だけを夢とする社会の岩盤にぶちあたらざるを得ない。
お金がなければ「アウト、非正規だったら負け組、恋人ができなければ人間失格、マイホームにマイカーがなければ甲斐性なし、
病気をすれば自己管理が不十分、老後の貯蓄がなければ人生のツケ。国が企業を守り、l企業が男性正社員を守り、
男性正社員が妻子を守る。そのルート以外の守られ方は、自堕落・怠惰・甘え・努力不足・負け犬・・・・・。いい加減にしてほしい。
この「いい加減にしてほしい」に形を与えること、形を与えるための″場〝をつくること、そして他なる社会を夢見る条件をつくること。
それが活動家の仕事だ。
親が金持ちでなくても、海外留学経験がなくても、企業に売り込める資格がなくても、活動家にはなれる。そしてたくさんの活動家が、
夢の機会不平等を是正する。私は、そんな社会が、少なくともいまよりは、誰にとっても、ずっと生きやすいのではないかと思う。
2009年10月


同著書 第一章 NOと言える労働者に  から抜粋

・・・「派遣切り」に対する第一の責任は、なんと言っても企業の経営者にあります。いまや非正規労働者は労働者全体の四割に迫りつつあります。
どんな職場も、非正規の人たちの存在なくしては成り立ちません。しかも、2002年から2007年までは戦後最長の好景気で、多くの大企業は史上最高の
経常利益を更新し続け、株主配当・経営者報酬は上がり続けました。企業の経営者は、いわば非正規の人たちに食べさせてもらっていたわけです。
にもかかわらず、不況期に入った途端にその人たちの命を危険にさらしている。何千万もある自分の役員報酬を削って、せめてこの年末年始だけでも、
次の仕事が見つかるまでの間だけでも、非正規の雇用と住所を守ると宣言する経営者はいないのでしょうか。好景気のときに溜めこんだ内部留保を
一部でも放出しようと考える経営者はいないのでしょうか。
「派遣切り」を行っている大企業の中には、減ったとはいえ利益を出し、株主配当を行っている会社もあります。余剰があるなら、人々の命を支えようとは
考えないのでしょうか。
企業の社会的責任は存在しないのでしょうか。どの企業も環境保護を訴え、それが企業の社会的責任だと言います。環境は大切だが、
人の命はどうでもいいとでもいうのでしょうか。
「地球を大切にしています」などといった欺瞞的な広告は即刻止め、「私たちの企業は、非正規労働者の命など何とも思っていません。そんな私たちですが、
よければ商品を買ってください」と正直に言うべきです。
私は怒っています。そして、こんな企業や経営者たちが「日本をリードする」などと言われていることが情けない。私は大企業の経営者のみなさんに
問いかけたいと思います。「あなたたちは、自分の子や孫に、人の命を大切にしなさい、と言えますか?」




第一章 つづき
すでに切られ尽くしてしまったからか、メディアが飽きてしまったからか、春先(2009年)から「派遣切り」報道を見ることはほとんどなくなった。しかし、都内の
炊き出しに並ぶ人々の数も<もやい>の生活相談者数も去年の2倍から3倍。状況は確実に悪化している。・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな中、2009年8月18日には、自民党の舛添要一厚生労働大臣(当時)が街頭演説で、派遣村に参加した人々に対して「すべて寮付住込みで、
年収1000万円以上稼げる求人票4000件を持って行ったが、まったく応募してこない」「働く能力があるのに怠けている連中には、自民党は大事な税金は
使えない」とのたまった。
私たちが日比谷公園を撤収して、東京都が用意した都内4か所の施設への移動を完了したのは1月5日の夕方4時ごろ。都職員の説明を聞き、寝場所を決め、
夕食を取り、長い一日を終えた。この日、厚労省は4施設にハローワーク職員を配置していたが、到着時間が遅かったこともあり、初日の応募はなかった。
しかし、翌6日からは順調に応募も始まり、登録者数は1週間で136名となっていた。しかし舛添発言は、5日の状況だけをもって前述のような発言にすり替えた。
しかも、住込みの仕事があるといわれても、多くの人たちに職場までの交通費はなかった。・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人によっては、初めての路上で何日も何週間も過ごし、ようやくの思いで歩いて派遣村にたどり着き、テントや厚労省講堂で満足に寝返りも打てないような集団生活をし、着替えもできないまま寝起きして、これからどうなるかという不安とストレスが長期にわたって継続し、荷造りして移動して手続きして、1週間だけの仮の施設にようやく腰を下ろしたというのが5日に至る経緯だ。しかし舛添え氏は、その彼が数十分後にはもう1円も持たずにばりばり
就職活動ができると考える。物事を頭でしか考えない証拠だ。生活を見ようとしていない。こういう人には、災害被害者の避難所生活の苦しさなどは絶対
わからないのだろう。
「年収1000万円以上」発言に至っては、反論するのもバカらしくなる。寮付住込みで年収1000万円以上の仕事があるなどという話は、ヤクザのブローカー
(手配師)だって言わない。
現実の人々の苦しさを無視した、政治の鈍感ぶり、危機感のなさ、能天気ぶりには、ただただ呆れるばかりだ。


湯浅誠さんの著書 「貧困」 あとがきより  抜粋

本書のゲラを読んでくれたある知人は、「読み進めながら、驚き、悲しみ、怒り、憤り、恐怖を順番に感じました」と教えてくれた。
できることなら、最後に「希望」と加えてもらえる本にしたかった。
しかし、それは十分に果たせなかった。
明るい希望をのびのびと書き記すには、私が肌身で感じている状況は厳しすぎる。筆がのびなかった。

活動していると、食うや食わずにまで追い込まれた人たちと出会う。
「一人の人間として生まれてきて、どうしてこんな目にあわなきゃいけないいんだ」と、頻繁に感じる。

テレビをつければサラ金・パチンコのCMが飛び込んでくる。電車に乗れば、スマイルサービスの派手なピンクの広告を見かける。
そして新聞を開けば、政財界主要人物の偏向したメッセージの垂れ流し。政治家たちは<貧困>など存在していないかのような顔をしている。
そんな日常の中で明るい未来を語るには、もう少し太い神経が必要だ。

                                        中略

最後に。あつかましくも読者のみなさんにお願いがある。この本を読んで、よかったと思ったら、地元の図書館にリクエストを出してほしい。本を買うお金のない人にこそ、本当は読んでもらいたいから。

2007年2月 池袋の喫茶店で   著者

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太平洋戦争65年





――人類はいつかは戦争のない平和な暮らしができるようになるのでしょうか。

シルバーバーチより

これは難しい問題です。
まず理解していただかねばならないのは、人間には自由意思というものがあるということです。自由意思のない操り人形ではないのです。
自由意思による選択の余地を与えられることによって、人間も永遠の創造的進化の過程に生きられるのです。
人間は地上を天国にすることもできれば、暗く荒涼とした、恐ろしい悪の園にすることもできます。そこに選択の余地が残されているのです。

戦争、暴力、貪欲、情欲、利己主義がはびこるのは物質中心の考え方をするからです。
そういう考え方をするのは、これほど多くの宗教が存在しながら大半の人間が肉体は死ねばすべておしまいと思っているからです。
死後にも実感をともなった生活――地上生活の賞罰が清算される世界が存在するという事実が信じられず、
地上生活が唯一の生活の場であると考えます。
すると当然、物質がすべてなら今のうちに思い切り欲望を満足させておこう、ということになります。
(現に太平洋戦争の原因は、某大国の自国の経済発展のもくろみが動機となっていることは、今や広く知られております。
このあまりに低レベルな俗的な卑しい動機が、人を殺し国を滅ぼし隷属させて、果ては大量虐殺(例:アウシュヴィッツ、広島・長崎の原爆等)
にまで及んでしまうのですからまことに恐ろしいことです)

人間は霊的天命を背負った霊的実在です。
その天命を全うするも損なうも、日常生活における身の処し方一つにかかっております。
因果律、すなわちタネまきと刈り取りの摂理は絶対に狂いません。

よい行いをすればそれだけ幸せを味わいます。利己的な行いをすれば、それだけ苦い思いをさせられます。
摂理はごまかせません。死の床でいくら懺悔の言葉を述べても、すでに始動している因果律の働きを止められるものではありません。
こうした真理を理解する人が増すにつれて戦争が減り、平和な地域が広がっていきます。
これは一朝一夕にできることではありません。

私には以上のようなお答しかできません。
自分の役目を果たすのです。自分なりの最善を尽くすのです。縁あって近づく人の力になってあげることです。
親切に、寛容に、そして慈しみの心をもって接するのです。機会さえあれば、どこででも人のために役立つことを心がけることです。
それが世の中に貢献するゆえんとなります。

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何のために生まれてくるのか

生きていますと、「人間をやめたくなる」、「今生はもう終わって、死後の世界に行きたくなる」
思いの本気度はさておき、とにかくそういう真っ暗闇、もう暗黒の気体に沈んだまま、
自分はさてどこまで闇の下へと落ち込んでいくのか―――



そんな折、その時、その人に、その機縁に応じて扉が開かれると思います。

一例)
シルバーバーチのことばより

地上生活の目的は人間の霊性の発現を促すことです。
地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。
なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しいことです。まるで穴居人のように、
ガランとした暗がりの中で暮らしております。
視覚がズレているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。
人生がもたらしてくれる莫大な豊かさをまったく知らずにいます。
霊的真理に気づけば、自分がいま何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます。

地上的環境の中に置かれている以上あなた方は、地上ならではのさまざまな条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、
いわゆる人生の浮き沈みというものに直面しないわけにはまいりません。
しかし、そこにこそ皆さんが地上に生を受けた意味があるのです。そうしたさまざまな浮き沈みの体験が、皆さんの霊、
真実の自我に潜在する資質を顕現させることになるのです。困難と逆境とに遭遇して初めて発揮されるものなのです。
魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。

そもそも人間は死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためではなく、
霊界という本来の住みかへ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです。
その無限の宇宙機構の中にあって、一人の例外もなく必ず何らかの役目があります。そしてそれを果たそうとすると、いろいろと困難が生じます。
が、それは正面から迎え撃って克服していくべき挑戦と心得るべきです。
困難と障害は、霊性を発達させ、進化させていく上において必要不可欠の要素なのです。

太陽がさんさんと輝いている時、つまり富と財産に囲まれた生活を送っているようでは霊的真理は見出せません。
何一つ難問がないようでは霊的真理は理解できません。困苦の真っただ中に置かれて初めて触媒が働くのです。
魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、
光明も導きもなくなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。
どん底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。
魂は低く落ち込むことが可能であるだけ、それだけ高く向上することもできます。それが両極の原理です。

あなた方にとってイヤな体験こそ本当はいちばんためになるのです。
魂が目覚めるのはのんきな生活の中ではなく、嵐のような生活の中においてこそです。


シルバーバーチの霊訓1~12
どんなちっぽけな存在であっても、自分は他人とは絶対違う、と思っていても、
ありとあらゆる悩み、苦しみ、無気力な魂のことに、ちゃんと耳を傾けて語りかけてくれます。どこの図書館にもたいていありますし、
セブンイレブンの本予約なら書店予約よりダンゼン早く受け取れます。アマゾンなどの中古でも購入できます。

シルバーバーチとは→ http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/



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児童虐待
             







平成20年度に全国の児童相談所で対応した
児童虐待相談対応件数は、42,662件(速報値)

この統計上の数値だけから判断すれば、
虐待件数が年々増えていると考えられがちです


しかし、本当のところは分らないと思います。
以前子供の虐待というニュースは、マスコミに
とりあげられるということがありませんでした。
では昔は子供の生活・生命を危うくするような
事件はなかったのかというと、そうではありません。
近年ようやく、意識されるようになってきた、
というとらえ方ができます。
大阪のように、虐待件数が多い地域は、
逆に言うと、それだけ地域や自治体の児童虐待に対する意識が高い、
児童相談所への通報数が多いということも考えられます。

古代の平安時代、「平安」という名とは裏腹に、全国的に疫病、干ばつ、災害などにより、庶民の生活はやっぱり大変でした。
現代でも新型ウイルスが出るたび、狂的ともいえる情報が蔓延しますが、昔も新型インフルエンザは流行したでしょうし
また今のような医療の発達がないですから、その被害は大変だったと思われます。
疫病と飢餓のために町は乞食があふれ,捨てられた死体が道をうずめるという状況。
7歳以下の子どもが死ぬと,葬式はもちろん火葬などもせず,川原や墓地などに捨てるのが貴族も含めた習慣だったそうです。

戦国時代は弱肉強食の時代、江戸時代も、間引き(乳児殺し)は日常的に行われたようです。
子どもはいつ死ぬかもわからない不確実な存在であり,時間やお金はかけられない存在であったと...。

明治も明治の中頃までは、田舎では人買い婆さんがやって来て、12歳前後の子どもを買っていた、
嬰児の死体が川に浮いて流れていくのが明治になっても目撃された 。
大正も、貧困と人権に対する認識の低さから人身売買も少なくなかった。
そのうえ,米騒動,首相暗殺など,世情騒然とした時代であった・・・云々。

昭和初期~世界大戦後は、兵隊からの強制で,子どもを絞殺したり,川に流したりした母親が少なくなかった。
中国に「残して」きた子どもの多くは餓死。13歳以上の一部の女性は,5~6円で中国人に売られた。
昭和23年(1948)の新宿の寿産院事件――
新宿柳町の寿産院が乳児の親から預り料をとり、1年間に102人の乳児を預り、うち85人を餓死や凍死させたもの。
事件が発覚したのは、親の訴えによるのではなく、幼児の死体を運んでいるところをたまたま警察官に発見されたのです。
またお金をとって自分の子どもをよそに貸す・手放すことについて、「親が苦しい場合には仕方がない」
という意識が公然とあった時代。

話がすこしそれますが、人口妊娠中絶は、戦後の一時期、非常に多かったです。
1948年、母体保護法ができてから増え、1955年には1,170,143件で、出生数の4分の3ほどもありました。
戦後はとにかく物を求める時代、一方、命を思う意識はどうだったのでしょうか。
(2009年は242,292件で、近年は出生数の4分の1を横ばいしています・・・件数そのものの減少は、避妊に対する意識の定着、
生活スタイルの変化などによりますが、今も妊娠女性のおよそ4分の1は中絶を選択していることになります))

私の知人(30代)は、幼児から幼少時、親が商売している間中ずっと腰に紐を巻かれ柱につながれて過ごしたそうです。
子どもが泣きつかれて眠りこむなどは普通だったでしょうし、帯が首に巻きついて死亡するなどの事故も少なからずあったと
推測されますが、これらの行為が「家庭内での子どもの不当な取り扱い」などとして報道されたことはありません。

児童虐待の原因として、ストレスが原因とも言われますが・・・??。
何でもかんでもストレス社会と近年言われますが、上記のようにいつの時代も生きていくのは大変です。

核家族社会に原因が・・・?
今は核家族の社会、昔の日本は大家族、「大家族が平和に機能していくためには,多くの女性の涙と忍耐を必要とした」
と河合隼雄さんはおっしゃっています。

こうおってくると、上記グラフの児童虐待の処理件数の増加や児童相談所への相談件数の増加を問題視するより、、
子どもの虐待が児童相談所で取り上げられたり、相談したりできる時代がようやく来た、ともとれるのではないでしょうか

もちろん児童養護施設入所の理由が、以前は親の死亡や病気、経済理由などが多かったのに対し、
近年は虐待によるケースが増えていることから、時代・社会背景の変化、人間の変化をしっかり把握しないといけません。
研究者の方々による虐待の分類(身体的虐待・性的虐待・心理的虐待・ネグレクト)もっしっかりなされ、
虐待の原因等も研究されています。
昔の間引きや、戦後の混乱期での子育て中の事故が言葉で言うところの虐待に部類するとは決していいません。
ただ、子どもの生命を脅かす現象は昔もあったし、また虐待そのものも実際はあったと。
子どもの虐待は、現代に限っての社会問題ではないと思うのです。


統計上の数だけに焦点を当てるのではなく、いつの時代にも子供の生活・生命が脅かされることは起こっていたんだ、
でも、この時代、子どもの虐待ということが社会でちゃんと問題視されるようになってきたんだということをしっかりつかまえて、
現代の社会背景、人間背景から探っていって、悲しみ苦しむ子供、罪を行う大人が少しでも減るよう、
しっかり考えていきたいと思います。


児童養護施設とは:
児童養護施設は養護学校とは異なります。養護学校は「学校」です。障害を持っている子どもが通う学校です。
児童養護施設というのは、「生活の場」です。
養育者がいない、または、養育者がいても適切な養育の手をかけることができない。
そのまま自宅にいたのでは、子どもの健康な発育が望めないというような子どもたちが、児童相談所の措置によって
入所する施設です。全国で約3万人ほどの子どもが暮らしています。
実は、現在、児童養護施設入所者の約6割が、虐待を受けた子どもたちなのです。
「そのまま自宅に置いておいたのでは…」という事情の中に、児童虐待ということが問題としてある。。。
(「児童福祉施設における心理臨床の現状と愛着理論」 増沢高 氏(子どもの虹情報研修センター 研修課長)より抜粋)



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                        千鳥ケ淵戦没者墓苑

                       

                                        六角堂

東京地下鉄、九段下をおりて、左手に武道館、皇居外苑を見、右手には靖國神社が見えます。
ふと左側に千鳥ケ淵戦没者墓苑という立て札があります。
かの太平洋戦争において各地で戦没された御英霊のご遺骨が眠る墓苑です。

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)3月28日、国によって建設された「無名戦没者の墓」です。
第二次世界大戦の折に海外で亡くなられた日本軍人・一般人のうち、身元が不明の遺骨が安置されています。
靖國神社を知らない人はまずいないでしょうが、千鳥ケ淵を知らない日本人はいると思います。かつての私がそうでした。

上の写真から、静かな佇まいが感じられますが、すぐ隣には、ここ千鳥ヶ淵に喰い込むようにそびえたち景観を悪くし、
見上げる空の視界を狭めている高級マンション風の建物があり、その対照的な景観に違和感を感じます。
高級官僚らが住む最近できた官舎群です。



召集令状紙一枚で召集され、使い捨て、本来ならお一人おひとりのお墓を立てて、偲んでさしあげる、
もし自分が当人ならそうしてもらいたいと思います。
現状は「無名」という文字でくくられて、塊のように一施設に納められた、という感がします。

海外地域では、日本軍人軍属戦没者約210万人の他、戦火に巻き込まれて他界された一般邦人約30万人があり、
海外での戦没者は約240万人と言われています。本土における戦災等で亡くなられた方々約70万人をあわせると、
この大戦間の戦没者総数は310万人の多きに達しております。(ここでは世界の戦争犠牲者ではなく、日本に目を当てます)

終戦後、各地にその遺体は屍(しかばね)となって置き去りにされて、もう65年の時を隔ててしまいました。
遺骨収集は長らくボランティアの様な形で行なわれ、国(厚生労働省)による遺骨収集は遅々として進まない感でしたが、
昨年度は民間団体の活発な取り組みもあって、この30年間で最も多い8965人の遺骨が収集されたそうです。



 陶棺(六角堂内)
日本古代の豪族の寝棺を模した陶棺です。
ここには、昭和天皇から賜った金銅製の納骨壺が入っています。
壺の中に、海外のそれぞれの地域で亡くなられた方々を代表する御遺骨が納められています。










       
くにのため いのちささげし ひとびとの ことをおもへば               いくさなくよを あゆみきて おもひいづ かのかたきひを 
むねせまりくる                                          いきしひとびと
             昭和天皇陛下 御製                                    今上天皇陛下 御製


 

 

先の大戦における海外主要戦域別戦没者数一覧(工事中)



2010年5月31日産経ニュース―

第二次世界大戦の戦没者らを慰霊する拝礼式が31日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で行われ、
NPO団体や政府の遺骨収集団などが硫黄島やフィリピンから持ち帰った遺骨3937柱が新たに納められた。
これまでに納骨されたのは35万8269柱となった。
式には遺族ら約560人が参列。三笠宮寛人親王殿下が拝礼され、鳩山首相も献花を行った。長妻昭厚生労働相は
「先の大戦から学びとった多くの教訓を次の世代に継承し、恒久の平和を確立すべく、力を尽くしてまいりますことを
お誓いいたします」と述べた。

以上



海ゆかば
という歌をご存じでしょうか?


戦時中、国民の戦闘意欲を高めるために国が制定した曲。
信時潔がNHKの依頼で作曲しました。
出征兵士を送る歌でしたが、やがて、10代の若い学徒までが出征するにおよび、信時は苦しみます。


大本営によるラジオでの戦果発表の時、玉砕を伝える際に、必ず冒頭曲として流されました。
勝戦を発表するときは、他の軍歌でした

「海ゆかば」の作詞は、戦争当時ではなく、その歌詞は、古代万葉集、続日本紀に遡ります。
大伴家持による作品で、長歌として万葉集に収められています。
出典のもうひとつは、続日本紀です。
西暦749年の春、聖武天皇が奈良の東大寺に行幸あそばされたおり、儀式の席上で、
天皇への忠誠の厚い大伴宿禰(すくね)・佐伯宿禰を天皇がおほめあそばされているという趣旨で、
大伴、佐伯を激励するときに伝えたことばとされています。




海 ゆかば 水漬(みづ)く 屍(かばね)

山 ゆかば 草生(くさむ)す 屍

大君(おおきみ)の  辺(へ)にこそ 死なめ

かへりみはせじ


意味

海をゆくなら 水に漬かるしかばねともなろう

山をゆくなら 草の生えるしかばねともなろう

天皇のおそばに この命を投げ出して

悔いはないのだ 決してふりかえることはないだろう




http://www.youtube.com/watch?v=cPkAPiJqwlg ←海ゆかば 試聴

実際にこの歌を聞くと初めて聴くのに、心がゆさぶられます。
神風特攻隊の方々が出てきて
涙が出てきます。





2010/01/27 10 産経ニュース↓
 
先の大戦で海外で亡くなった戦没者の遺骨収集問題は、この1年間で大きく動いた。
アルピニストの野口健さん(36)らが参加し、フィリピンで活動するNPO法人「空援隊(くうえんたい)」は昨年、
従来の実績を大きく上回る8675体分の遺骨を収集した。
だが、同時に資金面などさまざまな課題も噴出。
19日に大阪市北区の市中央公会堂で開かれた遺骨収集を考えるシンポジウム(産経新聞社主催)で、
野口さんは「国が動くのを待っているのではなく、おのおのができることから始めよう」と呼びかけた。
(野口さんは2010/5 に空援隊を退会。オール・ジャパンの構築目指して、遺骨収集活動に邁進されています)
 

海外で亡くなった戦没者約240万人のうち、未帰還の遺骨は約115万体。
空援隊はフィリピンで現地住民の情報を中心とした独自のネットワークを構築し、昨年、
従来とは“ふたケタも違う”大きな成果を上げた。
さらに、国の予算さえ付けば「総計約3万体分の収集が可能」として鳩山由紀夫首相あてに公開質問状を提出したが、
明確な回答は得られていない。      
以上



野口健(36)さんが言う 「おのおのができること」って何でしょうか・・・

このシンポジウムで意見交換された、ジャーナリストの笹幸恵(35)さん(実際に遺骨収集を単身でずっとやっている)は、
「国民一人一人が『思い』を持って行動しなければ事態は変わらない。
知恵がある人は知恵を、お金がある人はお金を、どちらもない人は自分の身体で貢献していただきたい。
一番大事なことは国民の皆さんが関心を持ち続けること」 と語られたそうです。



http://www.nippon-izokukai.jp/ 日本遺族会

http://www.noguchi-ken.com/   野口健さん公式HP
http://www.youtube.com/watch?v=ZN0WaAYIqlc  野口健さん2009年5月25日 千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式

http://jyma.org/  JYMA 日本青年遺骨収集団

それぞれの活動のこと、活動に参加するには、支援のやり方などがわかります




http://www.youtube.com/watch?v=XJBM8aSGsv8  ガダルカナル(ソロモン諸島)遺骨収集事業 1~6  
笹幸恵さんの遺骨収集動画です とてもいいです ぜひとも見てください。
野口健さんの遺骨収集の動画もつづいて出てきます。









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「どうか、 わたしのいくさに まちがいが ありませぬよう」

これは、先日テレビで放映された 「大仏開眼」(2010.4.3 4.10)の1シーンで、非常に心に響いた言葉です。
 



吉備真備さまが藤原仲麻呂との戦いにのぞんで、完成途中の大仏を眼前に、天地、神仏に対して誓いを立てるシーン

「・・・・・・一度だけ、いくさをいたします。
おゆるしください
けっして 長くは戦いません。
国を疲弊させるいくさにはいたしません

・・・・・どうか、 わたしのいくさに まちがいが ありませぬよう     」


吉備真備さまが実際にそう天地神明に誓いを立てられたかどうかの真偽の話ではありません。

「どうか、わたしの〇〇にまちがいがありませんように」

そういう心境で生きていく、行いをしていくことに衝撃を感じたからです。
これについて、われを振り返ると、いくら穴を掘っても掘っても隠しきれないたくさんの、ふかーい罪、過去、今があって、
そのことにいやでもひっかかってきたからです。

自殺・ホームレス・派遣でも書きましたが、
ヒトは霊的存在です。「肉体+霊」 これで成り立っています。

わが身も含めてですが、世の中歩いてますと、肉と霊を比べると、明らかに肉がまさってるな~って。
・朝、起きたくない。仕事に行きたくない^^; →休む人います
・連休はたいてい海外・レジャーで過ごす→休日のほとんどを自分・家族の快楽onlyに充てる場合のこと
・今日は帰りにあれとこれと買って帰らなきゃ。→嗜好品への所有願望がかなり膨らんでいる場合のこと
・明らかに素晴らしい活動だ。でもわたしは・・・。→固定概念と偏見だけで判断し、気持ちの転換ができない
・〇〇さん、手術後の経過がよくないらしい。でもこればっかりは何ともしてあげれないからな。→・・・で終わらせる

肉体が霊に勝ってしまうことを
「肉主霊従」といいます。肉が主人で、霊は従・奴隷。

これについては、シルバーバーチの霊訓から


私は決して肉体ならびにその必需品を疎かにしてよろしいと言っているのではありません。
肉体は霊の大切な道具ではありませんか。
肉体的本性が要求するものを無視するように、と勧めているのではありません。
一人でも多くの人に、正しい視野をもって、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。
自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい、霊をそなえた肉体だと思い込んでいる人が、
まだまだ多すぎます。本当は肉体をそなえた霊的存在なのです。

人間各自の内面では常に“人間臭いもの”と“神性を帯びたもの”との間で葛藤があります。
後者が勝てば大霊と一体となった喜悦を味わいますが、前者が勝った時は味気なさを味わいます。
人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、
それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、
そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。
あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。

霊界では地上時代の地位や肩書きといった飾りものが全て剥ぎ取られ、
魂はその有りのままの姿を衆目にさらされ、長所と短所が一目瞭然となります。
金持ちも貧乏人もいません。いるとすれば霊性の豊かな人と貧弱な人だけです。
強者も弱者もいません。いるとすれば霊的に強い人と弱い人だけです。

残念ながら地上世界は、今なお物質万能主義の悪弊から脱け切れずにいます。
すべてを金銭的感覚で捉えようとします。財産の多い人ほど偉い人と見なします。
人間性ではなく財産と地位と肩書きと家柄によってランクづけします。
実際には全く永続性のないものばかりです。虚飾にすぎません。実在ではないのです

本当の価値の尺度は霊的成長度です。それは、その人の生活、日常の行為・言動によって、
みずから成就していくもので、それがすべてであり、それしかないのです。
お金で徳は買えません。お金で霊的成長は買えません。お金で霊格は高められません。


葛藤を余儀なくさせられる困難が多いほど、それだけ魂が成長するものです。
霊的自我に目覚めるのは常に厳しい環境を克服せんとする葛藤の中においてこそです。
霊性の発達は、各自が抱える問題をどう対処していくかにかかっています。
物事がラクに、そして順調にはかどるから発達するのではありません。困難がともなうからこそ発達するのです。

生まれてから今に至るまで、肉主霊従に慣らされている私たち。
霊が肉体を支配する、肉体に命令することができるように、肉体の思いのままに振り回されないよう

「どうか、わたしの思いにまちがいがありませんように」
「どうか、わたしの行いにまちがいがありませんように」

そういう思いで生きることは、必要かもしれません。



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愛知県という地域限定ではなく、全国で、自殺者数は昭和50年代~平成9年まで2万人台であったのが、
平成10年に、3万人を超え、昨年21年の32,753人まで12年間ずっと3万人を超えています。
遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」がトップ。
次いで「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
平成10年は自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した年に、当たります


以下、警視庁統計資料
平成21年中の月別の自殺者数

平成20年中における自殺の概要資料


平成14年8月24日から29日にかけて、横浜市で開かれた第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、
世界で日本が実質自殺率1位でした。

当時マスコミでは以下のように取り上げられました。

         
~「ニッポン自殺率世界一」の衝撃、他の先進国ではあり得ない事態、
           「豊かだが貧しい国」 心の問題に金を使わぬ日本~

          日本は高度な先進医療にはお金をかけるのに、自殺など心の問題には補助がでず、
          民間団体などがボランティアで取り組んでいるのが実体なのだという。
          日本は先端技術では世界の最先端ですが人間を犠牲にしている面もある・・・
                                                サンデー毎日H14.10.6
          

実質自殺率1位の根拠は?

世界精神医学学会が当時人口10万人当たりの自殺者を独自に推計したところ、日本は25人超。
これに対し、他には25人をこえる国はないと推計され、討議の結果、
日本は実質的に、世界で最も高い自殺率の国であることが浮かび上がったといいます。


2009年最新情報は↓(WHO資料より)
図録自殺率の国際比較

『自殺論』で知られる社会学者エミール・デュルケム(1857~1917)によると、
カソリックやユダヤ教色の強い国・地域は、戒律が厳しく、個人が社会に束縛されて生活している分だけ自殺は少なく、
プロテスタントの影響の強い国・地域は、人々が比較的自由な分だけ自殺が多いというのです。
(追記:中東の国々では、イスラム教の経典コーランに自殺の禁止を明記した項目があるため、自殺率が低いともいわれています)

また、家族の構成員が多い方が自殺率が低いという傾向が統計的に確認されるとします。
さらに、戦争や内乱のときには自殺率が大幅に低下し、戦争が終結すると今度は急増するとされています。



WHOによると、アフリカやアジアなど、自殺者データを提出していない国も多いです。
特に飢餓や感染症などで多くの人たちが死亡する国では、自殺にまで関心を払う余裕がないのでしょうか。

今や日本は自殺大国です。警察庁生活安全局地域課による資料で明らかなように
自殺者数の3万人台は、1998年(平成10年)から12年連続です。
昨年平成21年の32,753人でいえば、毎日約90人が自ら命を絶っていることになります。
この数字は、昨年の交通事故による死者(4914人)の約6.7倍です。
自殺未遂者、行方不明者の存在を考えると、自殺者の背後には、5倍~10倍(一説によれば、20倍)、
15万人~30万人(60万人?)規模の自殺予備軍が存在することになります。


日本の自殺率が高い背景について、
キーワードがいくつもあげられます


   中高年男性の自殺多  不安定な経済   解雇   失業   倒産   就職難   不況   ホームレス
   若い世代の就職難   派遣切り   日雇い労働   うつ病   介護   高齢化   いじめ   校内暴力
   借金   自己破産   生活苦   家庭内暴力   幼児虐待   孤独   孤立   経済格差   無関心
   物質中心主義   虚無感   病気   人間不信

☆フォーカス☆ 日雇い労働の実態



戦後、日本は歴史上、大きな節目を迎えます。
戦後の日本のスタートが、その後の社会に大きく関わっている。それがどんな動機であったか。
物事、現象には必ず原因があります。いいかえれば初めの第一歩、初心、つまりは動機です。
戦後、日本は物質的に欠けている、ゼロ0からのスタートでした。求めるものは、モノです。
「おいつけ」からスタートして、やがて「おいこせ」に代わります。
モノの追求は、民主主義社会において、より多くの自由の獲得とともに成長し続け、
膨れ上がる個人や社会の欲求は果てしなく、求めても求めてもこれでよしという限度がありません。

ところが、忘れられてきたのが、精神・霊の追究です。
人間、ヒトというのは、生きているヒトは肉体をもつと同時に霊的でもあります。
死んだらそれで「無」になるという唯物的考え方との議論はここではいたしません。
(いや、もはや、人生はこの世限りのものという考え自体が、モノ、肉中心主義、偏った人生の結果です)

ヒトは霊的存在です。「肉体+霊」これで成り立っています。
昔は、医学も科学も哲学も宗教も音楽も美術も体系として融合していました。
ところが戦後、人は肉体が喜ぶことを中心に生活してきました。
社会は肉体が喜ぶものを中心に提供してきました。
その結果、上記のキーワードのような個人・社会が生まれたと考えます。

これを解消する方法は、もちろん民間団体やボランティアによる弱者への活動支援、
政府による政策が早急に求められます。が、そもそもヒトとしてその構成要素である肉体+霊のうちの
忘れられてきた霊に目を向けることだと思います。霊の成長を考える。
その前に、病んでいる精神・魂を修復する必要があります。
巷であるものでは、癒し産業(アロマ、オイル、ヒーリング、、、)右脳開発、ボランティア、宗教etc。
肉のお手入れと同時に、霊のお手入れです。

さらに霊の修復から成長を促すもの、それはヒトそれぞれのこの世での縁で巡り合うものだと思います。
芸術(絵画・音楽・映画)、文化、ヒトとの交流、宗教、スピリチュアルな体験など。
特に宗教、スピリチュアルとなると、固定概念、偏見があり、見えない世界であるだけに、難しい。
また、個人の御利益的な意味合いのものから、世界の平和を祈るものまで、その程度の差ははげしいです。

見えない世界のことであるがゆえに、一個人、一団体による思想、信仰の強制・圧力は避けたいです。
結局のところ、生きている間は分からないのですから。
自分に縁のあった霊的修養道場にのめりこむのもよし、ある時は一歩ひいて軌道修正するもよし。
最終的に、生きている間にどの地点まで行けるかです。

大切なのは、それぞれの普段のにちにちの生活が霊的により高い次元と調和しようとすることだと思います。
そのために出会うものを意識的する、肉的充足のためだけにアンテナを張ってきた生活を改めて
霊的充足のために何が必要か、何をすべきかのアンテナも張ってまいりたいと思います。

あなたの肉体が喜ぶことを追求するのはわりと簡単です。そのための情報はごまんとあります。

その追求はそろそろほどほどにして、、、

あなたのこころ・精神・魂・霊が喜ぶことは何ですか ―――?







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      ☆40周年・第80回あしなが学生募金始まる☆
 
「授業料無償化でも進学できない遺児」
第80回あしなが学生募金(事務局長:長岡弘晃さん・日本大学4年)の街頭募金が
4月24日、25日、5月1日、2日の4日間、全国一斉に行われました。
24日は晴れといっても外は気温が低い中、名古屋の星が丘三越の前を自転車で通りかかりましたら、
元気な声とあしの長~い旗に目が止まりました。
中学生か高校1年生ぐらいの女子学生さんが募金の呼びかけをしていました。
三越の前はちょうど日陰でしかも風がぴゅーぴゅー吹くところ。土日のお休みの日に、何時間立っているんだろう。。。
自転車を置いて、さっそく募金させていただきました。
「あ~、あ・あ・ありがとうございます」って駆け寄ってこられて。。。
「いえいえ、ありがとうはこちらの方で。させていただいて、こちらの方こそありがとう」という気持ちです。

夫の死後 年収半減、『下層意識』7割強、進学断念53.9%!

~緊急調査発表~


あしなが育英会が09年11月に実施した「遺児母子家庭緊急アンケート」によると、遺児家庭の貧困化がますます深まり、
その影響が母親の心の状態にまで及んでいることが明らかになりました。
この調査で、母親代表・畠山美知子さんは、
「主人を事故で亡くし長男が白血病で闘病した。生活が苦しくなり盛岡市の家をたたんで東京に働きに出てきた。
授業料以外にも多くの教育費がかかり、無償化になっても苦しさが続く」と訴えました


 
『母親アンケートの概況』は、
1.夫と死別後、年収半減、「下層」意識7割に激増、
2.経済不況で母親の就労状況さらに悪化、非正規社員が6割を超えた、
3.生活の悪化の影響が精神にまで及んでいる、
4.授業料以外の教育費の捻出に苦慮、高校授業料無償化だけでは不十分、
5.「大学等の授業料も無償にしてほしい」6割、
6.依然として多い、年金の支給期間延長を望む声7割強、など。

『高校奨学生アンケートの概況』は、
1.経済状況の悪化で子どもの勉学意欲がさらに減退、
「勉強する気になれない」3割、「未来に希望が持てない」2割、
2.高卒での就職希望、一般高校生の1.4倍、「経済的事情」で進学断念 08年12月調査40.1%⇒53.9%、
3.就職希望者の割合、東北35.1%、首都圏15.8%。地域格差が顕著、
4.アルバイト代のつかい道は、「学校の費用」3割強、「生活費」2割、などでした。

募金の方法は・・・
①街頭募金をする
②あしなが育英会の資料についている振込用紙で郵便局から振り込む    ホームページから資料請求できます
③ホームページからカードで寄付する
   http://www.ashinaga.org

『高校奨学生アンケートの概況』で結果で非常にショックだったのは、
経済状況の悪化で子どもの勉学意欲がさらに減退、「勉強する気になれない」、「未来に希望が持てない」という気持ちです


派遣村の村長さん 湯浅誠さん(NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長)
の著書に書かれていた「五重の排除」を思い出しました。
個々の人間が貧困状況に追い込まれるプロセスには5つの排除構造が存在すると主張しています

貧困状態に追い込まれていない人にはわからない
しかも個人浪費による借金地獄、自分から仕事を辞めてしまう無職となると、一般的に
「それは本人の自覚の問題だ、世の中を甘く見てる、自業自得、自己責任!」 と考えられます。特に若者に対して、
「障害者でもない、子どもでもない、老人でもない、じゃあ働けよ。」 で終わらせる。
この社会の評価は当然です。
また、人間関係や仕事の重荷に折れて、どうしても仕事を自ら辞めてしまう人に対し、
「がんばれ、○○を見ろ、俺を見ろ、人間死んだ気になってやればなんだってできる。
イチローを見ろ!努力すればおまえにだってできる。人間、やる気になったら必ずできる」・・・って激励する人。
テレビなどで最近よく活躍している芸能人などを華々しく苦労話などをまじえながら、
最後にはお決まりのようにその人の哲学が語られます。なるほど!ためになる。

でもそれはその人だから。その人の背景、バックグラウンド、しいていえば、自分というものに対する自信というか
自分はOKという気持ちというものがベースにあるからこそなんです。
成功する人、病気を治した人、困難を乗り越えた人、などなど、彼らに共通しているのは、
「自分は大丈夫!」「自分はオッケー」っていう、
なんかそういう自分に対する、根拠はないけど自信みたいなものがあるってこと。
ところが、どんな原因にしろ、貧困に陥る人たちには、その自分はOK~という気持ちがない、
そういう気持ちになれないんです。もっと言えば、生まれてこの方、そんな気持ちになった経験がないから
自分がOKという感覚がどういうものか、わかんないんです。

それは5つの排除=「五重の排除」が原因だと 湯浅誠さんはおっしゃっています。

教育課程からの排除
親が貧困だと、その子どもは多くの場合中卒か高校中退で社会に出なければならず、
社会的階層上昇(貧困脱出)のための技術や知識・学歴を獲得することがとても難しくなります。
企業福祉からの排除
小泉構造改革によって激増した非正規雇用=派遣の人々は、正規雇用に与えられる雇用保険や社会保険、
企業による福利厚生、安定した雇用などから排除されていて、容易に貧困状態に滑り落ちてしまいます。
家族福祉からの排除
我が国では親族間の相互扶助が、社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしていますが、
貧困状態に陥る人々にはもともと頼れる家族・親族がいないのです(たとえば家族・親族もワーキングプアであるなど)。
公的福祉からの排除
かの有名な「ヤミの北九州方式(水際作戦)」に代表されるように、生活保護担当の公務員が、
相談者が生きていけるかどうかを考えず、あれこれ理由を付けて追い返す、門前払いにすることばかりに力を入れており、
いよいよ追い詰められた状況でも生活保護受給にたどりつけない人が非常に多いです。
若者には「まだ働ける」「親に養ってもらいなさい」、老人には「子どもに養ってもらいなさい」、
母子家庭には「別れた夫から養育費をもらいなさい」「子どもを施設に預けて働けば」、
ホームレスには「住所がないと保護できないから」と。
湯浅さんは現在、生活保護受給資格があるにもかかわらず「水際作戦」などによって生活保護から排除されている人々
(漏給と呼ばれる)を600万人から850万人と見積もっています。
自分自身からの排除
上に述べた4つの社会的排除に直面し、しかもそれが自己責任論によって「あなたのせい」と片づけらる。
さらには本人自身がそれを内面化して「自分のせい」と捉えてしまうようになると、人は自分の尊厳を守れずに、
自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。
その結果、とうとう自分自身の存在価値や将来への希望を見つけられなくなってしまう、
自分に自信がもてない、自分で自分をOKと思えない、一歩外に出て何をするにも気持ちが臆してしまう、
ある相談者が言っていた。「死ねないから生きているにすぎない」と。
「生きていても、どうせいいことは何一つない」という心理状態である。

期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、
自分の不甲斐なさと周囲(社会)への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。
精神状態の破綻を避けるには、その感情をコントロールしなければならず、
そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。
しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる
その結果が自殺であり、また何もかもを諦めた生を生きることだ。
生きることと希望・願望は本来両立すべきなのに、
両者が対立し、希望・願望を破棄することでようやく生きることが可能となるような状態。

経済状況の悪化で子どもの勉学意欲がさらに減退、「勉強する気になれない」、「未来に希望が持てない」というのは
まさに「自分自身からの排除」に向かおうとしているのではないでしょうか。遺児たちのこころがもうここまで追い込まれている。
これは深刻な緊急事態ではないでしょうか。遺児たちを将来の貧困層の予備軍にしてはいけない。
個人で、家庭で、知人同士で、学校で、企業で、遺児たちのことを話し合ってみてください。

●湯浅誠さんの著書・・・読みやすいです。社会のことがよく分かってきます。
『あなたにもできる! 本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』 同文舘出版
『貧困襲来』 山吹書店
『反貧困 -「すべり台社会」からの脱出』
『どんとこい、貧困!』 理論社
『もうガマンできない! 広がる貧困』 宇都宮健児、猪股正共著, 明石書店
『働けません。「働けません。」6つの“奥の手”』 日向咲嗣、吉田猫次郎、李尚昭、春日部蒼、しんぐるまざあず・ふぉーらむ共著, 三五館,
『1995年 未了の問題圏』 中西新太郎編, 雨宮処凛, 中島岳志, 栗田隆子, 杉田俊介共著, 大月書店,
『反貧困と派遣切り 派遣村がめざすもの』 福島みずほ共著, 七つ森書館,
『正社員が没落する -「貧困スパイラル」を止めろ!』 堤未果との共著, 角川oneテーマ21/角川書店,


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中国・青海省地震
4月14日の朝起きた地震.
標高3800m(富士山なみ)の現場は、夜間は氷点下4度の冷え込み。
避難場所の広場にいる人々の7割にはテントがなく、みんなで身を寄せ合って身体を温め合っている。
25日、死者が2192人と発表、住宅は約1万5000棟が倒壊し、10万人が避難生活を強いられた。

現地災害対策本部は、玉樹県内で多数の学校校舎が倒壊し、児童・生徒103人と教師12人が死亡したと発表
73人が行方不明や生き埋めになっており
684人が負傷。震源地に近い同県結古鎮では鎮内にある20校の校舎すべてが倒壊・損壊した。


夜間の冷え込みと酸素不足で、多くの隊員は唇が紫色になり、めまいや頭痛などの高山病の症状を訴えた。
建物の下敷きになった人たちだけでなく、救出活動に従事する人たちの体力も消耗させた。
氷点下のテントの中で避難生活を余儀なくされているところに、24日は降雪、26日は砂じん嵐と泥のような雨。
こんな惨状、推し量ることも及びません。

ニュースによると、中国ではずいぶん物々しい義援金合戦があった様子。
動機はどうあれ、義援金が避難生活の方々に直結直行しますように。
あったかいお湯とあったかい毛布とあったかいごはんとあったかいまごころに浴することができますように


                                                              ちびちゃんtop




平城京遷都1300年目               

今年は2010年。今からちょうど1300年前、日本では飛鳥地方から奈良の平城京に都が移されました。
奈良時代のはじまりです。奈良時代といえば、東大寺の大仏が造られたのもこの時代です。
大仏を発願したのは、時の天皇―聖武天皇でした。
聖武天皇の時代はたいへんな時代で、凶作、飢饉、地震に疫病、さらには権力者の謀反・反乱と、
ありとあらゆる災難が次から次へと起こった時代でした。
「万葉集」にみえる山上憶良の貧窮問答歌が歌われたのもこの時代です。
そんな時代でしたから、国の財政は当然苦しいわけです。
そんな苦しい中、聖武天皇は天平15年(743)10月15日、紫香楽宮において大仏造立の詔を発布します。

「それって仏の力をかりて、国を安らかにする、いわゆる鎮護国家(ちんごこっか)でしょ。」
「大仏が疫病や貧しさ、飢饉をなくすわけじゃないのにね。」と考える現代人..
本当にそうでしょうか。そんな他力本願で真理にくらい時代だったのでしょうか。。。

東大寺の大仏:正式名称は盧舎那仏(るしゃなぶつ)
盧舎那仏とはインドの古代語:サンスクリット語のⅤairocana(バイローチャナ=光り輝く)の音訳で、
広く光を照らす事で「光明遍照(こうみょうへんしょう)」と訳される。
智慧と慈悲とを無辺に照射する如来とされ、真理を擬人化した如来で宇宙の真理そのものを顕し
悠久の過去から未来まで仏の王者であるとする。


  
では大仏造立、その詔とは・・・

 菩薩の大願を発して、盧舎那仏の金銅像一躯を造り奉る。
 国の銅(あかがね)を尽くして象(かたち)を鎔、 大山を削りて堂を構へ、
 広く法界に及ぼして朕(わ)が智識とす。
 遂に同じく利益を蒙りて共に菩提を致さしめむ。夫れ、天下の富を有(たも)つは朕(われ)なり。
 天下の勢を有つは朕なり。この富と勢とを以てこの尊き像を造らむ。事成り易く、心到り難し。
 但し恐るらくは、徒らに人を労(つから)すことのみ有りて能く聖に感(かま)くること無く、
 或は誹謗を生(おこ)して反りて罪辜に堕さむことを。
 是の故に智識に預る者は懇ろに至れる誠を発し、
 各(おのおの)介(おほき)なる福(さきはひ)を招きて、日毎に三たび盧舎那仏を拝むべし。
 自ら念を存して各盧舎那仏を造るべし。
 如(も)し更に人有りて一枝の草一把の土を持ちて像を助け造らむと情に願はば、
 恣(ほしきまにま)に聴(ゆる)せ。
 国郡等の司、この事に因りて百姓を侵し擾(みだ)し、強ひて収め斂(あつ)めしむること莫れ。

 
意訳 
 私は徳うすい身でありながら天皇になり、
 国民すべての救済を心がけ、幸せにしなければならないと、つねに志してきた。
 今ようやく人々を私の仁政(じんせい)でうるおすことができたが、
 まだすべての国民を仏教の恩恵に浴させてはいない。
 そこで何とかして、仏の威光と霊力により、天下が安泰になり、
 万代(よろずよ)の幸せを願うことによって、
 動物も植物も、生きとし生けるものこの世の生命がみな栄えることを望むものである。
 ここに菩薩としての大いなる誓願を発して、廬舎那仏(るしゃなぶつ)一体をつくろうと思う。
 国の銅を使いつくして像をつくり、大きな山をけずって仏堂をかまえ、広く仏法を世界に広めようと思う。
 そして、その趣旨に賛同する者をして我が友となし、
 ついには私もそして我が民も、ともに仏の功徳に浴して悟りにいたろうではないか。
 そもそも天下の富をもつ者は私であり、天下の権勢をもつのも私である。
 この富と権勢によって、尊い像をつくろうとすれば、形はたやすくできるであろう。
 しかし、それでは造像の真意が成就されたとは言い難い。
 恐れるのは、人民に労苦を課しただけで、その聖なる心をわからせることができないことである。
 我が友として大仏造像事業に参加する者は日に三回、心中の廬舎那仏を拝むとよい。
 もし人々の中で、一枝の草、一にぎりの土という、たとえわずかな力であっても、
 像を助けつくろうというものがあれば許すように。
 庶民が協力を申し出た場合は、どんなわずかな志でも拒んではいけない。
 役人たちは、この事業を理由に人民の財産を侵害したり租税を収奪したりしてはならない。
 遠き国にも近き国にも朕の意図を伝え知らせるように。

 
以上、病気や飢饉に苦しむ国民を救い、平和で豊かな理想の国を築こうと志し、
自らも大仏造立のため土を運んだと伝えられる、聖武天皇の廬舎那大仏造立発願の詔です

「乾坤相泰(けんこんあいやす)らかに万代の福業を修め、動植ことごとく栄えん」ことを願い、
国民に「一枝(ひとえだ)の草、一把(ひとにぎり)の土」の結縁(けちえん)をうったえ、
自主的に造営に関わることを呼びかける聖武天皇の姿勢は、
それまでの国家事業の進め方と大きく趣を異にするもので、正に国をあげてのビッグプロジェクトでした。
しかも、莫大な資材と労力、費用を要する大仕事であるだけに、国民の生活をおびやかすことのないようにと
詔勅のなかでも、こまかく配慮されており、おそらく言語に絶する苦労と心痛の連続であったと思われます。



「大仏開眼」・・4/3と4/10にテレビでご覧になった方はたくさんみえると思います


―その後、そして現代―

奈良の時代からつづく平安時代もそうでした。
世を脅かす飢饉や疫病蔓延から社会を救うために、護摩をたき、平安を願って国全体が祈った時代。
弘法大師空海さまを筆頭とした聖人義人が世に現れた時代です。
権力をめぐって物々しい事件も悪事もありましたが、
現代人に比べるとはるかに国自体が精神性に富んでいたと思います。
ものが発達してないだけに人の脳の構造自体が現代人よりはるかに霊的に進歩発達、とぎすまされていた。
通信手段などがないだけに、よけいです

今の世の中、巷では脳科学とか脳トレとかいう類のものがはやっていますが、
果たして??? そこまでしないと、まともな脳にならないという証拠かもしれません。
しかも余計な金と時間を使ってまで習いに行く。
テレビつける、ネットする ブログ見る――これだけで情報収集できる時代。
しかもぴんからキリまでの情報蔓延。
悪をベースにした下劣な情報が氾濫する中で、何を選択するかの能力が要求されます。
知らず知らずのうちに脳は洗脳されていきます。
頭を一生懸命めぐらせなくても、足を運ばなくても、指一本動かすだけで、
動画・画像つきの画面情報がいつでも見られるという現代=脳が退化するのは当然かもしれません。

もともと古代日本人の精神性、それは八百万の神への崇敬の念でした。
生きとし生けるものに生命がやどるとする思想。木、山、鉱物など。
やがて6世紀 インドから中国、百済を経て仏教が伝わると、
育っていた神への思想に仏教思想が加わって融合→神と仏を一緒に祀る神仏習合のはじまりです。
神社でお経が読誦された時代です。
神様と仏様が合祀される。それがあたりまえの時代。
やがて山に籠って修行する山岳密教が出てきます。密教にもとづく修験道のはじまりです
これが地元の住人に根付いていきます。特に東海地方は白山信仰が有名です。

 ※密教とは・・お釈迦様は仏教というものを開いたわけではない。
 後世、お釈迦様の入滅後、お釈迦様の悟りの境地、説法を直接聞いた弟子たちが集まって(結集)、
 お釈迦様の法・教えを後世に残した。
 これがのちに仏教とよばれるようになる。
 原始仏教(根本仏教)→初期仏教(空の思想)→中期仏教(唯識)→後期仏教(密教)
 つまり密教は仏教の流れの中で、最後に出た、つまり最高度に発達した大成された精神世界である

その後、念仏中心の鎌倉仏教、そして檀家仏教(江戸時代)へと流れていきます。
檀家制度によって、寺は布教せずとも檀家から金品が入るようになり寺社の堕落へ。

ついに明治時代、政府から神仏分離令(平田国学による仏教排斥思想をベースとする)が出されます。
これにもともとあった神社からの寺へのうらみつらみが加わって、
さらには人民の寺へ私服肥しに対する恨みもつのり、
ただの神仏分離ですまない、廃仏毀釈=仏教排斥運動にまでなっていきます。
徹底的な仏教排斥により、多くの寺、仏像などが壊されました。
今の岐阜県の中津川市や恵那市は日本のへその緒とまで言われる地域ですが、江戸時代は苗木藩、
わが国でも特に廃仏毀釈がはげしく行われた地域です。

第二次世界大戦終結→東京裁判の悲劇――捻じ曲げられた戦後社会のスタートです
「日本国憲法」起草にGHQが関わったこと。GHQによる教科書検閲。
民主主義という名のもとに、実際は日本人から愛国心を剥奪し、
日本を弱小国とするべく様々な政策を実施します。
修身、歴史教育、国旗掲揚の禁止等。
この背景には、大国アメリカに対抗した日本への憎悪、恐怖、蔑視がありました。
戦後、この悲劇の教育で洗脳されたのが、まさに団塊世代。
社会の中枢を独占し、社会を引っ張ってきたのが彼ら団塊世代の人たちです。
 


戦後教育とはまさにアメリカ(GHQ)とソ連(コミンテルン)の謀略であったといえます。
私たちはそれによって教育されて育ってきたわけです。
本当に国のために働いた聖人の名は消され、その功績は消され、縮小歪曲されて書かれています。
戦後教育の結果、校内暴力、コギャル発生。援助交際が社会問題化。不登校、校内暴力増加。少年犯罪の凶悪化。
学級崩壊、学力低下問題。フリーターの増加、大学生の知の空洞化、性体験率の激増。薬物、登校拒否、ニート、
インターネットによる悪サイトの蔓延、引きこもり、いじめの蔓延。思いやりの欠如、金欲・性欲追及、
年々増え続ける自殺者、過労死、うつ病。。。
皮肉なことに、日本の弱体化を狙った米ソの謀略は、成功しつつあるのではないでしょうか。

戦後は、物要求 もの追及に人々の目的が向けられているので、あまりへんに思わなかった。
でもいまは違う。
物質発達がここまで高度に発達した反面、ともに育ってはこなかった精神性が取り残されたわけです。
このアンバランスがますます大きくなったために、人々はそろそろ精神世界への追及に気づき始めています。
リラクゼーション、ヒーリング、スピリチュアルといった類のものがよく見られます。

ここで、自分はなぜ日本という国の、この時代(昭和・平成)の、〇〇県に生まれてきたのかということを
よくよく認識してたいです。
実は、自分の生まれる環境(いつの時代・どの国・地域・性別・親・身体・容姿)は、この世に生まれてくる前に
自分で決めて生まれてきた、といいます。
このことは、スピリチュアルブームによって意外に知られています。ちゃんと意味があるのです


盧舎那仏(宇宙の真理そのもの)を体現するために、国民一人ひとりが、その人その人なりに
国を挙げての精神浄化運動に参加した奈良時代、
そして続く艱難辛苦→飢饉、飢え、疫病、権力者の横暴から平安を願って祈祷護摩がたかれた平安時代、
では、今の時代、現代は?
現代の艱難は、世界規模では地球環境問題、核・テロの脅威等、
我が国では、凶悪犯罪の増加、年間3万人を超える自殺者、派遣切り、うつ病患者・引きこもり等の増加、政治への不信、
長引く不況、精神性の未熟・崩壊、性感覚の乱れ、幼児虐待・育児放棄云々です。まだまだありますが・・・。
この病んでいる現代社会を立ち直らせるために、私たちは世のために祈っていいのではないでしょうか。
それともこれらの病的社会現象が、IT・情報技術、現代医学、戦後教育、道徳、葬式仏教等によって更生されてきましたか?

さいきん、アセンションという言葉をよく耳にします。
巷でささやかれ、2012年の終末問題が映画にまでされる今。
地上で考えられない天変地異、現象(魚が飛ぶ、観音様が写真に写る、UFOが映るなど)が
いたるところでしかも頻繁におこりつづけています。
アセンション、アセンションといわれ続けるということは、霊的世界からこの世の働きかけがかなり色濃く
どんどん身近になってきている証拠ではないでしょうか。

もしかしたら今こそ奈良・平安いやそれをもしのぐ霊的バイブレーションが発揮される時代かもしれません。
一個人発から家庭、地域、国、そして世界 つまり世界平和を祈ることができる。
祈る、念じること、それはエネルギーです。エネルギーとは波動、波動とは力。
その力をマイナスに働かせるか。プラスに働かせるか。その違い。―――自分次第です。

でもどうプラスに働かせていいかわかりません。
そこで、「なぜ日本に生まれたの?」「またなんでこの現代に?」ということを考えると、
日本の地をその発祥の源とするスピリチュアルといえば、神  < 神 を思う人>
大陸から伝わって日本の地に根付いたスピリチュアルといえば、仏教 < 仏教ベースに祈る人> 
お釈迦様のスピリチュアルバイブレーションを念じる人。
自分の周りの自然の声に神の声を聴く人。
大好きな絵画をみて、音楽を聴いてこころがやすらく人etc  人それぞれです。 
みんな一緒っていう祈り方はないです。その人その人の縁によって違います。
しかも、誰にでも必ず何らかの精神世界は芽生えます。
絵を鑑賞しながら、音楽を聴きながら、畑仕事からふと遠くの山を見ながら、帰宅してふっとコーヒーでも飲みながら
今日逢った募金活動の学生さんたち(彼らは遺児です)のことをふと慕ってみてください。
ご自分の周りの人のこと、今、病気で会社を休んでいる仲間のこと、落ち込んでた知人のこと、
郷里のおかあさんのこと、さっきニュースで見た事故の被害者・加害者のこと、先日起きた中国の地震の被災者のこと
日本の若者のこと、海外の貧困のこと、
一日のうちの数秒からでいいんです、何をしながらでもいいんですが、
ちょっと想いを向ける練習をしていきたいと考えています。

その精神世界のバイブレーションに、なるべく高いバイブレーションに自分の精神的な波動を合わせること。
それが祈りというものだと思います。


                                                               ちびちゃんtop






シルバーバーチの霊訓 ~向き合うこと~

自殺―
 果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、
つまり死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。
ところが、死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。
その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。
その状態から抜け出られないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
 しかし、私がいつも言っているように、いちばん大切なのは動機です。
何が動機で自殺したかということです。
ままならぬ事情から逃れるための自殺は、今述べたとおり、そう思惑どおりには行きません。
が一方、時たまあるケースとして、動機が利己主義ではなく利他主義に発している時、
つまり自分がいなくなることが人のためになるという考えに発している時は、たとえそれが思い過しであったとしても、
さきの臆病心から出た自殺とはまったく違ってきます。
 いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。
みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。
いったん書き記したものは二度と書き変えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。
自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。だからこそ私は、
あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。
いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。
魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。
責任を全うしよう
としたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。
背負い切れないほどの荷はけっして負わされません。なぜなら、
その荷はみずからの悪業がこしらえたものだからです。
けっして神が“この人間にはこれだけのものを負わせてやろう”と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。
 宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、
きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。
となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。
つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです。


質問
愛する伴侶を失って、失望のあまり自殺する人がいますが、許されることでしょうか?

シルバーバーチ
許されません。あくまでも摂理にのっとって生きなければいけません。摂理の働きは常に完璧なのです。
その摂理の背後では、すべてのものに内在し、すべてのものを通して働く大霊の愛と英知が働いているのです。
その摂理に干渉する権利は、だれにもありません。それを無視して自らの命を断てば、その代償を支払わねばなりません。
 リンゴを熟さないうちにもぎとれば、まずくて食べられません。霊が然るべき準備もなしに無理やり次の次元へ行くと、
その調整に長い長い時間をかけて代償を支払わねばなりません。
願いとは裏腹に、乱れた波動のために、愛する人との間にみぞをつくってしまい、かえって離ればなれになってしまいます。

質問
自殺はすべて許されないのでしょうか?

シルバーバーチ
一概にすべていけないとは言えません。その人がそれまで生きてきた人生、その間に発達させた資質、霊性の進化の程度、
そして何よりも大切なものとして、動機は何かによって、死後におかれる状態が違ってきます。
 キリスト教では自殺を一つのカテゴリーに入れて、すべて罪悪であると説いていますが、そういうものではありません。
もちろん基本的には、生命を自ら断つ権利はありませんが、そういう行為に至るには、それなりに考慮すべき要素、
情状酌量すべき事情があることは疑いの余地がありません。

 
地上生活を中断して魂にプラスになることは、何一つありません。が、だからといって、自殺した魂がすべて、
気の遠くなるほど長い間、暗黒界でもいちばん暗いところに押し込められるわけではありません。

質問
自殺が霊的進化の大きなつまずきであることは間違いないでしょう?

シルバーバーチ
もちろんです。何ごとにも例外はありますが、それはきわめて少数です。
ご承知のように、私は、何ごとにも動機が大きな比重を占めると申しあげています。が、魂の裁きは、行為そのものが受けます。
 あなたは、自分の人生の書を、自分の筆で書いているのです。書いたものは消せません。ごまかすことはできません
自分で自分を裁くのです。摂理は決まっており、改められることはありません。
ですから、私は「
自分の責任には、臆せず正面から立ち向かいなさい」と申しあげるのです。
いかなる窮地も、案じているほど暗いものではありません。

シルバーバーチとは→ http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/

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シルバーバーチはこの世にもあの世にも偶然というものは無いと言います。
そこには必ず結果に対して、過去にそれ相当の原因というものがあり、
その原因と結果の法則が休むことなく絶えず働いていると言います。
その原因と結果の法則(因果律)は絶対で、時と場所におかまいなく自動的、機械的に作動し、
どんな存在・宗教であろうともその法則をねじ曲げたり、干渉したり、無かったことにする事は出来ないと説いています
(善行も悪行も)。

またそれとは別に、この世に生まれるのは死後の霊界生活に備えるための霊性を磨くためであり、
その為の苦労・苦難は避けて通れず、自分の生まれる環境(時代・国・地域・性別・親・身体)も生まれる前に守護霊などと相談し、その霊の霊性の発達にとって最も良いと思われる環境に自ら納得して生まれて来ると言います。

霊界は大人の世界で、この世は霊界の幼稚園・保育所であり、利己主義から利他主義へと成長するための場です。
霊界での通貨は"困っている人の為に自分を役立てる"ことであり、この世を後にして残るのはそれだけです。



  目の前の日々のストレス、気に病んでいること、窮地にあること、それらは人の数だけ違います。
  その窮地が、実は自分のまいた種から生じたものであることに合点がいかず、
  つい周りの不安定要素や当事者である相手ばかりを責めたり、己の言動を妙に悔やんだり、
  目先のことにとらわれたり、焦ったりいらいらしたり
  そんなうちは、ますます心がしんどいままで、一向に晴れません。もうこのままどこまで落ちていくのか、底なし沼状態。

  ところが、何かのきっかけで目クラだった状態が一転して視界が開けます。

  シルバーバーチの霊訓はその目覚めの機会を与えてくれます。
  シルバーバーチは語りかけます
  「あなたは、自分の人生の書を、自分の筆で書いているのです。
  いったん書き記したものは二度と書き変えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。
  あくまで自分に忠実でありなさい。自分の責任には、臆せず正面から立ち向かいなさい。
  その気になれば必ず光が見えてきます

  あたかも神やほとけに見放されたかのような心境になったとき、
  自分の心さえも真理を求める勇気が失せて、無気力、刹那的、自虐的となり、
  世の中・宇宙から自分はのけ者にされている、捨てられたとまで考えてしまい、
  またそう考えてしまう自分は自己中心的な臆病者、と自己判断してまた落ち込んでしまう。
  占断などを行うと、これでもかというぐらいに最悪な結果が出る。
  ところが、シルバーバーチのメッセージによって、ひとたび魂が揺さぶられ、奥底からの気づきがあった時、

  
一転して状況は変わります。
  こういう場合、もう一度あらためて占断すると、まるで自分の今の状況を反映するかのような
  昨日からはずいぶん好転した結果になります。

  実に不思議です。人がどういう心境 魂の段階にあるかということが、人生軌道・・・運命にものすごい影響をする。
  いや運命そのものを作っていくことがわかります。
                                                               ちびちゃんtop






マザーテレサの言葉

「誰からも愛されず、必要とされないという心の痛み
 これこそ最もつらいこと、本当の飢えなのです」

「パンへの飢えがあるように 豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。
 誰からも愛されず必要とされない心の痛みです」

「問題は何をするかやその大きさではありません。その行動にどれだけ愛をこめるかです」

私たちが手にするマザーテレサに関する本は、生前のマザーが語った言葉をそのまま収録し、活字にしたものです。
つまり、マザーの生の声ばかりです。


この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。
だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。

すべての人は良心をもっていてみんなそれに従わなくてはならないのです。

あなたが謙虚であるなら何ごともあなたの心を汚さないでしょう もしあなたが聖人であるなら神に感謝しなさい
もしあなたが罪人であるなら そのままでいてはいけません 
経験がないならば、尋ねなさい 尋ねることは恥ずかしいことではありません 
けれど、知らないことを、知っているようなふりをするのはやめなさい 
 

考える時間を持ちなさい 祈る時間を持ちなさい 笑う時間を持ちなさい 
それは力の源 それは地球で最も偉大な力 それは魂の音楽 
遊ぶ時間を持ちなさい 愛氏、愛される時間を持ちなさい 与える時間を持ちなさい 

それは永遠につづく若さの秘密 それは神が与えてくれた特権 
自分勝手になるには、一日は短すぎる 

読書する時間を持ちなさい 親しくなるための時間を持ちなさい 働く時間を持ちなさい 
それは知識のわき出る泉 それは幸福へつづく道 それは成功の価値 
施しをする時間を持ちなさい それは天国へと導く鍵 

子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。
私たちは、祈ることで誘惑に打ち勝つ強さを得るでしょう。
なぜなら、少しでも神に近づいた人間は、まわりにいる人たちに楽しさと愛を広めるからです。

それはとてもシンプルなものなのです。
私たちすべてが必要としているのは、祈ること、そして、他の人をもっと愛し始めることなのです。
だれにでも、沈黙し、黙想する時間が必要です。私はいつも沈黙のなかで祈りをはじめます。

神は静寂の友です-私たちは神の声に耳をかたむける必要があります。
祈りは魂を満たしてくれます。そして、人間は、祈ることで神に近づくことができるのです。
祈ることで、あなたは清らかで純粋な心を与えられるのです。 

他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)
ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)
暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす
神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)
うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、
祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)
すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、
私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

すべての宗教は永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。

この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは死を恐れます。
もし死は神の家に帰ることだと正しく説明されれば、死を恐れることなどなくなるのです。

私の秘密をおしえましょうか。私は祈ります。キリストに祈るということは、キリストを愛することと同じなのです。

救われるためにどうしたらよいのでしょうと聞かれたら私の答えは「神様を愛すること。
そして、何よりもまず祈ること」

ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきましたが、キリスト信者たちに会ってがっかりしたそうです。キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります 言葉だけきれいなことを言って、実行していないことがあるからです。
人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。
信仰が深まれば、いかなる宗教、階層、肌の色、国籍、貧富の差も存在しないとわかります。

神様だけが、私たちの真の必要をご存知です。愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。

どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。
そして人の心に平和をもたらします。
何をするかが問題ではなく、どれほどの愛をそこへ注ぎ込むことができるかそれが重要なのです。


あなたはこの世にのぞまれて生まれてきた大切な人 
ごうまんで、ぶっきらぼうで利己的になるのは、いともたやすいことです。
でも私たちは、もっとすばらしいことのために、つくられているのです。

魂に恥じない行為をする それが喜びになります。

私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。
そしてベッドに寝かせてあげた時、彼女は私の手を取り、美しく微笑んだのです。
こんなに美しい笑顔を、私はそれまでに見たことがありませんでした。

「ありがとうございました」彼女はそう言って、静かに息を引き取ったのです。

そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。「私が彼女だったら、どうだろう?」
私は正直に答えを出してみました。
人の気をひこうとして、『痛い』とか『お腹が空いた』とか『死にそうだ』とか言ってしまうかもしれない」

彼女は私に愛をくれました。彼女は、私が彼女にしてあげた何倍ものものを、与えてくれたのです。
私たちのところにいるのは、こういう人々なのです。
この貧しくも美しい人々は、何も私の所にだけいるのではありません。誰の側にも必ずいるはずです。
孤独な人はどこにでもいます。あなたはそのことに気づいているでしょうか?

死は悲しい事ではありません
私たちが悲しむべき唯一のことは、自分が聖なる者になっていないという事実だけです。



アグネス・ゴンジャ・ボワジェ(後のマザー・テレサ)は、1910年8月26日、
旧ユーゴスラビアのスコピエに生まれました。18歳で自らの希望でロレット修道院に入りました。
後に彼女は、自ら望んだ事で希望をかなえ、喜びのうちに入ったのだけれど、
優しい家族との別れは悲しいものでもあったと言っています。
彼女は、インドの修道院で教師となり、校長もつとめました。
彼女は子供たちに教える仕事は楽しくて、好きな仕事であったと語っています。

彼女は、彼女の言う神の招きに従って、カルカッタにおいて、貧しい人々の中のいちばん貧しい人々のために
活動を始めることになりました(38歳)
その時、修道院の優しい仲間や子供たちと別れることは、家族との別れの時よりも悲しかったと語っています。
マザーは人(特に、貧しい人々)を真に愛することを、行動(生活)で実践しました。

その愛は彼女の信仰から生まれました。

マザーは、イエス・キリストの「この小さい者たちにしてくれたのは、私にしてくれたのである」
という言葉を大切にしていました。そして、飢えた人、病気の人、貧しい人の中につねにイエスを見ていたのです。

その仕事については、社会事業ではないと言っています。
マザーは社会事業(福祉)について、それはすばらしいことで、一つの目的(数の要請)のために必要なことです、と
言っています。
しかし、自分のしている事は信仰(真の愛)に基づいて、

今この時に、いちばん助ける必要のある一人一人を、助けている(愛している)のにすぎない、

この世の只中における観想修道者であるということを言っているのです。

マザーは政治的発言をすることには慎重でした。
しかし、自分が必要と認めたなら、相手がどのような政治家であっても、
その意見をはっきりと伝えました。
彼女は、自分は政治にはかかわりませんと言っていました。

自分の活動が政治的に利用される事を避けていました。それは、政治にかかわる事により、
世界のすべての人を愛する事が困難になるからとひとつの理由を述べています。

今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、
他には何もいらないのです。今、幸せであるようにつとめましょう。

他の人をあなたより貧しい人々も含めて愛しているのだということを、行動によって示すことで、
彼らを幸せにすることができるのです。たくさんのものが必要なわけではありません。

ただ、微笑みかけてあげるだけでいいのです。

だれもが微笑むようになれば、世界はもっと素晴らしい場所になるでしょう。
ですから、笑って、元気を出して、喜びなさい。神はあなたを愛しているのですから。

インドのカルカッタにおいて、マザーは、無一物の一人の人間としてその行動を起こしました。
彼女は、聖なる者として生きることに、その全生涯を捧げたのです。

神よ、今日は孤独の苦しみがどれだけひどかったことでしょう。
いつまで私の心が、この苦しみに耐え続けられるかわかりません。涙はとめどなく流れ落ちました。
すべての人が私の弱さを見るでしょう。神よ、今こそ自分と、そして誘惑者とたたかう勇気をお与えください。
私の自由な選択と確信によって行った犠牲から、私を退かせないでください。
あなたの愛のために、
私は「神の愛の宣教者」として生き、そして死にたいのです。

ここには、マザーが自身の強い決意のもと、困難な仕事を始めた頃の、
一人の生身の人間マザー・テレサとしての心情が、
鮮やかに表現されています。
きっと、数々のこのような困難な時を経てあのマザー・テレサの生涯があったのでしょう。

この言葉は、彼女の神への祈りとなっているのです。そして、彼女は、その祈りの通りの生涯を生き抜いたのです。

私の白いサリーは、貧しい人のなかで私も貧しい人の一人だというしるし、
私の身なりも生活も病に倒れた人や、骨ばかりの子供とひとつになるための糧。

そして、
不親切で冷淡でありながら奇跡をおこなうよりは、むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたい。

もし仮に孤児の家がなかったら、子供たちはみんな路上にほうっておかれるのです。
それをそのままにしておくか、それとも私にできることをするか、私にはどちらかを選ぶしかないし、
だから、私は自分にできるわずかなことを選んだだけなのです。

もし、貧しい人びとが飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、
あなたが、そして私が、その人たちにパンを、服を、そして愛を、思いやりをあたえなかったからなのです。

親切で慈しみ深くありなさい
あなたに会った人がだれでも前よりももっと気持ちよく明るくなって帰るようにしなさい
親切があなたの表情にまなざしに、ほほえみに温かく声をかける言葉にあらわれるように
子どもにも貧しい人にも 苦しんでいる孤独な人すべてにいつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい 

世話するだけでなくあなたの心をあたえなさい

死は自分の家に帰ることですが、人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。そこには良心の問題もあります。もっとよくやるべきだったのにと。

私たちは生きたように死ぬものです。

死とは人生の続きであり、また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。死なないのです。

日々の、その祈りがなければ、一日たりとも、いや一時間たりともこの献身の生活は続けられません。
祈ることを愛しなさい。日中たびたび祈りの必要を感じるようにしなさい。
祈りは心を広くして、神ご自身という贈り物を受け入れることができるようにします。
神は静けさの友である。生きて、愛する神である。

宣教者の言葉は、内面からわくのでなければ役にたたず キリストの光を与えないような言葉は、闇を増すばかりである。

喜びは祈りー喜びは力ー喜びは愛ー喜びは人の心を受けとめる愛の網。

神は喜んで与える人を愛される。喜びを持って与える人は、だれよりも多く与える。
神にも人々にも、感謝を表すいちばんいい仕方は、すべてを喜びをもって受け取ること。
喜びの心は、愛に燃える心の当然の実りである。

キリスト復活の喜びを忘れてしまうほどに、なにかの悲しみで心を満たされてしまわないようにしなさい。
マザーは彼女と共に働くシスターの一人が人々の悲惨な状況のために、悲しい顔をしてうつむいて歩いているのを見て、
あなたの愛を喜びの心をもって与えるように諭したと言っています。
彼女は真の愛のあるところには喜びの心があると言っています。
ほほ笑みを忘れ、悲しそうなのは、彼女たちの使命にとっては最大のマイナスになります。

 

マザーは、今すぐにしあわせでいることが出来る、それには今、神といっしょにいること、と言っています。

神と今すぐいっしょに天国にいることができます。今神といっしょにしあわせでいること、神が愛したように愛し、
神が手助けなさるように手助けし、神が与えるように与え、神が仕えるように仕え、神が救うように救い、

四六時中いっしょにいて、苦しむ人の姿をとっておられる神に手を触れることです。

喜びを持つということは、性格などの簡単な問題ではありません。喜びを保つことは、いつも難しいものです。
だからこそ喜びは、私たちが身につくように努めて、心の中ではぐくんでいかなければならないものなのです。

もし、あなたが困難な仕事をかかえたときに、喜びや大きなほほえみでそれを受けたなら、
多くのほかの事柄と同じようによい実りをもたらすでしょう。

私は、自分が神の手のなかにある鉛筆のように感じます。主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください

キリスト者としてのマザーの愛した祈り(アッシジの聖フランシスコの祈り)

主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いください。
憎しみのあるところには、愛を 不当な扱いのあるところには、一致を 
疑惑のあるところには、信仰を 誤っているところには、真理を 
絶望のあるところには、希望を 暗闇には、光を 悲しみのあるところには、喜びをもっていくことができますように

慰められることを求めるよりは、慰めることを 理解されることよりは、理解することを 
愛されるよりは、愛することを 求める心をお与えください 

私たちは自分を忘れ去ることによって、自分を見いだし 許すことによって、許され 
死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから

 

マザーは、ウィトとユーモアに富んだ明るい人でした。
そして、彼女とともに働くシスターたちに、常に微笑みを忘れないように、と話しました。
笑うことなど出来ないような、悲惨な状況であればあるほど、微笑みが必要であると言いました。

それが実践出来ているのは、彼女たちに信仰による喜びの心と真の愛が、常にともなっているからなのです。

マザー自身でさえも、仲間のシスターに対して微笑みを向けることが難しいときがあることを、認めています。
マザーも人間としてさまざまな感情があっても、何の不思議もありません。
そんなときには、マザーは「わたしは祈ります」と言っています。

介護を受ける重病の人や、看取られる死に逝く人々は、明るさと楽しさと喜びの心をもった真の愛
(あなたを必要とし、あなたの平安を、心から願っていますという強い思い)を捧げられることにより、
その魂の真の安らぎを得るのでしょう。

神の愛の宣教者会の精神は、
完全に神にしたがうこと、他人を信じ愛すること、そして、だれに対しても陽気でいることです。

喜びとともに苦難をも受け止めなければなりません。貧しい人生を明るく信じて生きなければなりません。
そして、もっとも貧しい人のなかにいるイエスの世話を陽気にしなければなりません。
神は陽気に与える者を愛するのです。微笑みながら与えられたものこそ最高の贈り物なのです。

もし、あなたが神に対してつねに「はい」と答える心づもりがあるなら、
どんなことがあっても微笑んでいるようにしなさい。
そうすれば神の恵みが受けられ、傷つくまで与えつづけることができるでしょう。

マザーとシスターについてどのレポートも常にとても明るく喜びに満ちた人々であると表現しています。
だからこそ、悲惨な状態にあって、苦しむ人々を、真に励まし続け、助け続けることができ、
また安らぎのうちに見取ることも出来るのでしょう。

私は道具にすぎません。神のてのひらのなかにある小さな鉛筆のようなものです 
私たちのような弱くて不完全な道具を使うことで、神はいまでも謙遜を示しておいでです。

マザーは、自分の人生について、次のような言葉を残しているのです。

貧しい人のなかのいちばん貧しい人々、人から敬遠されるような病の人々、
人から見放されていると感じるような立場に置かれた弱い人々と共にいて、
その苦しみや痛みを共に受けていた彼女が、
苦しみや悲しみがどれほどあろうと、一度も後悔したり不幸だと思ったことはない、わたしは幸福である

誰もわたしから幸福を奪う事はできません。後悔したり不幸だと思ったりしたことはこれまで一度もありません。
私たちは栄光やお金のために仕事をしているのではありません。シスターは貧しい人々に一生を捧げています。

神聖な愛です。私たちは、神のために働いています。自分を神に捧げるときそこには愛が存在します。
彼女たちは持っているものをすべて差し出し自分にできる最大の犠牲を捧げます。
社会的な地位も、家も両親も、将来もすべて もっとも貧しい人々をとおして神に捧げます。

親愛なる主よ、私がどこに行こうと、あなたの香気を放つことができますように、お助けください。
私の魂を、あなたの霊といのちであふれさせてください。
私の人生のすべてが、ただあなたの光の輝きだけとなりますように 
私の全存在に染み込み、捕らえ尽くしてください。私を通して輝き、また、私の中においでください。

私の出会うすべての魂が、私の魂においてあなたのみ姿を感じられますように。

主よ、人々に目を向けさせ、もはや私ではなく、あなただけを見させますように。
説教せずにあなたを宣教させてください。
言葉ではなく、私の生き方によって、私の行いが、人々に共感をもたらすことによって、

私の心があなたに抱いている愛の明らかな充満によって、あなたを説くことができますように

《それでも》
人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。それでも彼らを愛しなさい。
もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか、何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
それでもいい行いをしなさい。

もしあなたが成功すれば、不実な友と、ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。
あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。それでもいい行いをしなさい。
誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。それでも誠実で親しみやすくありなさい。
あなたが歳月を費やして建てた(完成した)物が、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも建て(完成し)なさい。
ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら、彼らに襲われてしまうかもしれません。
それでも彼らを助けなさい。
持っている一番いいものを分け与えると、ひどい目にあうかもしれません。それでも一番いいものを分け与えなさい。

清貧の精神を保持することは、きわめて重要です。
人がその一生を捧げるということは、その真の命そのもの()を捧げることを意味します。
マザーがその死の瞬間まで続けたという事実が、その信仰の真実を物語っています。

己を自覚すれば 人は謙虚になります。神の言葉を、そのとおりに受け取り、なによりも天国を求めること。
この世での私たちの損失は、天国での獲得になるのです。

たち全員を進ませているのは、与えること、つまり人々の生活に愛をもたらすことから得られる喜びなのです。

最も美しいものとは、一体どこにあるのでしょうか。それは、一人一人の人間の中にあるのです。

世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。愛と共感を用いさせて下さい。
平和は微笑みから始まります。あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。
神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。
マザーの言葉に、貧しい人々はすばらしい(美しい)、という表現があります。
彼女は、富める人々には無いもの(真の自由と幸福)を貧しくも精いっぱい生きる人々の中に見ていたのです。

貧しい人の中で最も貧しい者は自由で幸福です。
この人々にとって多くのことを常に欲し望む人々のことは何でもありません
第三世界の貧しい人は、私たちに、満ち足りるということが、どういうことかを教えてくれます。

これは西欧の人々が忘れているものです。
今のような、開発の時代に人は皆急いでいて、何かを追いかけているみたいで、
端には競争に耐えられなかった人たちが倒れていくのです。
こういう人たちを私は大切にし、こういう人たちに仕え、世話したいと思っているのです。
驚くべきことは、神様がご自分の仕事のために、こんなに不完全な私たちを用い、
会を通して途方もない量の善をつくり出されていることです。

小さなことにいつでも誠実であるように努めなさい。大きなことをできる人たちはたくさんいます。
でも、小さなことを大切にしようとする人は、ほんの一握りしかいないのです。
わたしたちはよく小さなことをおろそかにしてしまうのです。小さなことに誠実になりなさい。
その中にこそ、わたしたちの力はあるのですから。
慈悲深い神にとって、小さなものは何もありません。なぜなら、神はとても大きいからです。
そして、人間はとても小さいのです。だからこそ、神へのわたしたちの愛を証明する機会を与えてくださるために、
あえて神は身をかがめられて、わたしたちにとっての小さなことをわざわざ引き起こして下さるわけなのです。
小さなことを引き起こすのは神なのですから、小さなものは本来とても大きいのです。
神は小さなことは何も行うことはできません。神のなさることは、すべてが無限なのです。

イエスはあなたの近くに、あなたとともにいます。
ランプに火をともしていれば、いつでもイエスを見ることができます 
愛の小さなしずくのすべてでランプを満たしていれば、あなたが愛する主がどんなに甘美かわかります。
満ち足りた心は、私たちのまなざし、ふれ方、書くものの中、話す内容、歩き方、受けとり方、
奉仕の仕方などにあらわれます。
心の充満は、このように様々な方法で表現されます 
私は、この世に生きたいと願います。神から遠く離れ、イエスの光からすっかり目をそむけたこの世に生きて、
貧しい人々を助け、彼らの苦しみのいくぶんかを背負おうと思います。
ただ貧しい人々と一体になることでしか、彼らを救うことはできないのです。
つまり、神を彼らの生活の中にもたらし、また、彼らを神の御前に連れていくことによって。


神でさえも、神を求めない者には、ご自身を押しつけることはできません。
信仰は恵みなのです。大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。

人を責めるのは簡単にできます。人を恨むことも、憎むことも簡単にできます。
そして、怒ることも、許さないことも、感情的に人を裁くことも簡単にできます。
しかし、人を許すことは簡単にはできません。
特に自分に対して、また自分の仲間(家族、友人、仲間)に対して罪()をなす人を許すことはとても困難です。

一面においては、人は、気づいているか気づいていないかに関わらず、
何らかの罪()を犯さずに生き続けることはできません。
自分が当然の事として行っていることが、人を傷つけているかもしれません。
時には良かれと思うことさえも、人を傷つけているかもしれないのです。
人には、自分が許されなければならない事もあるのです。
困難ではあっても、お互いに許しあわなければ、平和に暮らす事はできません


マザーは、真に人を愛するためには、人を許すことが必要であると語りました。
人を許すことは、非常に困難で簡単には出来ないことです。
彼女は、真に人を愛するためには、許すことを知らなければならないと言っています。
もしほんとうに愛したいと願うなら、許すことをしらなければなりません。
ほんとうの意味で愛するということは、傷つくいうことなのです。
真に愛するということは、自分が傷つくことをいとわない。マザーは自分が傷ついたとは決して言っていません。
しかし、傷つくほどに与えるのでなくては、マザーの言う本当の意味で愛する事にはならないのでしょう。
マザーは人に愛を与えるなら、自分が痛みを感じるほどに与えなくてはならないとも言っているのです。

思いやりのある行為への最も確かな近道は言葉を使うことです。ただ他人への良いことのために使いましょう。
もしあなたが、人のことを良く考えるならば、人についても良く話すようになるでしょう。
言葉の暴力はとても恐ろしいものです。どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます。
言葉によって傷つき生まれた悲痛な苦しみは、神の恵み以外には、いやすことができません。

マザーは言葉について、その働きを、思いやり(愛、善意)のある行為の、一つの道(方法、手段)として見ています。
同時にその言葉を軽率に用いたり悪意の力として用いたりすると、人を傷つける恐ろしい暴力になると言っています。ここには、言葉が、人間にとっていか
に大切なものであるかが、表現されています。
さらには、マザーの体験をとおして、神の恵みが人間に与えてくれる、すばらしい癒しが示されています。

仕事の最中でも、祈ることはできます。仕事は祈りを妨げないし 祈りもまた仕事を妨げることはないのです。
ただほんの少しだけ心を神に向けるだけで良いのです。

愛しています、お任せしています、信じています、神よ、私は今あなたが必要です。

こんな感じでいいのです。これはすばらしい祈りです。

 

マザーは1997年9月5日病(心臓発作)のため、神の愛の宣教者会にて死去、神のもとに旅立ちました(87歳)。マザーなきあとも後継者たちは世界百カ国以上で活動し、その真の愛(信仰)を実践しているのです。
あなたが信仰しているものに対して、ゆるぎない信念これこそが魂の救済にいたる道なのだ、
これが真理に向かう道なのだという信念をもってやっているのなら、それがその人にとっての信仰のあり方、
真理に至る道なのです。
ところがひとたび魂・神の恩寵を受けると、そこで求めないならば道に迷ってしまいます。
その人が神を受け入れるかあるいは拒絶するか、神様はその機会をお与えになるのです。

「もしも私たちが謙虚ならば、ほめられようと、けなされようと、私たちは気にしません。」
「持ち物が少なければ少ないほど、多く与えることができます。」
「絶望のあるところには希望を、くらやみには光りを、悲しみのあるところには喜びを。」
「愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。」

「この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、だれからも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。」
「貧しい人々の中で最も貧しい人々は、人間の苦しみを負ったキリストにほかなりません

貧しい人々や苦しむ人々のためにその全生涯を捧げ、87歳で逝ったマザー・テレサ―彼女のたどった道のりは 
キリストのそれと同じように 苦難と苦渋、そして愛に満ちていた。
彼女によって 救済された人々の間には、喜びと希望が満ち溢れ、やがて世界中に広がっていきました。

彼女の地道な活動の成果を、人は「奇跡」と呼ぶ

87年の生涯を、貧しさと飢えと病に苦しむ人々に捧げたマザー・テレサは、'97年9月、
心臓発作のために、この世を去った。奇しくも仲がよかったと伝えられるダイアナ元皇太子妃の葬儀前日のことで
彼女の死は、全世界に悲しみをもたらした。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、

「マザー・テレサは、打ちひしがれたすべての人々に神の慈しみを感じさせた類いまれな人物として、
20世紀歴史に刻まれる」と語った。だが、その名が歴史に刻まれるのは、彼女の本意ではないだろう。

質素なサリー、素足にサンダル、手作りの布袋──彼女は世界中どこへ行くときも、このスタイルだった。
私物はいっさい持たず、名声も望まなかった。
マザー・テレサが望んでいたのはただひとつ、貧しい人、病む人、苦しむ人のために働くことだった。

なぜなら彼らの内に、キリストを見たからである──

「持ち物が少なければ少ないほど、多く与えることができます。」

神の声を聞いた彼女は、修道会を離れ、修道服を脱ぎ、質素なサリーを身にまとい、
粗末なサンダルをはいて
雑踏に立った。
彼女はたったひとり。修道女になって20年の歳月が流れ、このとき、ポケットにはわずか
5ルピー、
今の価値にしてたった20円ほどのお金しか持っていなかったという。

「道ばたで男性を助けました。体中ウジだらけで、だれひとり助けようとしませんでした。
体を洗ってあげると、彼はいいました。

『なぜこんなことを?』私は答えました。あなたを愛しているからです──と」

毎晩、彼女は疲れ果てて戻ってくる。
質素なサリーにサンダルという格好だったために、頭のおかしいシスター
だと思われて、
相手にされないこともあった。ときには石を投げつけられたりもしたという。

「(私のもとへ来た)シスターたちの仕事は、人の理解を超えています。
その仕事ができるのは、
手を触れる相手が、神の子だからです。
つまり、貧しさにあえぐ人は、姿を変えたイエスなのです。

「この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、だれからも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。」

与えてください。あなたの心が痛むほどに。

何でもないほほえみが及ぼす効果には,計り知れないものがあります

 

主よ、私は思いこんでいました。私の心が愛に漲っていると。
でも心に手を当ててみて、本音に気づかされました。
私が愛していたのは、他人ではなく、他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は思いこんでいました。私は与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は信じ切っていました。自分が貧しい者であることを。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。
実は思い上がりと妬みとの心に、私がふくれあがっていたことを。主よ、私が自分自身から解放されますように。



 

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うつ病
神経内科クリニックの先生にお話を聞きました
ここ数年の間、うつ病と診断される層として、大手企業の中間管理職が目立っているそうです。

中間管理職は、職場のチーム向上、職場の雰囲気や部下のやる気アップのためのリーダーシップ という重要な役割負っています。
中間管理職の心が折れてしまうことで、企業が経営上大きなダメージを受けているそうです。
部下と上司の役割を完璧に演じつつ、自分の資質配分も気にする必要がありとても難しい職種です。
関与する上下の人間が多いだけに、日頃から受けるストレスも大きいのでしょうか。

「自分はもしかしてうつ病かな?」と思っても、
「周りはもっと頑張ってる」、とか、「自分は甘えようとしてるんじゃないか」とか、
「とりあえず今度のイベントまで乗り切ろう」、などど言ってるだけでなかなか受診に至りません。
そのうち、うつ病の症状、無気力が出て、自分で病院に行こうとする気力すら出てこなくなります。

また受診するにも、どの病院にするか。。。。で困ります。
病院は、人からのアドバイス、紹介なども参考になりますが、
やはり、本人に合った先生がいいので、
必ずしも名医とか、紹介などにはこだわらなくて、別にかかりつけでなくても、飛び込み受診でもいいと思います。
また、アルツハイマーや認知症の検査も希望なら、CT検査のできる病院をお勧めします。

問診で、先生にしっかり話して、共感してもらい、その後、採血→そしてうつ病診断テスト、という流れです。
治療の一例として、セロトニンを増やすための薬物が使われますが、

②薬物


あくまでも薬は①ではありません。
①番に来るものは、その人のうつ病の一番原因となっているものに対する一番最良の方法です。
たとえば、オーバーワークが原因であれば、①にくるのは休養でしょう。
③④も①につづく大切な方法(例:環境を変えること、適度な運動など)です。

今は忙しくて、受診どころじゃない場合、
とりあえず、だれかに話を聞いてもらうこと(ここで周りはあれこれアドバイスはしないこと)だけでもかなり軽くなります。
とりとめもなくしゃべるだけでいいんです。
聞いてもらう人がいなければ、ネットなどで うつ病テストを試しにやってみることでも、自分の今おかれた状態が分かってきて
それでかなり癒される、軽くなります。
うつ病の場合は、診断テストで選択肢を選ぶのに迷わず、すっすっとできるそうです。


うつ病とは:
「うつ病」はうつ状態が症状の中心になっている場合に使われる言葉です。
興味や意欲の喪失を生じたり、抑うつ気分により非常に苦しい思いをするなど、生活に支障が生じ、
治療の対象となった場合「うつ病」という表現が使われます。

うつ病患者では脳内の神経伝達物質であるセロトニンやノルアドレナリンの量が減少し、
情報伝達がスムーズに行われていないことがわかっています。

つまり、うつ病は脳内の神経伝達物質の働きが悪くなっていることから起こる疾患で、
決して気持ちの持ち方や精神論で解決できるものではありません。
血圧と同じように症状によってはきちんとした服薬などが必要なのです。



うつ病 <図解>
  
        
    


壺にはセロトニンがたっぷり(左壺)→正常です
ところが                                                   
セロトニンが底をつくと(右壺)、底面にある、ギザギザ部分・・・社会、家庭、個人の尖ったしんどい部分が
症状として表出されるようになります。
                                                





          正常       セロトニン      うつ病   


うつ病の特徴的な症状:9つ

1)抑うつ気分


うつ病の人は「憂うつだ」「悲しい」「何の希望もない」「落ち込んでいる」と悩むことがよくあります。
また、こうした症状は午前中にひどく、午後から夕方にかけて改善してくることが少なくありません。


2)興味や喜びの喪失

うつ病の患者さんは、程度の差はあるものの、これまで楽しんできた趣味や活動にあまり興味を持てなくなります。
何をやってもおもしろくなく、自分の世界に閉じこもるようになります。
無気力のゆえに、人と同調したり、人に共感したりすることが難しくなり、そのことで自分を責めてしまいます。
また、性的な関心や欲求も著しく低下してきます。


3)食欲の減退または増加

うつ病では一般に食欲が低下してきます。そのため体重が減少することが多くあります。
食欲がなくなった患者さんは「食べなくてはいけないと思うから、無理に押し込んでいる」と訴えることがよくあります。


4)睡眠障害

うつ病では不眠がよく現われます。寝つきが悪くなるだけでなく、夜中に目が覚めて寝付けなくなるなどの症状を訴えます。
特に朝早く目が覚める「早朝覚醒」はうつ病に特徴的な症状です。


5)精神運動の障害

うつ病だと、他の人から見てすぐわかるほど身体の動きが遅くなったり、口数が少なくなったり、声が小さくなったりします。
それが極端になるとほとんど寝たきりのような状態になります。
また逆に、じっと座っていられないほど焦燥感が強くなったり、イライラして落ちつきなく身体を動かすこともあります。


6)疲れやすさ・気力の減退

ほとんど身体をうごかしていないのに、ひどく疲れたり、身体が重く感じられるのもうつ病の症状の一つです。
本人は一生懸命やっているのに、着替えなどの日常的なことにさえ、非常に時間がかかる場合もあります。

7)強い罪悪感

ほとんど根拠がないのに自分を責めたり、過去の些細な出来事を思い出して悩むのもうつ病の特徴的な症状で、
1つのことをくよくよ考え込んだりするようになります。

8)思考力や集中力の低下

注意が散漫になって、集中力が低下します。
決断力も低下して、たいしたことでもないのに、あれこれ悩んで何も決められない場合もあります。

9)死への思い

うつ病が重くなると、気持ちが沈んで辛くてたまらなくなり、死んだほうがましだと考えるようになります。
死への思いが頭から離れず、実際に自殺を試みることもあります。
うつ病の人に対して、「ああしろ、こうしろ」の指図は厳禁ですが、
自殺の兆候が見られた時だけは、はっきりと制するべきです。
「愛しています。だから死なないでほしい。生きてほしい。」と。

こうした9つの症状以外にも、頭痛や腰痛、肩こり、胃の痛みなど、さまざまな身体の症状を訴えることがあります。
こうした身体症状が存在するとうつ病が目立たなくなり、つい精神的な面を見逃してしまいがちになります。
このように身体症状のために抑うつ症状が隠れている状態を「仮面うつ病」と呼ぶことがあります。

                                                                    ちびちゃんtop







3月10日は東京大空襲の日
一夜にして10万人の命が奪われた日です。










この写真を見てください。
お母さんでしょうか。
足元には先ほどまでおぶっていたと思われる赤ちゃん。
お母さんの背中の、赤ちゃんのおぶっていた跡が白くなっています











3月9日から10日に変わった0時から数分過ぎた時、米軍の空襲が開始されました。
低空で飛行するB29から雨あられのように焼夷弾が投下されました。
木造の住宅に空から石油をまかれ火をつけられたようなものです。
おりからの強風に煽られ、30分も経たない内に下町中が火の海になりました。

人々は逃げ場を失い多くの人が犠牲になりました。

昭和19年7月。米軍はサイパンを奪還しグアム島に長距離爆撃機B29の基地を完成させました。
この時から日本全土への空爆が可能になりました。
 
そして11月24日から東京への空襲が開始されました。当初標的とされたのは軍需施設のみでしたが、効果が薄く
米軍は次のような計画をたて無差別虐殺を実行しました。↓

①ドイツの空爆で実績を上げたカーチス・ルメイ少将を東京空襲の責任者に任命。
(よほどカーチス・ルメイ少将の写真を載せようと思いましたが、あまりに恐ろしくできませんでした。見たい方は検索下さい)

②カーチス・ルメイ少将は、家屋が木と紙でできていることに注目して、日本専用の焼夷弾を開発。
そして砂漠に日本式の家屋を建て焼夷弾の効果を実験する。

③過去の大火が春先の強風が吹く時期に集中しているというデータに注目し、大空襲の決行日を陸軍記念日の3月10日にした。

④300機以上のB29で地上を嘗め尽くすように焼夷弾を落とす。(1平方メートルあたり3発、総重量2000トン)

⑤最初に空爆目標地の外周、隅田川や荒川の堤防沿いに焼夷弾を落として炎の壁を作り人々の退路を絶つ。

集束焼夷弾E46
木造の日本家屋を効率よく焼き払う為、第二次大戦時に米軍が開発した焼夷弾。
一焼夷弾の中に、子弾として38発の焼夷弾を内蔵するクラスター構造を取っており、
投下後上空700mで分離し、一斉に地上へ降り注ぐ仕組みになっている。


米軍が着目したその威力のポイントは、爆撃ではなくて

「焼き尽くす」  ことでした。

家の建ち並ぶエリアで1か所火災が発生すると、エリア一帯はたちまち巨大な火災の倉庫となり、
空中の温度は 瓦、硬化を溶かすほど―1000度に達したそうです。
(東京大空襲・戦災資料センター資料より http://www.tokyo-sensai.net/index.html  東京都江東区 TEL 03-5857-5631

いったいそんな中におかれたら人はどうなるか?
火の粉がつかなくても、自然発火したそうです。   何が?  人が  です。


縁者が引き取った遺体  約20,000人
無縁仏・行方不明者   
約88,000人
罹災者           1,008,005人
東京の空襲回数          100回以上

カーチス・ルメイ少将の「戦後の回想録」より:
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。
日本の都市の民
家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。
木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたの
だ。これをやっつけて何が悪いのか…。」

カーチス・E・ルメイ将軍は、グアム島在米爆撃隊司令として、広島・長崎に投下された原子爆弾にも深く係っていました。 

昭和39年、日本政府は「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との理由から、
カーチス・E・ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っています。
贈ったのは、時の総理大臣で、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作でした。


火災による竜巻によって空に舞い上がる人。
酸素が欠乏し窒息死する人。
近くの川に飛び込み凍死した人。(大空襲を受けた日は、前日に雪が降るほど寒い日で、川の水温は0度に近かったからです)
一夜にして10万人もの命が奪われました。

これが虐殺でなければ一体何なのでしょうか。それとも、カーチス・ルメイ少将の「戦後の回想録」のとおりでしょうか。
「生きたまま焼かれ、」というと、アウシュヴィッツにおけるナチス・ドイツのホロコーストを多くの方が思い描くと思います。


逃げまどう人の塊で、橋は火炎地獄。
頭のすぐ上を火炎放射器のような炎がゴーっと走っていたそうです。

←軍用火炎放射器(B29焼夷弾実験中の米軍)

両親、兄弟姉妹を亡くし、戦争孤児となった人たちは、どんな人生を歩まれたでしょうか。
高度経済成長というスマートな言葉で飾られて、中身は「物 物欲 物」 追及の戦後社会。

ある戦争孤児の女性(88歳)の方が、昨日、ニュースに出ておっしゃっていました。
両親・姉妹と死に別れた橋を渡るとき、「今も目を開けては渡れません」。
 

無縁仏・行方不明者    約88,000人
戦後、しばらくの間は、東京大空襲の惨劇を黙殺するために、米進駐軍が犠牲者の遺骨を掘り起こすことを禁じていましたが、
サンフランシスコ条約が結ばれた昭和26年ごろから遺骨を掘り起こす作業が進められました。
でも約88,000人の遺骨が収集されるわけありません。
当時 下町の川は死体であふれ、隅田川河口の「お台場」には数多くの死体が漂着しました。

地中には、今なお犠牲となった方々の遺骨があります。その遺骨は決して眠ってはいないと思います。
今なお、生身を焼かれている断末魔の苦しみのままでいるかもしれません。


長い間、口を閉ざされていた人たち、齢80歳 90歳の方々が、重い口を開き、
若い世代に戦争の体験を話している、というニュースをよく見ます。何のために?
いわずもがな
                                                                     ちびちゃん
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生きているといろいろしんどいこと多いです
先日、このようなお話をうかがうことができました。

世の中というものは自分につらく当たるのが当たり前です。それに負けていたら人生には勝てません。
自分のベストを尽くし、自身の信じるものを念じることで立ち直ることができます。

この地球に生まれるということは、つらい経験を伴います。
つらい経験というのは進化を表します。進化するということ。
だから地球に生まれるというのは、進化を意味します。
自分のことをあまり、責めないで、苦しみつらい経験、すべて学ぶ、学習するということです。






マザーテレサ映画祭


名古屋ではアンコール上映が4月17日(土)~4月23日(金)でした
名古屋シネマテーク
(千種区今池1-6-13今池スタービル2F(052-733-3959) 

   

他、各地の今後の上映については http://www.motherteresa.co.jp  をご覧ください
ドキュメンタリー7本 1本視聴につき、当日1200円 前売900円

今年2010年は、マザーテレサがご生誕なさって100年目にあたります。(1910年8月26日ご生誕)
それを記念して、『マザーテレサ映画祭』が行われます。
この記念すべき年に行われる「生誕100年記念 マザー・テレサ映画祭」では、
その奇跡ともいえる活動の数々を記録した、現存する国内外のドキュメンタリー7本を一挙上映いたします
これだけの作品を一堂に集めるのは “世界初”の試みとなります。
宗教や人種をこえて、世界中の貧しい人々のために生きたマザー・テレサ。
1979年にはノーベル平和賞を受賞。
1997年に惜しまれながら亡くなるまで、彼女はその行いによって「愛」とは何かを世界中に示し続けました。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」「わたしたちは大きなことはできません。ただ、小さなことを大きな愛でするだけです」――。
彼女が残した数々の言葉は強く、優しさに満ちています。

英国BBC放送がマザー・テレサの活動に密着し、全世界にその全貌を初めて知らしめた記念碑的作品
『すばらしいことを神さまのために~Something Beautiful For God~』(69年)、
日本人として初めて彼女の撮影を許された千葉茂樹監督による生誕100年特別記念作品
『マザー・テレサと生きる』(09年)など、名作・新作を交えた珠玉のドキュメンタリーが映し出すのは、
いまなお確実に生き続けているマザー・テレサの精神です。

千葉茂樹監督:映画監督 
映像制作を通じて、世界の貧しい人々や弱い立場にある人々の支援を呼びかける映像を作り続ける映画監督。
マザー・テレサとの出会で、人生を大きく転換。
現在、市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校副校長等を務める


マザーテレサの言葉の中で大好きなことばです↓


○魂に恥じない行いをする、それが喜びとなります。

○不親切で冷淡でありながら奇跡をおこなうよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに間違う方を私は選びたいと思います

○この世の最大の不幸は貧しさや病ではありません。
だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。

○持ち物は少ないほど多くを与えることができます。

○なんでもない笑顔にははかりしれない効果があります。


マザーテレサが帰天されて 13周年   
1997年9月5日(日本時間9月6日の午後6時)に
マザー・テレサは、87才の生涯を閉じました。

~マザー・テレサのことば~

 愛の反対は憎しみではなく無関心です
     
 家庭に愛があれば 穏やかさが生まれます  
 愛の働きはすべて 平和の働きです
    
 ほほえみや人とのふれあいを忘れた人がいます  
 これはとても大きな 貧しさです
   

 たいせつなことはどれだけたくさんのことや 偉大なことをしたかではなく
 どれだけ心をこめてしたかです
 So it is not how mach we are doing,but how much love we put in the doing that fulfills the aim.

 働きながらでも 祈ることはできます 神にちょっと心を向けるだけでよいのです
 You can pray while you work. It requires only that small raising of the mind of God.


















仏教からくることばに「布施」というのがあります。


1.財施(形あるものを施す)
2.法施(仏の心理を説き、喜びを施す)
3.無畏施(心の安らぎを施す)
4.無財の七施

この4つめの『無財の七施』というのは、
お金をかけずにお金がなくても徳を積むことができるお布施です。
これなら、誰でも、いつでもできる。むしろ、お金を出すことよりも、素晴らしいことなのです。

では『無財の七施』とはなんでしょうか

(1)眼施(がんせ・げんせ)  やさしい眼差し
(2)和顔施(わがんせ・わげんせ)  笑顔
(3)言施(げんせ)  やさしい言葉
(4)身施(しんせ)  からだを使う奉仕 礼儀正しい行動
(5)心施(しんせ)  温かい心 やさしい思いやり
(6)床座施(しょうざせ)  席を譲る
(7)房舎施(ぼうしゃせ)  気持のよい待遇

布施というのは、純粋な喜びと感謝の心でさせて頂くものであり、
他人から強制されるものでも、義務でするものでもありません。

マザーテレサの言葉・行いは布施に相通じる、重なる感じがいたします。

                                                                    ちびちゃんtop

      




ブータンという国

一歩外に出るといろんな人に出会います。たとえば満員の電車の中で平気で携帯を開き、
けだるそうに画面を眺めるあの姿。みっともないですね。そんな光景にいちいちムカムカし、いらっとし、とにかく独りよがりのなさけない自分を日々感じております。

先日、ブータンという国で修業に励まれたお坊様のお話を伺いました。

「私はブータンで修業しましたが、ブータンではもう日常のくらしがそのまま体現されてます。蚊が止まったらふーっと息で飛ばす。道端に虫がいたらだれかに踏まれてしまうからわざわざつまんで安全なところに置いてやる。ほんとにそうなんですよ。
このような生活をしていたら戦争なんておこりっこないですよね。
人に親切にする そうしていくと、自分の周りの人たちはみな親切な人ばかりになります。
ではその反対を考えてみますと・・・・云々・・・。

ブータンは幸福指数世界一なのだそうです。
先進国と比較してみると、物質的には決して恵まれていない国であるにもかかわらず、です。
なぜかと言えば、王様が物質追及に走らなかったからだそうです。
中国やインドなどの急速な近代化(欧米化)のなかで、ブータンは近代化の速度をコントロールしつつ、
独自の立場や伝統を守ろうとしています。それに対して世界的な注目が集まっています。

国民総生産(GNP)に代えて国民総幸福量(GNH)という概念を国王が提唱しました。

私は日本で暮らしています。
日本のくらしの中で、幸せを物質やステータス思考に依存しない生き方、そういう価値観をはぐくんでいきたいです。







リウマチ感謝

難病で完治が難しいとされる「関節リウマチ」を、独自での自然療法で6か月で完治され、
その後 治療家として活躍中されている
渡邊千春さんの新刊書籍が発売になりました。
著書名がすごいです!

「リウマチ感謝!」

私の今まで出会った方々の中で、リウマチにずっと苦しんでらした方
今 膠原病やヘルニアで悩み苦しんで、仕事に来れたり来れなかったりで、結局 仕事を辞めざるをえなかった仲間、
身近にいます。
何とか連絡とれたら、ぜひこの著書を勧めたいです。私は予約してもうじき届きます^^。
全国のリウマチで悩んでいる人たちにとってまさに光になる道しるべかもしれません。
渡邊千春さんが、1人でも多くのリウマチや膠原病で困っている方にこの本を読んでもらい、少しでも元気をだしてほしい!
と心を込めて書かれた本です。
病気の方だけではなくて、医療に携わるかたがたやセラピストのかたがた、
あるいはその方面に興味のあるかたがたもぜひ読んでいただきたいと思います。


渡邊千春さんの「リウマチ感謝!公式HP」
 http://ryumachikansya.com

これからもますます 世のため人のために活躍してもらいたいですね。

なんせ、ご自身の体験から生まれた治療法だから、説得力があります。
                                                                      ちびちゃんtop






自死について・・・「シルバーバーチの霊言」より


自死について

 自ら命を絶つという行為について
 シルバーバーチは このように言っています


問:自殺してよかったと言えるケースはないでしょう。
 
シルバーバーチ: それは絶対にありません。自分の生命を縮めて、それでよいはずはありません。

問:自殺行為は霊的進歩のさまたげになりますか。
 
もちろんです。

問:「神は耐えきれないほどの苦しみは与えない」とおっしゃったことがありますが、
自殺に追いやられる人は、やはり耐えきれない苦しみを受けるからではないでしょうか。
 
それは違います。その説明として、まずこれには例外があることから話を進めましょう。
いわゆる精神異常者の場合、霊的に言えば憑依霊の仕業による場合があります。しかし、この問題は今は触れないでおきましょう。
いずれにせよこのケースはごく少数なのです。
  大多数は、私に言わせれば「臆病者の逃避行為」にすぎません。
果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れる一番楽な方法だと
考えるわけです。ところが死んでも、というよりは死んだつもりなのに、相変わらず自分がいる。
そして逃れたはずの責任と義務の観念が依然として自分につきまとう。
その精神的錯乱が暗黒のオーラを造り出して、それが外界との接触を遮断するのです。
そうした状態のまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。
 
  いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。
みんな自分自身の手で自分の人生を書きつづっているのです。ごまかしはききません。自分で自分を処罰するのです。
その法則は絶対であり不変です。だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。
  いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になればかならず光が見えてきます。
魂の内奥に潜む勇気が湧き出てきます。その時あなたはその分だけ魂を開発したことになるのです。
霊界からの援助のチャンスも増えます。決して背負いきれないほどの荷物は負わされません。
なぜならその荷物は自らの悪業がこしらえたものだからです。
決して神が「この人間にはこれだけの荷物を背負わせてやれ」と考えてあてがうようなものではありません。
  宇宙の絶対的な法則のはたらきによって、その人間がそれまでに犯した法則違反の程度に応じて、
きっちりとその重さの荷物を背負うことになるのです。
となれば、それだけの荷物をこしらえることができたのですから、それを取り除くこともできるはずです。
つまり、悪いことや間違ったことをした時のエネルギーと同じものを正しく使いさえすれば、それを元通りにすることができるはずです。


問:因果律のことでしょうか。
 
そうです。それがすべてです。
                                                                     ちびちゃんtop







食事の摂り方
自ら命を絶つ人が年間3万人を超えています。
心の休養がないように感じます。
心やものの考え方に影響するのが、食べ物。
からだとこころは口にする食べ物で作られます。
その食べ物はどうやって摂ってきたか。
自分の目と口で摂ってきた。食べたものが細胞の材料になります。

毛細血管の中を流れる赤血球
毛細血管の直径は、赤血球よりせまいそうです。赤血球はこの狭い毛細血管を通って行きます。
食べたものが細胞を作りますから、食べたもので赤血球の質が変わります。
いい食事をしているなら、赤血球の表面はつるつるしていて、難なく狭い血管を流れていけますが、
よくない食事をしているなら、赤血球の表面はザラザラで、狭い血管を流れていくのが困難になります。
ええ~だれが食べたの?⇒自分の目と口で食べたのです。
食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食べてきた結果です。

ほろびゆく大草原・・・ストレス・偏った食事・摂り方が一原因です・・・ますます増えています。
カツラ産業がますます発展するわけですね。
肌はガサガサ、髪はぱさぱさ・・だから界面活性剤のたっぷり入った高い洗剤で外側からカバーする。
そしてますますガサガサに。。。悪循環です。
低体温・・・理想体温36.5℃です。1℃下がると、自律神経機能が半分低下します。

日本は戦前と戦後で食べるものががらりと変わりました。
戦前の食事といえば、ご飯と味噌汁と塩魚と煮豆といった淡白なものでしたが、
戦後、肉や卵やバターをふんだんに使った濃厚な食生活に変わりました
中でも注目したいのが大豆です。

タンパク質 大豆
戦前の日本の食卓では大豆がよく使われ、大豆がりっぱなおかずでした。
でもあまりつくられなくなりました。手間かかるし、家族は食べてくれないし、、、
大豆に含まれるイソフラボンには、がん細胞が増殖するため血管をこしらえるのを阻止するはたらきが
あります。過酸化脂質もおさえます。また女性にとっては年を重ねるにつれ、女性らしさを保つために
ぜひとも必要な要素です。
レシチン(大豆の皮)は、脳神経の伝達を良くしてくれます。減ると、認知症やうつの原因になります。
つまりやる気、集中力のもと。おからに多いです。
格言:「豆を摂るとマメになる。」^^ 
豆のつく字を見てみましょう。 「頭」「喜」「豊」「登」
豆の栄養は,頭がよくなる,体が喜ぶ,心が豊かになり,山を登る体力をつける食べ物と言われます。

ただし、大豆大豆といっても安い数十円の豆腐などにはほとんど大豆の栄養素は含まれていません。
おから納豆はとってもよいです。プロテインでも大豆を主にしているものを摂るとよいです。

そして、総合的にはタンパク質・脂肪・炭水化物・ビタミン・ミネラルをバランスよく摂って、
入口(食事)から出口(排泄)までがスムーズに行われるようにするといいですね。
脂肪・・アボガドは非常によい脂質と言われます。ゴマの油もいいです。
マヨネーズやマーガリンは極力ひかえましょう。いろんな薬品を加えれば、どんな食費も作れます。
その代表が市販で売られているマヨネーズ・マーガリンです。
食物繊維・・・こんにゃく さつまいも ごぼう
アトピー 便秘はまさにがん体質の現れです。
ストレスの多い人はビタミンCを多く消耗するので多く摂るようにしましょう。
ストレスはほとんどの病気にかかわってきます。
カルシウムは牛乳で摂るのではなく、小魚のカルシウムを摂るようにしましょう。
(本来、牛の乳は子牛が飲むものであって人間の飲むものではありません。
ましてや加工乳はよくないです)

                                                                     ちびちゃんtop




肩こり・首こり

肩こりや首のこり、また腰痛でお悩みの人はものすごく多いと思います。
原因や解消法はさまざまですが、共通しています。
私は特に首がこります。

原因
パソコン  運動不足  姿勢が悪い  機能障害  ストレス  生活疲れ  筋肉疲労 

ちなみに私は上のすべてにあてはまります。
パソコン・・・仕事がパソコン操作です。朝9時から夜11時までパソコン漬けの日もあり、帰宅してまたパソコン・・・
運動不足・・・長時間労働で、しかも座り仕事なので、おのずと運動不足。スポーツの趣味はありません。
姿勢が悪い・・・パソコンの前で何時間も同じ姿勢でいます。
人間が同じ姿勢を保てる時間:筋肉は30分しかもたないそうです。
同じ姿勢を続けることで、筋肉が緊張しつづけます。そのため血液の循環が悪くなって、肩こり・首こりになってしまうのです。

機能障害・・・首のズレ。学生時代、体育の授業で鉄棒中、首から落ちました。
幸いマット上に落ちましたが、レントゲンの結果頚椎がずれていることが判明し、何の治療もしていません。
ストレス・・・金銭工面、人事・人間関係など。ストレス社会といわれる世の中ですから・・・。
生活疲れ・・・仕事が不定時で、長時間労働、休みの日は仕事以外の課題をこなします。
ご飯を座って食べられなくなりました。常に気がせいて立って食べちゃうんです。

筋肉疲労・・・上記のために、当然筋肉も疲労します。


あとこれ以外に、個人的に感じているのが、他動的厄災です。
他人から自分に向けられるマイナス思念、いわば生き霊によるもの。
思い、思念は、エネルギーとなって、しっかりはたらきかけます。
その思念が自分のことをどうのこうの思われているとしたら、
そのエネルギーは、当然自分に届きます。波動となって。
見えないエネルギーがマイナスの場合、それはまず、自分の心身の弱い箇所が一番影響を受けるでしょう。
私に関してはそれが首です。

肩こり・首こり解消法
30分に一度は席を立つ。
ストレッチ ゆっくり首を左右に倒す→左右にふる→大きく腕を回す(これだけで効果あり)
ラジオ体操を真剣にやる 
寝るとき、赤ちゃん寝をする・・・腕を赤ちゃんのように曲げてばんざい。すると自然に胸がはって姿勢よい状態で寝れます。
肩の凝ってる赤ちゃんて聞いたことないですもんね。

やっかいなのはストレスや他人からのマイナス波動
ここで追加ですが、マイナスの波動を受けると、肉体が瞬時に反応することがあります。
顔が痙攣することがあります。眼の下あたりがぴくぴくして、傍から見てもわかります。

対処に関しては、一概に言えませんが
それぞれに各人の生き方の中でおのずと対処法があると思います。
ex森林浴、ストレッチ、好きなスポーツ、趣味、信仰(九字を切る、等)

                                                                      ちびちゃんtop




クックコーナー    

かんたん「そば飯」を作りましょう。
そばめしっていうから、必ず必要なのはごはんと中華そば
あとは何でもいいです。味付けだって何でもいいです。
今回のポイントは、おせんべいを入れたこと^^

材料:ごはん 中華そば
(野菜)もやし(←今安い野菜はこれだけ)・キャベツ・はくさい・ネギ・しいたけ、ピーマン・ニンジン・菜っ葉類な~んでも
(その他)マメ、肉、ちくわ・かまぼこ・ひじき・こんにゃく・な~んでも
(調味料)油 しょうゆ+だしの素 or だし醤油 ←+しょうが マヨネーズ からし かつおぶしなどなど
(ソースが定番ですが、今回は和風にしました)



作り方 
フライパンにあぶらをしいて、煮えにくいのを先に入れて焼きますが、めんどうなので
野菜もそばもごはんも一緒に入れちゃいました。おまけにそばは切ってません^^
じゃっじゃっ焼いて、しょうが、だししょうゆ入れて 
ここであまって困ってたおせんべいをバリバリ割って放り込み
じゃっじゃっ
マヨネーズをひょろ~とかけて できあがり~

おせんべいを入れるタイミングはお好みで
かりかりのままがいいなら調味料をかけた後で、ちょちしんなりもいいかな~なら
調味料入れる前に・・・








おせんべいをつくりましょう
  

材料:ごはん  しょうゆ
冷ご飯でいいです。
これにお醤油を適当に入れて、混ぜて、フライパンにうすーくのばして焼くだけ
 
超カンタン~!
では、少しアレンジしてみましょう

調味料はおしょうゆの他に、おみそ、みりんやお酒、ごま油、お砂糖などなどお好みで。。
具は、かつおぶし、ちりめんじゃこ、ごま、青のり、ひじき、ナッツ類(くだく)、こんぶなどなど、な~んでも!

作り方 ^^v

ごはんに調味料と具を入れてまぜまぜ。①
面棒やスプーンでごはんをつぶしてもいいです。

テフロン加工のフライパンに、油(ゴマ油が香ばしいですね)をしていもしかなくてもいいですが
①をうすくのばします。

サランラップみたいなのをかぶせてその上からのばせば、指にくっつきませ~ん。
ごはん粒1つぶ厚さまで伸ばした方ができあがりがパリッとします。

焼きます*必ず弱火でじっくり。
こんがりしたらひっくり返して。おなじく弱火でじっくり焼きます。

手で適当に割り切ります。
冷めてさらに時間がたつともっとパリパリになります。
ぱりぱり感がない部分だけ、もう一度焼くと、からりとしますよ~

                                                                   ちびちゃんtop





神仏習合と廃仏毀釈

先史、古代と、日本人は、あらゆるものに神々の存在を感じていました。いわゆる「八百万の神」です。
縄文人は、森、山、土地、水、川など、それぞれに持ち主である精霊がいると信じて、信仰していたようです。
土器には、クマ、イノシシ、マムシ、カエル、オオサンショウウオなどの縄文時代の精霊たちや狩猟の儀礼などが模られました。
土偶には地母神を思い起こします。祈りを捧げる祖霊だったかもしれません。
古代、人は特別なる姿をした山や岩場、樹木、池には神々が宿ると信じ、樹木の茂る空間は、神霊の籠もりやすい清浄な場
と考えていました。
山中にある泉や巨岩、巨樹は時として、神の降臨する舞台となりました。

仏教伝来までは日本人の信仰は精霊崇拝、祖霊信仰でした。
人々にとって霊魂は不滅であり、万能で、人知のおよばない世界は霊魂が支配すると考えていました。
村人たちは、氏神を心のよりどころとし、農耕や村の運営は神意によってきめられました。
人々の願いによって神名が編み出され、神社が建てられ、食糧の豊穣と健康と災厄から逃れることでが祈念されました。
祖霊信仰は、「氏神」「鎮守さま」という名で今も吾々の生活の中に生きづいています。

※八百万の神 神様があらゆるものに宿り、数え切れないほどの神様がいるということ

人々の死生観  
縄文人は、古モンゴロイド人という説があります。人間は死ぬと「あの世に行く」、あの世は美しく楽しいところである、
ところが、この世で、善行をした人は、いつまでもあの世にいられるが、
修行の足りない人は、死んでもすぐにこの世に戻され、再び修行しなければならない、という宗教観があったようです。
要するに、死者の行くところは、「あの世」であり、不徳の人間は立派な人間になるまで、この世とあの世を往復するのです。

3世紀になると、魏誌倭人伝において、邪馬台国の卑弥呼が登場します。
倭人伝によれば、卑弥呼は、「鬼道に通じよく衆を惑わす(従える)」と出ていて、
最近の研究では、鬼道というのは、道教の呪文の一方法ではないか、つまり卑弥呼は道教の道士的手法を身につけていたというのです。
これはシャーマニズムの一種―巫女による神がかり現象です。
こうしてみると、西暦230年ごろには、日本の一部には道教が入っていたことになります。

応神天皇のころ(4、5世紀ごろ)には、中国から、儒教の経典が入ってきました。
日本には多くの八幡神社があります。「村の鎮守さま」というとほとんどが、八幡神社です。
おそらく、応神王朝が、儒教の「孔子廟」にならって、応神天皇そのものを祭る「廟」を全国に作らせた、
この廟が八幡神社となって、現在に残っているとされています。

2500年前に釈迦が開いた仏教は、中国で様々な宗派を生みました。それらが朝鮮半島を経由して6世紀中頃に日本に伝わったのです。
6世紀末に推古天皇の摂政となった聖徳太子は、積極的に中国の制度や文化や仏教を取り入れました。
仏教は、宗教としての他に政治的にも利用されたのです。
奈良時代、国家が寺院を造りそこで働く僧侶は国の役人のような存在でした。
東大寺をはじめ、国々には国分寺・国分尼寺が建てられ、仏教について学問的な研究が行われました。
仏教は国を治めるために使われたのです


仏教が日本にもたらされると、日本に古くからあった神々をつかさどる信仰と仏教が融合し、発展していきます。
奈良時代には神社に付属して神宮寺が建てられ、神の前で仏の教えであるお経が読まれました。
こういった神仏習合は、神仏分離政令が出される明治初年まで続いたのです。
明治時代には神と仏が厳密に区別されたのですが、現在再び神仏習合が見られます。例えば、家には仏壇と神棚があります。

仏教が伝わると、日常生活を離れて山中で修行することが流行し、多くの僧尼が山中に分け入りました。
厳しい山林修行を行った僧侶には天候を予知したり、病気を治す力があるとされ、特別の力をもった山林修行者は特別な存在とされました。山林修行者はさらなる霊験を求め白山のような高い山を目指すことになったのです
こうした密教への信頼は、現在の科学への信頼と同じように、天体も方位も、日の吉凶も民俗宗教として受け継がれ、
村の祭りや年中行事、講など宗教と関係がないと思われるところまでも浸透し、生き続けてきました。
仏教の地方への伝播は天台宗、真言宗の二宗が最初とされています。
平安期約400年間は、専ら天台宗、真言宗の二宗が隆盛を極めており、山嶽信仰による修験道との深いかかわりをもって

地方の民衆の間に深く浸透したものと思われます。


やがて、天台宗、真言宗の二宗の他に浄土宗、真宗、時宗、日連宗、臨済宗、曹洞宗など鎌倉新仏教の台頭が相つぎ、
大衆仏教は大きく変動していきます。

江戸時代に入って、宗派ごとに本山、末寺の制度が設けられました。
各藩主が創建した菩提寺はじめ、領内村々のすべての寺院は末寺となって改宗しました。
寛永年間(162443)、切支丹禁制による寺請制度が設けられました。
寛文4年(1664)には宗門改めが実施されて、村人はいずれかの寺院の檀徒(だんと)になることとなりました。
江戸幕府の寺社奉行は宗教政策として本山-末寺関係を厳密に整備し、キリシタン禁制をかねて人民の思想統制をしてきました。
そして、家単位の檀家制度によって、信仰による改宗の自由が許されなくなりました。
仏教寺院は政府により信者をあてがわれ、布教努力が不要になりました。
そして法事を半ば強制することで人民からお布施として収奪します。
寺の職務として法事のほかに、檀家の道中手形の発行や過去帳の整備など民生事務を司るなど末端行政そのものです。
このため仏教は大衆の信仰のよりどころというものではなく、寺院は檀那寺として家々の葬式や供養を主とするようになりました。



先史時代  アニミズム・原始的信仰

古墳時代  原始的信仰の統一・統合化

飛鳥時代  仏教伝来
        貴族-仏教と統一統合神道の融合化(神仏習合のはじまり)
        民衆-統一神道+民間神社信仰

奈良時代  仏教が次第に広がっていく
        仏教と民間山岳信仰の習合→修験道

平安時代  民間の間に本地垂迹説が浸透し、神仏習合が進んでいく

室町時代  吉田兼倶により、神本仏迹説が解かれるようになる
       (垂迹の神こそ本体であるという考え方・反本地垂迹説)

江戸時代  神仏習合は庶民の間にも広く浸透

江戸後期  国学者による復古神道の思想広がる
        寺院の民衆からの搾取により廃仏毀釈思想が芽生える

明治時代  神道を国教化するため神仏分離令が発布される
        知事によって寺院の統廃合が行なわれる
        神仏習合の寺社は神社か寺院かを選択しなければならなくなった
        神仏分離令により廃仏毀釈の運動が盛んになる
        寺院から搾取されていた民衆と、寺院に虐げられてきた神職たちが
        寺院の破壊におよび、当時の約半数もの寺院が廃寺と化した

 

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